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第四話

 「それ、僕のなんです」


 不意に背後から声がかかって、私はビクッと肩を揺らした。


 振り向くと、そこには全身を黒いマントで覆った男が立っていた。頭から深くフードをかぶっていて、顔立ちはよく見えない。背は高い。男にしては少し細身で、布の下に隠れている体の線はしなやかそうだった。


 私は反射的に、一歩だけ距離を取った。


「……貴方の?」


 思わず、声に少し警戒の色がにじんでしまう。男は気にしたふうもなく、肩をすくめて笑った。


「ああ……そんな顔をされるのも、全く無理はないです。こんな子供が作ったみたいな歪なものを、いい歳した男が探しているなんて、信じられないんでしょう?」


 いい歳、と自分で言うほど年上には聞こえない声だった。せいぜい二十代半ばくらいだろうか。軽い調子なのに、妙に耳に残る響きがある。


「子供の頃に、大切な友人からもらったんです。裏に“友情の証に”って書いてあるでしょう」


 私は袋の中のペンダントを取り出して、もう一度裏を見た。


 たしかに、そう書いてある。


「……そのご友人は?」


 気づけば、そんなことを聞いていた。


 男はほんの少しだけ間を置いて、それから困ったみたいに笑った。


「もう、この世にはいません」


 その言い方があまりにあっさりしていたので、私は一瞬返す言葉を失った。


「すみません」 「いえ。もうずいぶん前の話です」


 男はそう言って手を差し出した。


 私は一瞬迷ったが、裏に刻まれている文字を知っているということは、持ち主で間違い無いだろう。袋から出して渡すと、彼はそれを壊れものでも扱うみたいに、やけに丁寧に受け取った。


「見つかってよかった……」


 ぽつりとそう呟いた声だけは、少しだけ芝居がかっていないような気がした。その様子を見て、私は胸の奥にあった警戒を緩めた。


「大事なものだったんですね」 「ええ、とても」


 男はペンダントを握りしめ、それからふいに私の格好を見た。


「その格好、騎士さんですよね」


 私は小さく頷く。


「白薔薇騎士団に所属している、騎士です」


 自分で言いながら、まだ少しだけその肩書きに慣れていないのを感じた。けれど男は、少しも笑わなかった。


「女性の騎士って、かっこいいな」


 それは思いがけない言葉だった。思わず私は目を瞬く。


「僕、尊敬します。そういうの」


 フードの奥で、その男は笑っているらしかった。


 ただの社交辞令かもしれない。軽口のひとつかもしれない。けれど、私は少しだけ、じんわりと心が温かくなるのを感じた。剣を握ってここまで来たことを、こんなふうに真っ向から肯定されたのは初めてだったから。


「……ありがとうございます」


 できるだけ喜びが声に表れないように短く返すと、男はやわらかく笑った。


「いやあ、大変でしょう?一日中歩き回って、落とし物探しまでさせられて」


 図星を突かれて、少しだけ気まずかった。


「大変ではありますが、仕事ですから」

「真面目なんですね」


 その言い方に嫌味はなかった。


「でも、そういう人、僕はすごいと思うな」


 男はフードの下からこちらを覗きこむように距離を詰めてきたが、私は思わず視線をそらしてしまった。

 こういう言葉に慣れていない。前世でも今世でも、そう頻繁にストレートな褒め方をされることは多くなかった。妙な居心地の悪さはあるけれど、褒められた内容自体には悪い気はしない。


「そうだ」


 男は何か思いついたように手を打った。


「もし差し支えなければ、このあとお茶でもどうです? いや、お茶というより、酒場かな。お礼もしたいですし」


 お礼。私は少し考える。拾ったものを返しただけなのに、そこまでされる筋合いはないし、何より市民に奢ってもらうなんて騎士としては到底良い行いではない。そう考えて断りかけた、その時だった。つんざくような悲鳴が、通りの向こうから響いた。


 空気がびりっと震える。私は反射的にそちらを振り向いた。


 遠くで人の流れが乱れている。店先にいた客が悲鳴を上げて逃げ、荷車が横倒しになり、誰かが転ぶのが見えた。


「魔獣だ!」


 誰かの叫び声が響く。


 次の瞬間、通りの端に、灰色の巨体が躍り出た。

 狼型。だが、ただの狼ではない。肩が異様に盛り上がり、口元には鋸みたいな牙が覗いている。毛並みの隙間から、うっすらと赤い筋が脈打つように光っていた。思わず、私は息を呑む。


 この魔獣はおそらく、ウォーグと呼ばれる種族だ。実際に見るのは初めてだけど、知識としては知っている。いとも簡単に人間を食い殺せる、恐ろしい魔獣だ。もっとも、もっと森の近くでしか出没しないことで知られているはずだが、どうしてこんな街中に。


 飯屋から、冒険者らしい若者たちがどっと飛び出してくる。その中には、さっきAランクになったと騒いでいた一団もいた。周囲の視線が、自然と彼らに集まった。


「Aランクなら倒せるだろ!」 「頼む、助けてくれ!」


 通りの人々が口々に叫ぶ。


 けれど、若い男たちの顔色は、見る間に変わっていった。


「お、俺は……」 「いや、だって、こんなの聞いてねえ……」


 リーダー格らしい青年が剣を抜きかけて、手を震わせる。仲間たちも一歩も前へ出ない。


 その青年が魔獣に対峙する姿を見た瞬間、私の中に冷たい違和感が走った。おかしい。Aランク冒険者のはずなのに、構え方がなっていない。剣を握る手も、腰の落とし方も、何より、目が完全に逃げている。


 ウォーグがひとつ低く唸っただけで、彼らは揃って後ずさった。


「む、無理だ!」


 誰かが叫んだ。次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように若者たちが駆け出す。


 周囲の人々が悲鳴を上げた。


「おい、Aランクじゃなかったのか!」 「ふざけるな!」


 他の冒険者たちも、武器は手にしているのに、決定的な一歩が出ない。誰もが互いの様子を窺っている。その間にも、ウォーグは通りの真ん中で低く身を沈め、次の標的を探すように鼻を鳴らした。


 私はぎゅっと剣の柄を握った。


 応援は、呼べば来るだろう。でも、それまでに誰かが食われるかもしれない。


「っ……」


 迷う暇も惜しい。私は腰の通信魔法具に手を伸ばし、増援要請だけ飛ばして、次の瞬間には駆け出していた。


「下がってください!」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。


 人々がぎょっとした顔でこちらを見る。白薔薇の新人騎士が一人、ウォーグの前へ出る。無謀だと思われたのが、そのざわめきだけで分かった。


「あんな細い子じゃ無理だ!」 「誰か、止めろ!」


 聞こえたけれど、もう気にしていられない。


 ウォーグと向き合った瞬間、周囲の音がすっと遠のいた。


 この感じは久しぶりだった。


 怖い。もちろん怖い。けれど、それ以上に、相手の動きを見極めたい、御したいという感覚が勝つ。前世でも、今世でも、剣を握って相対した瞬間だけ、世界が妙に澄むことがある。


 ウォーグが唸る。


 前足に力が入り、肩が沈んだ。ということは、次は右から来る。


 私は半歩だけずらした。


 巨体が風を裂いて動き、牙が目の前をかすめる。石畳を蹴って飛び上がり、体をひねる。魔獣を下に見下ろしながら、剣を振り上げる。


 そして――その首の根本へ、剣を勢いよく振り下ろした。

 

 重い。反発が強い。だが、手応えはある。


 地面への着地と同時に、私はすぐ距離を取った。


 ウォーグは数歩よろめき、それから、音を立てて崩れ落ちた。一拍遅れて、首元から血が噴いた。


 通りが、しんと静まる。私は荒く息を吐いた。手足の痺れは尋常ではなかったが、立ってはいられた。


 倒した――。


 その実感が身体に届くより先に、あたりからざわめきが戻ってきた。


「うそだろ……」 「ひとりで……?」 「今の、白薔薇の騎士がやったのか?」


 人々の声が一気に押し寄せる。


 私はとっさに周囲を見回した。ほかに魔獣の気配はない。巻き込まれた人も、見える範囲ではいないようだ。遠くから、ようやく増援の騎士たちが駆けつけてきたのが見えて、ふいに視線を止める。第四騎士団だ。


 先頭にいた男性騎士がウォーグの死骸を見て、それから私を見た。


「……何だ、これは」


 何だ、も何もないが、私は剣を収めながら答えた。


「街中にウォーグが出ました。増援を要請しましたが、その前に対処しました」


 男は露骨に眉をひそめる。


「君ひとりで?」


 その言い方には、明らかに疑いの色が滲み出ている。


「はい」


 短く答えると、男は死骸と私を交互に見た。


「まさか。まあ、そういうことにしておいてやってもいいが、上が信じるかは別だな」


 私は一瞬、頭に血が昇りそうになった。そういうことにしておいてやる、ですって――。


 事実をそのまま言っているのに、まるで手柄を誇張しているみたいな言い方に反論しかけたその時、通りの端で怒声が上がった。


 さっき逃げ出した若いパーティーが、街の人たちに囲まれている。


「どういうことだ!」 「Aランクなんじゃなかったのか!」 「バッジだけ立派でも意味がないだろうが!」


 青年たちは顔を青くしていた。


「ち、違うんだ……!」 「俺たちだって、こんなはずじゃ……」


 リーダー格の男が、半泣きで喚く。


「情報屋が、安全な依頼しか回さないって……! ちょっと金を払えば、実績になる魔獣の死体も手に入るって……!」


 周囲は取りつく島もなくそのパーティーを責め立てるが、私はその言葉を頭の中で反芻した。


 情報屋。安全な依頼しか回さない。ちょっと金を払えば。


 最近、高ランクの若いパーティーが増えているという話を、王都へ来てから何度も耳にしていた。もし、あれが本当に実力ではなく、そういうやり方で作られた虚像なのだとしたら。


 私は騒ぎの方へ足を向けようとしたが――。


「やあ、すごかったですね」


 至近距離から声がして、私は飛び上がりそうになりながら振り返った。

 黒いマントの男が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。フードの奥で笑っている気配がする。


「あ、えっと……」


 思わず言葉に詰まる。ちょっと前まで話していたのに、ウォーグと対峙したことで、すっかり存在を忘れていた。なんだか申し訳ない気持ちになる。


「いやあ、見事でした。白薔薇騎士団、捨てたものじゃないですね」


 軽い調子で言う。本気で褒めているのか分からないが、所属騎士団の心象が少しでも改善されたなら嬉しい。


「そんな、大したことではないですが……ありがとうございます」

「大したことですよ。ウォーグなんて、Aランクでも尻込みする相手でしょう?あの若い奴らじゃなくたって、大抵の冒険者は単騎でウォーグに挑もうとなんてしないんですよ」

「……え。そうなんですか」


 思わず気の抜けた声が出た。あの若いAランクパーティーがウォーグに立ち向かわなかったのは、単にズルでAランクバッジを手に入れたからだと思っていた。


「貴方、まさか知らずにやったんですか」


 信じられない、という声で男が聞く。


「私、平民なので……。魔獣の区分とか、そのあたりはまだ詳しくなくて。これから学ぶ予定ではあるんですが」


 フードの奥で、男がしばらく黙りこんだ。それから、ふっと息を漏らす。


「……すごいな。本当に」


 私はどう返していいか分からず、ただ視線をそらした。


 その時だった。ぐう、と、私のお腹が鳴った。思わず恥ずかしさで固まってしまう私だったが、その様子を見て男が吹き出した。


「ええと、命がけの戦闘のあとですから、当然ですね」


「い、いえ、これは……」 「やっぱり行きましょう。今度こそ、ちゃんとお礼をさせてください」


 男はそう言って、少しだけ身をかがめた。


「このあたりに、僕の行きつけの酒場があるんです」


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