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第三話

 その日のうちに、私の期待はだいたい裏切られた。

 案内役の年配の女性は部屋を練り歩きながら、白薔薇騎士団の理念だの、王家のご厚意だの、それらしい言葉を並べ立てたけれど、聞けば聞くほど中身がなかった。訓練の日程は未定。既存騎士団との共同任務はあるにはあるが、相手方との調整次第。隊服の支給は希望制で着用は必須ではない。宿舎の使い方と礼儀には細かい決まりがあるくせに、訓練については驚くほど曖昧だった。

 同期の女性たちは案の定、真面目に聞いていなかった。

 扇を弄ぶ者。隣とこそこそ囁き合う者。鏡を取り出して前髪を整える者。

 私はただ黙って座っていた。いや、怒っていたと言った方が正しい。私が信じていた「女性騎士団」は、蓋を開けてみれば、あまりにも……な体たらくであった。

 夜、与えられた部屋の寝台に横になっても、なかなか眠れなかった。

 窓の外には王都の明かりがある。遠くで馬車の音がする。知らない街の、知らない夜だ。

 不思議と泣きたい気持ちにはならなかったが、苛立つ気持ちは抑えられなかった。

 これだけかけて来たのに。家族や、夫人や、いろんな人に協力してもらったのに。これが、私がようやく掴んだ夢の正体なのか。

 毛布を鼻先まで引き上げながら、私は天井を見た。

 家の天井とは違う。木の節も、軋む音も、匂いも違う。

 少しだけ、帰りたくなった。

 母の薄いスープが飲みたいとか、ノアのやかましい寝言が聞きたいとか、そういうことを順番に思い出しているうちに、余計に眠れなくなった。

 でも、帰らない。帰れない。

 まだ何もできていないのに、すごすごと帰るわけにはいかなかった。



 翌朝、私は日の出より早く目を覚ました。

 昔から、というより前世から、なんだかんだ早起きだけは癖づいている。緊張していようが落ち込んでいようが、身体が勝手に起きる。

 中庭へ出て素振りでもしようかと思ったけれど、勝手な行動で余計に目をつけられるのも面倒だ。少し迷ってから、私は昨日配られた紙を取り出した。

 王都東区、午前巡回。今日の担当区域らしい。簡単な地図と、集合時刻と、注意事項だけが書いてある。

 巡回。やっとまともな仕事らしいものが来た、と思った。剣の訓練がないなら、せめて街を見て回るくらいはちゃんとやるべきだ。

 食堂へ行くと、まだ人はまばらだった。私は硬いパンを口に押し込みながら、次々入ってくる同僚たちを見た。

 やはり、誰も隊服は着ていない。

 それどころか、昨日と同じように洒落た外出着で現れる者までいた。髪を巻き、香水をふり、どう見ても巡回ではなく散歩か社交の支度だ。

 昨日の金髪の女が、私の隣を通りすぎざま、ちらりとこちらを見た。

「ずいぶんとやる気ねえ、ご苦労さま」

 明らかに褒めていない口調だったが、私は反論する気にもなれず、会釈だけした。

 集合場所には、さらに拍子抜けする光景が待っていた。

 白薔薇騎士団の指導担当者らしい男が、名簿を片手に立っている。その前には、どう見ても騎士の巡回とは思えない外出着姿の先輩や同期が数名、第四騎士団の男たちと並んでいた。

 どうやら合同巡回らしい。

 それ自体はいい。経験ある騎士と一緒の方が学べることも多いだろうし、王都の地理にもまだ慣れていない。

 そう思っていたのにーー。

「では、こちらはアリシア嬢と組んで」 「ルネ嬢はこっちですね」 「ええと……カティア嬢も第四騎士団第三班へ」

 次々と名前が呼ばれていく。

 呼ばれるたび、女たちは楽しそうに男の騎士の方へ歩いていく。相手も相手で、気安く笑いかけたり、手を取って馬車へ案内したりしていた。

 私はしばらく、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。

 でも最後まで呼ばれなかった。

「あの」

 さすがに声をかけると、名簿を持った男が顔を上げた。

「何か」 「私の担当は」

 男は名簿を見直し、それからああ、と気のない声を出した。

「君は単独で東区を回ってください」

 単独。

 一瞬、聞き返しかけた。

「昨日も申し上げたでしょう。合同は先方から指名が入った者のみです」

 そんな話は昨日のどこで出たのか、まるで記憶になかった。というか、指名とは何だ。

 私が呆気に取られていると、男は面倒くさそうに紙束の一枚を抜き取って寄越した。

「異常があれば報告を。大事にする必要がなければ、その場で判断して結構です」

 ずいぶん投げやりだ。入隊して間もない新人騎士がその場で判断していい事案があるとは到底思えない。

 けれど、それでも仕事は仕事だ。

 私は紙を受け取って一礼し、そのまま王都東区へ向かった。


 王都東区は、人の行き来が多い区域だった。商店が並び、朝から荷車が行き交い、露店の準備が始まっている。

 私は歩きながら、目を凝らした。

 道に怪しいものはないか。揉め事は起きていないか。人の流れは淀んでいないか。

 町育ちだから、こういう雑多な場所は嫌いではない。むしろ、貴族の屋敷の中にいるより息がしやすかった。

 ただ、歩いているうちに、じわじわと変な気分になってきた。そこかしこに、騎士団の男女が並んでいるのだ。

 しかも、どう見ても真面目に巡回しているようには見えない。男の騎士が笑いながら何か話し、女の方が扇で口元を隠して笑う。別の組は菓子屋の前で足を止め、そのまた別の組は橋の欄干に寄りかかって、景色でも眺めるみたいにのんびりしていた。

 この任務は、私が思っていた「巡回」とはずいぶん違うようだった。

 公費で何をしているのだろう、と、つい頭に浮かぶ。

 街の人々は、魔獣や盗賊や、何かよくないものが起きた時、騎士が守ってくれると思っているはずだ。その騎士が、こんなふうに気軽に並んで歩いていていいのだろうか。

 私は頭を左右に大きく振り、無理やり余計な思考を追い出した。目の前の仕事に集中しなければ。

 とはいえ、事件らしい事件は起きない。せいぜい街の人に何か問題がないか声をかけたり、通行の邪魔になっている荷を少し動かしたり、その程度だった。

 王都の巡回というのは、もっとこう、緊張感のあるものだと勝手に思っていた。いや、平和に越したことはないのだが。少し拍子抜けしつつ、一生懸命自分を納得させながら歩いていると、一軒の酒場の前で呼び止められた。すでに昼近くだった。

「おーい、そこの騎士さん」

 振り向くと、恰幅のいい中年の男が手を上げていた。店先の樽を動かしていたらしく、腕まくりをしている。

 私は足を止めた。

「え……ええ。何かありましたか?」

 騎士として呼び止められ、少し気が引き締まる。男は少し困ったような顔で、手の中のものを差し出した。

 それは、小さなペンダントだった。

 金や銀には見えない。たぶん安い金属だ。形も歪で、飾り細工も素人っぽい。子供が頑張って作ったのかと思うような、不格好な品だった。

「朝、店の前に落ちてたんだよ」

 男は肩をすくめる。

「別に大層なもんじゃないんだがな。手作りっぽいだろ。子供の持ち物だったら、なくしたヤツはしょげるんじゃないかと思って」

 私はペンダントを受け取った。

 たしかに、軽い。細工も雑だ。鎖も安物で、あちこち変色している。でも、指先で触れると、妙に温もりが残っている気がした。つい今しがたまで誰かが持っていたような、生々しい感じがある。

「落とした人に心当たりは?」

 男は首を振った。

「ないねえ。酔っ払いの大人ならもっとましなもん落とすし、うちの常連でこんなのつけてるやつも見たことがない」

 私は何となく裏を返した。

 そこに、文字が刻まれているのが見えた。かなり雑な字だったが、読めないほどではない。

 ――友情の証に。

 私は少しだけ目を丸くした。ますます子供っぽい。

 でも、こういうものほど、失くした時の落ち込みは大きいかもしれない。拾った方からすればただの安物でも、持ち主にとってはそうではないことがある。

「分かりました。周囲に聞いてみます」

 そう言うと、酒場の主人はほっとしたように頷いた。

「助かるよ。いや、こんなの騎士様に頼むことじゃないかもしれないけどさ」

「いいえ」

 私は首を振った。

「落とし物を届けるのも、街を守る仕事のうちですから」

 そう言った瞬間、自分でも不思議なくらい腹落ちした。魔獣を倒すとか、悪党を捕まえるとか、そういう派手なことではなくても、こういう小さなことを後回しにしないのが、本当の意味で街を守るということなのかもしれない。少なくとも私は、そういう騎士でいたいと思った。

 主人は面食らったような顔をしてから、「真面目だねえ、あんた」と笑った。

 私は曖昧に笑い返し、ペンダントを袋にしまった。

 それからしばらく、近くの通りで聞き込みをしてみた。

 だが、心当たりのある人はいなかった。

 花屋の娘は「見たことない」と首を振り、露店の少年は「そんなダサいのつけてるやつ、いたら覚えてるよ」と失礼なことを言った。洗濯物を干していた女主人も、通りの角で客待ちをしていた御者も、皆そろって知らないと言う。

 私の足はだんだん重くなっていった。

 王都は広い。広い街で、小さな落とし物の持ち主を探すのは、思っていたよりずっと骨が折れる。

 空はもうすっかり夕暮れ色だった。昼間と比べて少し肌寒さもある。

 私は一度立ち止まり、小さく息をついた。

 剣技を磨いて王都まで来て、初めてのまともな仕事が落とし物探し。情けないとか、期待外れだとか、そういう気持ちが全くないわけではなかった。

 けれど、それでも、雑にしたくはなかった。

 高価かどうかではなく、その人の心が結びついているものかもしれない。失くした瞬間、胸の中がぽっかり空いてしまうようなものかもしれない。

 前世の私にとっての優勝旗や賞状が、まさにそうだった。道端に置き去りにしたままになってしまった、あの夜私が持っていた私のすべて。

 ふとそんなことを思い出して、私は顔を上げた。

 ちょうどその時、ギルドの建物から、若いパーティーがわっと出てくるのが見えた。

 新しいバッジを見せ合い、肩を叩き合い、やけに上機嫌だ。

「これでAランクだ!」 「やったな!」

 その声が通りに響く。

 私は思わず目を止めた。

 ずいぶん若い。装備は豪華だが、場慣れした戦士の匂いがあまりしない。なのにAランク。

 王都とはそういうものなのだろうか、と首を傾げながら、手の中のペンダントに視線を落とす。

 ――あれ、側面の金属に、何か――。

 極めて小さい刻印だったが、裏面のメッセージとは違った文字が入っている。

 文字を判別しようとしたその時、頭上から声が降った。

 

「それ、僕のなんです」



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