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⑨ アルベルト視点

 僕の世界は、薄暗く冷たい石造りの部屋の中だけだった。

 天井近くにある小さな窓から光が差し込んでいる時と、その光が消えてしまう時の二種類がある。


 光がある時は、たまに食べ物を与えられる。

 暗くなると、自分で光の球を出して部屋を明るくする。

 なんとなく、何も見えない暗闇が恐ろしかったからだ。


 いつからそうやって、その部屋にいたのかはわからない。

 誰も僕に話しかけることなく、僕も誰とも話をすることはない。

 その部屋に連れてこられる前は、別なもっと温かな場所にいたような気もするが、はっきりとは思い出せなかった。


 気が付いたらそこにいて、僕にとってはそこが世界の全てだった。


 それが変わったのは、僕の前にレフィが現れた時だった。


 レフィはそれまで僕が知っているのとは違う人間だということが一目でわかった。

 後でわかったことだが、老人という種類の人間だったのだ。

 

 真っ白で伸び放題な髪に、皺だらけの手と顔。

 痩せた体に真っ黒なローブを纏い、暗闇でも光る金色の瞳で僕を見下ろしていた。


「ほう、これはこれは」


 レフィは僕の前髪を掴むと、顔を近づけてきた。

 

「うむ、これならなんとかなるだろう」


 それから僕はレフィに連れられて、薄暗い部屋から外に出た。

 外の世界は眩しく光に満ち、様々な色彩に溢れていた。

 

 後から聞いたところによると、僕があの部屋から出るのは五年ぶりくらいだったそうだ。


 僕はレフィの家に連れていかれ、そこでまた初めて見る老女という種類の人間の出会った。

 老女はメイドでもあるそうで、汚れていた僕を丸洗いして髪を短く切りそろえ、きれいな服を着せてくれた。

 

 その日から、僕はレフィの家でメイドと三人で暮らすようになった。


 なにもできない僕は、メイドから顔の洗い方、食事のマナーだけでなく、身の回りにあるものの名前などを教えれらた。

 おぼつかなかった会話もなんとかできるようになると、今度は読み書きや計算を教えられるようになった。


 それがある程度身についてから、レフィは僕の前に一冊の本を差し出した。


「魔術の本だ」


「まじゅつ?」


 首を傾げた僕に、レフィは僕があの部屋でつくっていたのと同じような光球を掌から出して見せた。


「これが魔術だ。おまえもできるだろう?」


 僕は頷いて、久しぶりに光球を宙に浮かべた。

 二つの光球に照らされた室内は、眩しいくらいだった。


「おまえの金色の瞳は、人の身には多すぎる魔力を持っている証だ。

 そのせいでおまえの母は命を落とし、おまえは地下牢に幽閉されることになったのだ」


『地下牢』があの部屋のことだとはわかったが、『母』というのがなにかはこの時の僕にはわからなかった。

 風呂場にある鏡というもののおかげで、僕の瞳がレフィと同じ色だということは知っていたが、それに意味があるとは考えたこともなかった。


「儂は生涯をかけて魔術の研究をしておる。

 そして、おまえは儂の研究を受け継ぐ後継者となる。

 そのために、おまえの父からおまえを貰い受けた」


『父』という人間には心当たりがあった。

 きっと、あの部屋にいるときに、数度だけ僕を見に来たことがある人間のことだ。

 いつも食べ物を持ってきてくれる人間になんだか偉そうにふるまいながら、僕に向かって『父』がどうのと言っていた気がする。

 

「どうやらおまえは頭も悪くなさそうだ。

 幼いながらに自力で魔術を行使していたあたり、適正もあるのは間違いない。

 おまえの努力次第では、儂を超える魔術師になるのも難しくないだろう。

 厳しい道だが、成し遂げてみせよ」


 というわけで、わけもわからないままに僕は魔術師レフィの弟子になった。

 レフィが言っていた通り、幸いにも僕は魔術師に向いていた。

 

 基礎を教えてもらうと、すぐに光球以外の魔術も使いこなせるようになった。

 魔術に関する書物はいくらでもあったから、僕は片っ端から読んで、記されている魔術を試してみるのが楽しくてしかたがなかった。


 俺がレフィの家にあった書物の大半を読んでしまうと、レフィは俺に研究の手伝いをさせ始めた。

 指示に従い魔術陣を描いたり、素材を切り刻んだり混ぜ合わせたりして、新しい魔術を造り出すのだ。


 それまでは本に書いてある通りにすれば、本に書いてある通りの魔術を展開することができたのだが、研究となるとそうはいかない。

 失敗したらその原因を究明し、試行錯誤を繰り返す。

 どれだけ慎重に進めても、上手くいかないことの方が多いのだ。


 僕はそんな魔術の研究に夢中になった。

 放っておけば寝食を忘れて研究に没頭する僕を、メイドは無理やり本から引き離し食事をとらせては寝台に押し込んだ。


 それがどうにも煩わしくて、ある時メイドの手を力任せに振り払ったことがある。

 すると、メイドは後ろにあった台に腰をぶつけ、床に倒れてしまった。


 僕もなにかに躓いて転ぶことはあるがすぐに立ち上がるから、メイドもそうするのだろうと思っていたが、いつまでも床に座り込んでいる。

 どうしたのかと尋ねると、腰と足を痛めて立ち上がれないというのだ。


 この時初めて、僕は悪いことをしてしまったのだということに気が付いた。

 同時に、いつの間にやらメイドが随分と小さくなってしまっているということにも気が付いた。 

 僕の体が大きくなったということもわかっているが、それにしてもメイドは初めて会ったころより前屈みになり、手や顔の皺も増えて、明らかに小さくなっている。


 メイドは、それが老いるということだと教えてくれた。

 人間は年を取ると体が大きく成長していくが、ある時からは老いて小さく弱くなっていくのだそうだ。


 そういえば、レフィも最近小さくなっている。

 レフィも老いているのだ。


 僕はメイドを助け起こした。

 それ以上どうしていいのかわからない僕に、メイドは言った。


「悪いことをしたと思ったら、『ごめんなさい』と言うのですよ」


 それは、初めて聞く言葉だった。

 だが、メイドが言うのならそれが正しいのだろう。


「……ごめんなさい」


 素直にそう言うと、メイドは久しぶりに僕の頭を撫でてくれた。

 思えば、このメイドの手がくれる温もりだけが、僕の知る温もりだった。


 それから僕は研究を方向転換し、魔術具を開発することにした。

 メイドがいつもしている仕事の代わりができるようなものを開発すれば、小さくなったメイドの助けになると思ったのだ。


 しばらくして、汚れた布を入れるときれいにしてくれる魔術具が完成した。

 これで、メイドがいつもしている洗濯というのをする手間が省けることになる。

 

 きっと喜んでもらえると思い、真っ先に知らせようとメイドの姿を探した。

 そして、床に倒れているメイドを見つけた。


 声をかけても揺すっても、目を覚まさない。

 いつも温かかった手も、冷たく硬くなっていた。


 どうしていいかわからなくて、レフィに報せた。


「メイドは死んだ。

 もう年だったからな、仕方のないことだ」


 困惑する僕に、レフィは簡潔に教えてくれた。


 老いて小さく弱くなった人間は、最後はこうやって死ぬのだということを僕はこの時知った。


 死というのは、眠ったまま冷たくなって、もう目覚めないということなのだ。

 

 メイドはどこかからやってきた男たちに連れ去られ、土に埋められ『埋葬』されたのだそうだ。


 もう二度と、メイドのお小言を聞くこともなければ、皺だらけの手で撫でられることもない。

 そう思うと、胸の中にぽっかりと穴が開いたような気がした。

 

 それからは、別のメイドが来て死んだメイドと同じように働くようになった。

 違うのは、今度のメイドは顔にも手にも皺がない若い女という種類の人間であるということと、なぜか必要以上に僕にベタベタと触ることだった。


「なぜ僕に触るの?」


「だって、アルベルト様は公爵様のご令息ですもの。

 仲良くしたいと思うのは当然ではありませんか」


『公爵様のご令息』ということになんの意味があるのかわからなかったが、新しいメイドに触られるのは不快だった。

 同じメイドなのに、その手からはちっとも温かさが感じられなかった。


 とはいえ、仕事は普通にしてくれていたし、レフィもなにも言わなかったので僕は我慢していた。


 ただ、新しいメイドのために魔術具を開発したいという気にはどうしてもならず、以前のように新しい魔術を研究することにした。

 

 そうしているうちに、今度はレフィが死んでしまった。

 夜にいつものように寝台に横になったまま、朝になっても目を覚まさなかったのだ。


 レフィもメイドと同じように『埋葬』され、僕の前からいなくなった。


 それからも僕はひたすら魔術の研究を続けた。

 それ以外の生き方を僕は知らなかった。

 

 新しいメイドもそれまでと同じように僕の世話をしてくれたので、たまに不快なこと以外は不自由も感じなかった。


 そんな生活がずっと続くものだと思っていたのに、また唐突に終わりが訪れた。


 思うように展開しなかった魔術陣を眺めながら、あれこれ改良する方法を考えていたところ、体の自由が利かなくなったのだ。


 僕は床に倒れ、動けなくなった。

 どうやら、メイドがいつもどかから運んでくる食事に毒かなにかが盛られていたらしい。

 魔術も使えず、声も出せず、そのままあのメイドやレフィのように死ぬのかと思ったところで、『父』が現れた。


 数年ぶりに僕の前に現れた『父』は僕の腕を掴み、家の外に引きずり出した。


 なんでも、僕の『兄』というのが死んだのだそうで、僕を『兄』を生き返らせるための魔術の生贄にするというのだ。


 そんなことをしても無駄だ。

 なにをどうやったって、死んだものが生き返ることはない。

 

 メイドが死んだ時、レフィがそう言っていた。

 魔術書にもそう書いてあったから、間違いない。


 それに、生き返りの魔術は僕も試してみたことがある。

 バッタの死骸で実験を繰り返し、命というものは魔術で制御できるものではないということがよく理解できたという結果で終わった。


 死んだら、そこで終わり。

 もう二度と目覚めることはないのだ。


 それをよくわかっていたのに、その時の僕には『父』にそれを伝える術すらなく、ずるずると引きずられていった。


 そうして連れていかれたのは、大きな寝台が置いてある部屋だった。

 どうやら、その上に寝かされているのが死んでしまった『兄』であるらしい。


 床に描かれた大きな魔術陣の中央に、僕の体は乱暴に投げ出された。


『父』が描いたのかどうか知らないが、その魔術陣は一瞬見ただけでもあちこちデタラメだということがわかった。

 それでも、それを伝える術もない。


『父』は魔術陣に魔力を流し、起動しようとした。

 不完全な陣に多大な魔力を無理やり流し込んだものだから、上手く循環できない魔力がパチパチと火花を散らす。


 マズい。

 このままでは、魔術陣が耐えられず壊れてしまう。

 これだけの魔力を取り込んだ魔術陣がそんな壊れ方をしたら、大爆発を起こすことになる。


 そう思って焦っていたところ、さらにマズいことに魔術陣は僕の魔力まで吸い取り始めた。

 意図してそうなっていたのかは不明だが、とにかくこれは本当にマズい。


 もう死んでいる『兄』はともかく、僕も『父』もこのままでは死んでしまう。


 なんとか抗おうとしたところで、轟音が響き目の前が真っ白になった。

 

 僕は自分の死を悟った。

 もし僕の体が粉微塵にならず少しでも残っていたら、メイドとレフィの近くに『埋葬』してくれないかな。

 そんなことを思いながら、僕の意識は途切れたのだった。

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