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 それからきっかり三か月の間、私は夫人が言っていたとおり淑女教育を叩きこまれた。


 歩き方、立ち方、座り方はまだわかるが、くしゃみのし方や笑い方まで細かく指導され、貴族って窮屈なんだなと改めて思った。


 テーブルマナーやカーテシー、ダンスの初歩くらいまで習ったところで時間切れとなった。

 たった三か月しかなかったのだから、これでも頑張ったほうだ。

 

 私は元平民で体力があるから大丈夫だったが、これがもしヨランダだったら途中で寝込んでいただろう。

 それくらい過酷な淑女教育だったわけだが、家庭教師のおばさんも私ほど体力がある生徒は初めてだったようで、最後のほうは私より疲弊して窶れていたのは少し面白かった。


 私は男爵家から持ってきたトランクと、木箱二箱分くらいのわずかな荷物とともに馬車に押し込まれて、誰にも見送られることなくボスマン侯爵家の屋敷を後にした。

 目的地であるフェルデン公爵の住む屋敷は、王都から五日もかかるユルク村というところにあるのだそうだ。

 意外にも終始不機嫌顔な初老のメイドが一人ついてきたが、その理由は屋敷に到着する日の朝にわかった。

 

 メイドは木箱から深紅のドレスを取り出し私に着せ、私の顔にド派手な化粧を施したのだ。

 つまり、このメイドの役目は私に『稀代の悪女』の装いをさせることだったわけだ。


 そんなわけですっかり悪女仕様になった私は、フェルデン公爵の屋敷の前に送り届けられた。


 そして、夫となるアルベルト・フェルデン公爵閣下と記念すべき初対面を果たし、目出度く正式な夫婦となった。

 あくまでも書類上の夫婦ではあるが、とりあえず当初の目的はこれで果たされたということでいいのだろう。


「あなた、パウエルといったかしら」


「はい。家令を務めさせていただいております」


「これからお世話になります。

 よろしくお願いね」


「もったいないお言葉でございます、奥様」


 奥様と呼ばれると、なんだかむずがゆくなってしまう。


「自己紹介の挨拶をするから、他の使用人を集めてくれる?」


「……使用人は、私とそこにいるメイドの二人だけです」


「は? 二人しかいないの?」


「料理は、近所の農家のご婦人に通いでお願いしていますので」


「馬は? 厩はないの?」


「馬車は倉庫の中にあります。

 それを牽くための馬も二頭おりますが、当家では馬車を使うことはほぼありませんので、近所の農家に預けてあります。

 馬たちは、元気に荷馬車を牽いて活躍していますよ」


「えぇぇ~……」


 なんというか、これは予想外だ。

 公爵閣下のお屋敷なのだから、ボスマン侯爵家より豪華でたくさんの使用人がいるのだと思っていたのに。

 きっと立派な軍馬もいると思って、それだけを楽しみにしていたのに。


 とはいえ、驚いていてもしかたがない。

 それならそうと、現状を受け入れるだけだ。


「公爵閣下は、北の塔というところに向かわれたのかしら」


「はい。旦那様は普段は北の塔に閉じこもっておられます」


「なるほど、北の塔に近寄らなければ旦那様に鉢合わせすることもないわけね。

 わかりやすくていいわ。

 では、これ以降は私の好きにさせてもらっていいのよね?」


「もちろんでございます。

 なんなりとお申し付けください」


 よろしい、と私は頷いた。


「では、まず私の荷物を部屋に運んでちょうだい」


「かしこまりました」


「手早く着替えて化粧を落としてくるから、あなたはお茶の準備をしておいて。

 私とあなたとさっきいたメイドの、三人分ね」


「三人……でございますか?」


「そうよ。

 あなた、私に説明しなくてはいけないことがあるでしょ?

 私も、初めに言っておかなくてはいけないことがたくさんあるの。

 まずは、腰を据えてそういった話をしましょう。

 これから同じ屋敷で暮らすのだから、自己紹介は大事だと思うの」


 モーリス男爵家でも、新しい使用人が雇われたら全員できちんと自己紹介をすることになっていた。

 円滑な人間関係を築くためには、相互理解が大事なのだとメイド長がよく言っていたものだ。


「……奥様が聡明な方で安心いたしました。

 おっしゃるとおりにいたします」


 パウエルは目に見えてほっとした顔になった。


 そうよね。

『稀代の悪女』を嫁に迎えたんだものね。 

 本物の悪女なら使用人にも酷い態度をとるものだろうけど、当然ながら私はそんなことはしない。


 お屋敷は三階建てで、歴史を感じさせる立派な建物だが、私のために用意されていたのは一階にある客室だと思われる部屋だった。

 

「使用人が二人だけで住んでいるような屋敷ですので、一階の一部しか使っていないのです。

 ご希望でしたら、二階か三階にある部屋を整えますが……」


 メイドのイルセは、私のコルセットの紐を解きながらそう説明してくれた。


 ちなみに、パウエルとイルセは夫婦なのだそうだ。

 同じくらいの年代で、なんとなく雰囲気も似ていたからそうなのかなとは思っていた。

 

「私にはこの部屋でも十分すぎるくらいよ。

 そんな余計な手間はかけなくていいわ」

 

 実際、私がモーリス男爵家で使っていた使用人部屋の十倍くらいの広さがあるのだ。

 設置されている家具も比べ物にならないくらい立派なものばかりだし、不満なんてあるわけがない。


 私は重たいドレスを脱いで化粧を落とし、少し迷ってヨランダのお下がりのドレスに着替えた。

 久しぶりにコルセットもない動きやすい服装になると、それだけでいい気分だった。


 パウエルが準備しておいてくれたのは、庭で栽培しているハーブの葉を煮だしたいい香りのするお茶と、素朴でシンプルな焼き菓子だった。 

 甘いクリームも見た目の彩りもないが、素材の味が感じられて美味しい。


「ええと、まずは旦那様のことを、できる限りでいいから教えてくれないかしら。

 私は事情により貴族としての教育をほとんど受けていないから、お名前くらいしか知らないの」


「承知いたしました」


 頷いたパウエルは、とても基本的なところから教えてくれた。


 旦那様は、現在二十二歳。

 今から十年前に前公爵であるお父様が亡くなり、公爵位を継いだ。

 母も一人だけいた兄もその前に亡くなっており、家族は誰もいない。

 普段は住居兼研究所である北の塔からほとんど出てくることもなく、魔術具の研究開発をしている。 

「少し前の新聞で読んだわ。

 確か、音を保存しておくことができる魔術具を少し前に開発をなさったとか」


「そう、その通りです。

 旦那様は、魔術具の開発においては大変優秀な方なのですよ」


 パウエルは嬉しそうに微笑んだ。


「旦那様は……あのように少々変わったところはおありですが、決して悪い方ではありません。

 私たちに無理を言ったり、我儘を言ったりなさることもありませんし、とてもわかりにくくはありますが優しいお方です」


 パウエルの隣でイルセも頷いて同意している。


 どうやら、マリーナが言っていたように生き血を吸われることはなさそうだ。


「奥様についての情報は、とある筋からおおよのことは事前に伺っております。

 ボスマン侯爵の庶子で、少し前まで平民として生活なさっていたと」


 だから、私がこんな悪女らしからぬ態度でも驚かないのだ。

 家令がわかっていることが、なぜ旦那様に伝わっていないのだろう。


「そのとおりよ。

 侯爵の娘だってことを知ったのも、つい最近なのよね」


 私はひょいと肩をすくめて、焼き菓子を口に放り込んだ。


 うん。やっぱり美味しい。

 こういうお菓子は、男爵家以来だ。


 とある筋のことは、追求しないことにした。

 世の中には知らないほうがいいこともあるのだ。


「確認だけれど、旦那様は『稀代の悪女』を妻に求めた、ということは事実なのね?」


「はい。

 旦那様は、奥様が悪女としてふるまうことを本心から望んでおられます」


「フェルデン公爵家を潰すために?」


「さようでございます。

 私たちの口からはご説明できないのですが……

 旦那様は公爵家を憎んでおられます」


「そこまで自分の家を憎むなんて、きっとよほどのことがあったのでしょうね」


 パウエルとイルセは揃って眉を下げた。


「私たちが旦那様にお仕えするようになったのは、旦那様が公爵になられてからのことです。

 どうやら、その直前になにやら大変なことがあったようなのですが……

 私たちも詳しいことは存じません」


「もしかして、それが旦那様が『悪魔公』なんて呼ばれるきっかけになったのかしら」


「いえ、それは……」


 パウエルは言い淀んだ。

 きっと使用人の立場からは口にできない内容なのだ。


 私も男爵家に仕える使用人として、主家の情報を外部に漏らさないようにということは小さいころから口を酸っぱくして言われていた。

 使用人なら誰しもが厳守すべき、基本中の基本なルールだ。


「言えないことは無理に聞いたりしないわ。

 今教えてくれた情報だけで十分よ」


 会うのもさっきのが最後って言われたし、もう関わることもないだろうからね。


「旦那様には申し訳ないけど、私はお求めの悪女じゃないの。

 愛人を囲うなんてなにをどうやったらいいかわからないし、賭博にも興味はないし、高価な宝石やドレスも別に欲しくないのよね」


「そうでしょうね。

 それが普通でございますよ。

 旦那様は好きにしろともおっしゃいましたから、奥様は好きなことを好きなようになさったらいいと思います」


「それはありがたいけど……私はなにをしたらいいのかしら。

 あ、領地経営のお手伝いとか?」


「それに関しては、優秀な代官が責任を持って請け負っておりますので、奥様が手を出される必要はございません。

 屋敷もこのような状態ですし、取り仕切る家政というものもありません」


「つまり、公爵夫人としての仕事はないということね。

 どうしましょう、暇を持て余してしまうわ」


 溜息をついた私に、イルセがおっとりと微笑んだ。


「大丈夫ですよ。

 旦那様は奥様に好きなことをしていいとおっしゃったのです。

 なので、いくらでも好きなことをなさってください。 

 予算も潤沢にありますから、たいがいのことは可能だと思いますわ」


 浪費しろって言われたくらいだから、お金はたんさんあるのだろう。

 それにしても、公爵家が傾くにはどれだけ浪費すればいいんだろ


「お望みなら楽団や劇団を呼び寄せることもできますし、売り出し中の画家や芸術家のパトロンになってもいいかと思います」


「いかにも貴族らしい、お金がかかりそうな趣味ね。

 私は、あまりそういうのは興味ないわ……」


 大衆向け演劇は何度か観に行ったことがある。

 楽しいとは思ったが、そこまで入れ上げるほど熱中はできなかった。


 ボスマン侯爵家に飾ってあった有名画家の絵もいまいちなにがいいのかわからなかったし、私には芸術関係は向いていないと思う。


「それなら、ガーデニングなどいかがです?」


「ガーデニング?」


「私たちは王都の別のお屋敷で働いていたのですが、畑を耕して野菜を育てたり、好きな花を植えたりするようなスローライフがしてみたくて、長閑なユルク村で旦那様にお仕えするという仕事を引き受けたのですよ」


「そうなの⁉」


 私は目を丸くした。


「妻は気管支が弱いので、いつか空気のきれいな田舎でのんびりと暮らしたいと思っていたのです。

 息子たちももう成人して、それぞれ家庭を築いて私たちの手を離れましたので、ここで働くというお話を頂いた時は、喜んで飛びついたくらいです」


「ここに来てから、王都にいた頃よりも体調がよくなりました。

 不便なこともありますけど、私たちはここでの生活を楽しんでおりますよ」


 穏やかに微笑む二人に、私はなるほど頷いた。

 言われてみれば確かに、そういう意味では自由なことがいくらでもできるのだ。


「私は王都で生まれ育ったから、王都から遠く離れた田舎の事情はさっぱりわからないの。

 まずは、そういうことを調べてみることにようかしら。

 そうしているうちに、なにか挑戦したいことが見つかるかもしれないものね」


「それがよろしいでしょう。

 私たちもお手伝いしますので、なんなりとお申し付けください」


「ふふふ、これからよろしくね。

 あ、そうだわ、私のことは奥様ではなくソフィーって呼んでくれない?

 あだ名みたいなものだと思ってくれたらいいわ」


「かしこまりました。

 今後はソフィー様とお呼びしますね」


 奥様呼びは落ち着かないし、ディアナと呼ばれるのも違和感がある。

 好きにしていいと言われているのだから、名前もすきにさせてもらおう。

 

 当面の方針が決まったことにほっとしつつ、お茶をまた一口飲んだ。


 私の公爵夫人としての生活は、こうして始まったのだった。


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