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第二話

 それから、八年が経った。


 気づけば私は二十歳になっていて、私が握るのは木剣ではなく、本物の剣になっていた。


 何度も負けたし、何度も笑われた。平民の娘が剣を振るっているだけで眉をひそめる人はいくらでもいたし、女のくせに、と言われるたび、胸の奥にちくりとしたものが刺さった。でも、そんなのは前世で慣れていたから、辞める理由になんて到底ならなかった。


 気づけば、うちの町では、私より強い人はいないと言われるようになっていた。


 力自慢の若者が何人も挑んできたし、腕に覚えのある冒険者が面白半分に試してきたこともあった。領兵の訓練を見学させてもらえるようになってからは、彼らと木剣を交えることも増えた。


 勝ったり負けたりを繰り返して、それでも最終的には、あの娘に剣で勝つのは難しい、というのが町の共通認識になった。


 父は相変わらず多くを言わなかったが、剣の手入れをしている時にだけ、たまに「今日の試合、良かったぞ」「腕を労われよ」とか、そんなことをぽつりと口にした。母は、娘が嫁に行き遅れるんじゃないかと本気で心配しながらも、辞めろとは言わずに支え続けてくれた。ルークとエミルはとうとう私に勝てなくなって、「もうお前とやると肩が痛え!」「大好きなお兄ちゃん相手だぞ!?手加減しろよぉ!」と情けないことを言うようになった。


 ノアは十代半ばになっても、私が剣を持つ姿を見ると相変わらず目を輝かせたし、リオとマルクは「姉ちゃんの一撃で岩が割れる」だの「森の魔獣も泣いて逃げる」だの、だいぶ話を盛って近所の子に吹聴していた。


 家族は、ずっと私の夢を笑わなかった。


 それだけで、何年もやってこられたところがある。


 もっとも、夢が少しずつ現実の形を帯びるきっかけになったのは、一年前の出来事だった。


 秋の終わり。とある伯爵夫人の馬車が、森道で魔獣に襲われた。私は領都へ納品に行く父の荷運びを手伝った帰りで、その場にたまたま居合わせた。

 伯爵夫人には護衛の兵が数人ついていたものの、馬が暴れ、護衛は散り散りになり、夫人を乗せた馬車だけが横倒しになった。


 飛び出してきたのは、黒い毛並みの魔獣だった。犬というには大きすぎ、狼というには肩の盛り上がりが異様で、目だけが妙に光っていた。


 怖いとか怖くないとか、そういうことを感じる暇もなかった。考えるより先に、護衛が落としていった剣を拾って構えていた。結果として、私はその魔獣を下した。


 護衛の兵が応援を呼んで戻ってきた時には、血の匂いの充満した道に、肩で息をする私と、すでに息を引き取った後の魔獣1頭が横たわっていた。


 伯爵夫人は若く、驚くほど綺麗な人だった。けれど気位ばかり高い人ではなく、泥だらけになった私に向かって、震える声で何度も礼を言った。


 その一件がきっかけで、私は伯爵家に呼ばれるようになった。


 最初は、助けてもらったお礼がしたいから、と。


 けれど、何度か屋敷へ出入りするうちに、夫人は私のことを妙に気に入ってしまったらしい。剣の話をすると興味深そうに聞き入るし、町の暮らしの様子を聞かせると目を輝かせる。貴族の奥方というものは、もっと、こう、お堅くて融通の効かない人種だと思っていた私は、かなり拍子抜けした。


「あなた、私の従者にならない?」


 ある日、夫人は焼き菓子をつまみながら、本当に軽い調子でそう言った。


 私は紅茶を危うく吹きそうになった。


「従者、ですか。しかも奥様の……」 「ええ。私の近くにいてちょうだい。別に四六時中お茶を運べと言ってるわけじゃないの。あなた、頭の回転も早いし、肝も据わっているし、何より面白いもの」


 お、面白い……?私が……?


 私からすれば、退屈しのぎみたいな理由で平民の娘を屋敷へ招こうとする彼女の方がよほど面白かった。


 もちろん、最初は断るつもりだった。家から通える距離ではあるけれど、貴族の屋敷勤めなんて想像もつかない。何より、私には騎士になるという夢がある。


 でも、夫人はそこで、私の夢を聞いた。


 そして、少しも笑わなかった。


「女性騎士団ができるかもしれないのよ」


 彼女は扇を閉じ、内緒話でもするみたいに声を落とした。


「まだ王都で計画されている段階だけれど、王家が主導して、新しく女性だけの騎士団を作る案が出ているの。もちろん、すぐにどうこうなるとは限らないわ。けれど本当に動き出した時ーーあなたがその道を目指したいと思った時、後ろ盾があった方がいいと思うの」


 その時の私の気持ちは、うまく言葉にできない。


 びっくりした。嬉しかった。そんな都合のいい話が、という疑いの気持ちも少しはあったが、掴めるかもしれないものがあるなら、掴みたかった。

 何より、私の夢のためにこんな提案をしてくれる彼女の存在が、本当にありがたかった。


 私は伯爵家で、夫人付きの従者として仕事をすることになった。


 従者と言っても、礼儀作法を叩き込まれ、お茶の種類を覚え、来客の名前を頭に入れ、時には夫人の散歩や外出に付き添う、そんな仕事だ。剣一本で生きてきた私には、正直、修練よりずっと難しかった。


 刺繍の入ったエプロンを渡された時には気後れしたし、最初の頃はカップを割りそうになって侍女長に青筋を立てられた。


 それでも夫人は、呆れたように笑いながら、私を手放さなかった。


「あなた、剣を握ってる時より顔が死んでるわよ」 「向いてないのだと思います」 「そうね。でも、向いてないことをやっておくと、大人になってから楽になるわよ」


  そんなふうに半年ほどが過ぎた春のこと、夫人は私を自室に呼びつけた。

 女性だけで構成された騎士団「王立白薔薇騎士団」は、私が従者になってからすぐに設立されていた。

 王国初の女性騎士団として華々しく発足したそれは、王都の貴族たちのあいだでずいぶん話題になったらしい。第一次募集では、ほとんどが王都近辺の貴族の娘たちで固められたと聞いた。その事実が夫人から残念そうに知らされた時には、ずいぶんと落ち込んだ。

 ただ、設立からしばらくして、第二次募集がかかった。人員拡充のため、各地の有力貴族家から、新たに適性ある女性を推薦せよ、というものだった。

「夫人、お呼びですか?」

部屋に入った私を見て、夫人が鼻歌まじりに歓迎する。

そしてデスクまで私を呼び寄せ、言った。

「合格したわ」

 私は、何を言われたのか分からずに瞬いた。

「……はい?」 「だから、王立白薔薇騎士団の第二次募集。あなた、書類審査を通ったのよ」

 さらりと言われて、思考が一瞬止まる。

「え」 「え、じゃないわよ」

 夫人は楽しそうに目を細めた。

「実は、推薦書類はとっくに出していたの。言ったらあなた、結果が来る前から気を揉むでしょうし」

 机の上の封書を指先で叩く。そこには伯爵家ではなく、王都の公印が押されていた。

「まさか、本当に私が……?」 「まさか、なんて。うちの領であなたより剣の立つ娘がいたら、私が教えてほしいくらいだわ。落ちるわけないと思っていたけれど、こうして書面で来ると気分がいいわね」

 胸が、どくどく鳴った。

 ずっと遠くにあったものが、急に手の届く場所まで降りてきた気がした。

 騎士になる。

 子供の頃から何度も口にしてきた言葉だ。笑われても、無理だと言われても、自分の中では消えなかった夢。でも、それはあまりに長いあいだ夢のままだったから、いざ現実の入口が見えると、嬉しいより先に怖くなる。

 私なんかが、本当に。

 そんな言葉が、喉のところまでせり上がった。

 けれど夫人は、私が何か言う前に口を開いた。

「今さら自信がないなんて言ったら、怒るわよ」

 図星だったらしい。私は口をつぐんだ。

「第一次募集の子たちは、王都の家柄だけでだいぶ集められたみたいだけれど、今回は少し違うわ。形だけ整えても仕方ないって、ようやく向こうも気づいたんじゃない?」

 その言い方はどこか皮肉っぽかった。もしかしたら、一次募集の時にも推薦状を出してくれていたのだろうか。

「あなたは、自分が積み重ねてきたものを、もっと信用していいはずよ」

 目頭が熱くなるのを誤魔化すために、少しだけ俯いた。

「……はい」

 ようやくそれだけ答えると、夫人は満足そうに頷いた。

「よろしい。そうと決まったら忙しくなるわよ、セラ!」

 家に戻ってその話をした夜は、ちょっとした騒ぎになった。

 母は知らせを聞いた時、泣いた。

「本当に、合格したのね……?」

「うん。王都から正式に通知が来たって」

「そう……そうなのね……よかった、よかったけど……でも王都って遠いじゃない……」

 喜んでいるのか心配しているのか分からない泣き顔で、私のことを抱きしめた。

 父は黙って話を聞いていたが、やがて静かに言った。

「やったな。行ってこい」

 それだけだったけど、私にとってはそれで十分だった。

 ルークは「ついに来たか」と笑い、エミルは「王都の男ども、腰抜かすな」と妙なことを言った。ノアは、もう子供ではないくせに、私の腕を掴んで「向こうでもちゃんと手紙書いて」と半ば泣きそうな顔をした。リオとマルクは「王都の騎士団って馬何頭いるんだろうな」とだいぶ話がずれていた。

 私の胸の中は、嬉しさと不安でひどく忙しかった。

 ずっと欲しかった切符をようやく手に入れたはずなのに、いざ乗り込む段になって、行き先の遠さに足がすくむ。そんな感じだった。

 出発の朝、まだ空が明るくなりきる前に家を出た。

 私の荷物は多くない。着替え、手入れ道具、家族から押し込まれた食べ物、それから剣。伯爵家が馬車を出してくれたので、王都までの道のりは思ったより快適なはずだったが、座席に腰を下ろしても落ち着かなかった。

 家の前には家族全員が出てきていた。

 母は何度も同じ言葉を繰り返した。怪我をしないで、無理をしないで、寒かったらちゃんと厚着して、知らない人の言うことを何でも信じないで。父は最後に、私の剣の柄を一度だけ軽く叩いた。

「折れるなよ」

 剣のことを言っているようで、たぶんそうではない。

 私は頷いた。

「うん」

 それ以上何か言ったら泣きそうだったから、笑って手を振って馬車に乗り込んだ。

 車輪が回り出し、家が遠ざかっていく。

 窓の外で、ノアが最後まで大きく手を振っていた。リオとマルクもその横で飛び跳ねている。母は目元を押さえ、ルークとエミルは気丈そうな顔をして、父だけがじっと立っていた。

 私はその姿が見えなくなるまで、窓から目を離せなかった。


 何日もかけてやっと辿り着いた王都は、想像していたよりずっと大きかった。

 人の数が違う。道の広さが違う。建物の高さも、店先に並ぶものの量も、喧騒の濃さも違う。乗っている馬車が石畳を進むたび、私はきょろきょろしてしまって、自分でも田舎者丸出しだと思った。

 私は大きな煉瓦造りの建物の近くで馬車を降り、王都からの手紙に記された兵舎へ向かった。

 第二次募集の合格者は、すでに各地から集められているらしかった。

 私は、正直、かなり緊張していた。

 強い女性たちが集まっているのだろう。私と同じように、本気で剣を取り、本気で騎士になりたいと願ってきた人たちが。女だからと笑われても、なお立ち続けてきた人たちが。

 きっと、そういう人たちとなら話が合う。自分がどれだけ苦労したかを、いちいち説明しなくても分かり合えるかもしれない。

 そんな期待からか、兵舎の門をくぐった時、胸の中にあったのは、不安ではなく高揚だった。

 ーーそのはずだったのに。

 案内された扉を開けた瞬間、私は足を止めた。

 そこにいた女性たちは、誰ひとり隊服を着ていなかった。

 目に飛び込んできたのは、ひらひらしたドレスの裾と、磨かれた靴先と、甘い香水の匂いだった。部屋の中央には円卓が置かれ、茶器が並んでいる。集まっているのは十人ほど。全員その顔に綺麗な化粧を施していて、剣だこなんてものとは無縁そうな白い手でカップを持っていた。

 部屋を間違えた、と思った。だが、案内してくれた女性は「ここで合っておりますよ」と念押しするように言う。

 私が呆気に取られて立ち尽くしていると、円卓の一人がこちらを見た。

 金髪を大きく巻いた、年上らしい女だった。

 彼女は私の格好を上から下まで眺めて、それから口元を歪めた。

「その格好って、平民流の冗談?」

 部屋のあちこちで、くすくすと笑いが起きた。

 私は一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 旅装のまま来たのがまずかったのかと思った。けれど、兵舎なのだからおかしな格好はしていない。動きやすい上着に、剣帯。町で訓練する時と同じ、私にとっては当たり前の服装だった。むしろここで言う冗談は、こんなところでドレスを纏っていることではないのか。

「……本日、女性騎士団への新規入隊者はこちらに集まるよう言われたのですが」

 そう言うと、別の女が、扇で口元を隠しながら肩を揺らした。

「ええ、そうよ。だから集まってるじゃない」

「……全員、新規入隊者なのですか?先輩方は?」

「先輩方はほとんどご実家で休養中だそうよ。なんでも、魔獣を見たショックで心を病んでしまったとか」

「そんな……魔獣と相対することなんて、騎士になる前からわかっていたはずでは……!?」

「あら」

全員が一際ニンマリとした笑みを浮かべる。

「本気で武功を立てたいと思ってここにくる人なんかいないわよ」

「え……」

「だって、できるわけないでしょう? 女の身で」

 その言葉に、部屋の空気がひどく揺れたような気がして、うまく呼吸ができなくなる。

 女の身で。

 何度も聞いてきた言葉だ。聞き飽きるほど聞いた言葉だった。それなのに、ここで、それを当たり前みたいに、しかも女性の口から聞かされるとは思っていなかった。

「ほとんどは貧乏貴族の娘よ」

 金髪の女が脚を組みながら言った。

「王家に顔を売るためとか、結婚相手を探すためとか、その程度。女騎士なんて物珍しい肩書きがつけば、夜会でも話題になるでしょうしね」

「第四騎士団との合同任務もあるらしいものね」

 別の女が、うふふ、と笑う。

「素敵な騎士様に見初められでもしたら、儲けものだわ」

 私はその場に立ったまま、息をするのを忘れそうになった。

 ここは、何なのだろう。

 私が来たかった場所ではなかった。

 少なくとも、夢見ていた場所ではない。

 王国初の女性騎士団。

 その響きだけを頼りに、ここまで来た。笑われても、遠くても、怖くても、ようやく辿り着いたと思った。なのに、目の前にあるのは剣ではなく茶会で、覚悟ではなく打算だった。

 誰かが、私の沈黙を見てまた笑う。

「やだ、まさか本当に戦う気で来たの?」

 その声で、ようやく私は、自分が拳を握りしめていることに気づいた。

 爪が手のひらに食い込んで、少し痛い。

 でも、その痛みのおかげで、かろうじて頭が冷えた。

 怒鳴ってしまうのは簡単だ。違う、と誤魔化すのも簡単だ。けれど、それをしたところで何になるのか。

 私は深く息を吸って、努めて静かに答えた。

「……私の名はセラ・アシュフォード。平民ですが、誇り高いアシュフォード家の娘です。私は自分の剣で人を救うためにここに来ました」

「はあ?」

「実態がどうであれ、私は今日から王立白薔薇騎士団の一員、つまり国民にとっては騎士です。仕事仲間である貴女方と争うことは本意ではありませんので、どうか仲良くしましょう」

 テーブルを囲んでいた女たちは、いかにも私の言葉を一つも受け取っていなさそうな、ポカンとした顔をした。

 私はそれ以上言葉を重ねず、部屋の隅の空いた席へ向かった。案内役の女性が「で、では全員揃ったところで気を取り直して……講義にいたしましょうね」と歩み出るが、その女性もまた、私のことを怪訝そうな顔で見ているのがわかる。

 ――でも、大丈夫。

 そんなの、もう気にしない。

 笑われるのは、前世からの十八番なんだから。


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