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 馬車が停まったのは、ボスマン侯爵家の表玄関ではなく裏口だった。


 さすがは侯爵家、裏口でもモーリス男爵家の表玄関より立派だ。 


「皆様がお待ちです。こちらへどうぞ」


 そこで私を待っていた家令だと思われる男性に案内され、豪華な設えの部屋に通された。

 

 室内にいたのは、壮年の男女と私と同年代くらいの女の子が一人。


 男女は侯爵夫妻で、女の子はディアナかマリーナのどちらかなのだろう。


「ソフィーと申します」


 私はとりあえずそう言って頭を下げてみた。


「ソフィーか。よく来た」


 意外にも優しい声でそう言ってくれたのは、私の実の父であるはずの侯爵。

 

 金髪で青い瞳の、瘦せ型の男性だ。

 今でも十分に美形な顔立ちをしているとは思うが、なんだか生気がないというか、影が薄いような印象だ。


 侯爵夫人は、じろりと私を見ただけでなにも言わない。

 言葉をかける価値すらないと思っているのが、その表情から伝わってくる。


 夫と浮気相手との間にできた子である私は、夫人からしたら忌々しい存在なのだろう。

 だからといって、悲しんだり傷ついたりするほど私は繊細ではない。

 気持ちはわかるし、最初から歓迎されることなど期待していなかったので、ああそうですかと受け流すだけだ。


「ふぅん、これが私の新しいお姉様なの。

 前のお姉様よりは、多少はマシかしらねぇ」


 女の子はあからさまに私を値踏みする視線を向けながら近づいてきた。

 私をお姉様と呼ぶということは、姉ディアナではなく妹マリーナのようだ。


「使用人として男爵家で働いていたそうね。

 メイドだったの?」


「……厩番をしておりました」


「まぁ! どうりで獣臭いと思ったわ!

 半分は尊い侯爵家の血を引いているというのに、みじめだこと!」


 厩番の仕事に誇りを持っていた私はムカッときたが、こんなことを言われるのも予想の範囲内だったので無表情で通した。


「それに、そのドレスはなぁに?

 デザインも古いし、サイズも合っていないじゃないの」


 このドレスは私より背が低いヨランダのお下がりだから、丈が少し足りていない。

 それに、ドレスというより普段着に近いものなので、本当のことを言われても特に腹も立たない。


 仮にヨランダが所持している最上級のドレスを着てきたとしても、同じことを言われただろう。

 どうせ侯爵令嬢のお眼鏡に適うはずがないのだ。


「あなた、ただの平民娘として育っていたのでしょう?

 侯爵家の令嬢に格上げされた幸運を、泣いて喜んだのではなくて?

 慈悲深い私たちに平伏して感謝なさい!」


 それは、心の底から嫌だ。


 私は少しも感謝なんかしていない。

 むしろ大変迷惑をしている。

 それに、私をどうにかして利用する目的で呼び戻しておいて、慈悲深いもなにもあったものではない。


 私がマリーナを無言で見返すと、私が思ったような反応をしなかったから、マリーナの可愛い顔が憎悪に歪んだ。


 あーあ、これではせっかくの可愛い顔が一気に台無しではないか。


「な、なによ、その目は!

 半分平民のくせに生意気だわね!

 あなたも鞭で打たれたいの!」


 今、あなたもって言ったよね?

 ということは、ディアナも鞭で打たれていたということなの?

 しかもこの感じだと、かなり日常的にそんな暴行が行われていたのではないだろうか。


 これは、私が思っていたより闇が深そうだ。


「およしなさい、マリーナ。

 その娘は、もうすぐ悪魔公の妻になるのよ。

 傷をつけてはいけないわ」

 

「でも、お母様!」


「こちらへいらっしゃい。

 私がその娘に話をするわ」


 不満そうな顔をして私を睨みながらも、マリーナは夫人の横に腰かけた。

 どうやら母娘の仲は悪くなさそうだ。


「ソフィー、といったわね」


「はい」


「その名前は捨てなさい。

 あなたは今日からディアナになるの」


 うん? どういうこと?


「あなたはボスマン侯爵家の長女ディアナとして、三か月後に悪魔公に嫁いでもらいます。

 それまでの間、淑女教育をみっちり仕込むから覚悟なさい」


 あくまこう……?

 悪魔公、ってこと?

 なにそれ?

 それ以前に、私がディアナになるってことは、本物のディアナはどうしているの?


「これは決定事項であり、口答えは許されない

 もし逆らえば、モーリス男爵家に罰を与えるわ。

 いいわね?」


 まるで生ゴミを見るような目を私に向けながら、夫人はぴしゃりと言い切る。

 山のように疑問はあるが、これ以上の説明など望めないのは火を見るよりも明らかだ。


「……はい、かしこまりました」


 とりあえず、ここは大人しく従うしかない。

 詳しいことは追々探ることにしよう。


 そう思っていたのだが、すぐにその必要はないとわかった。


「悪魔公というのは、アルベルト・フェルデン公爵のことよ。

 強すぎる魔力のせいで悪魔のような恐ろしい容姿になってしまったのですって!

 そんな男に嫁がされるなんて、可愛そうなお姉様!」

 

 これから三か月私が寝起きすることになる簡素な部屋に通され、荷物の整理をしようとしたところで、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべたマリーナがやってきて一方的にあれこれまくしたて始めたのだ。


「悪魔公ったら、求婚の手紙にはっきりと『稀代の悪女ディアナ』を嫁に欲しいって書いてきたのよ。

 笑っちゃうわよね。

 お得意の魔術研究の素材にでもするつもりなのかしら」


 どうやら、悪魔公は魔術研究で知られているようだ。

 それなら、新聞かなにかでもっと情報を得られるかもしれない。


「前のお姉様は、お父様とお母様ががっかりするくらい地味だったの。

 妹の私はこんなに可愛いのに、って皆が言っていたわ。

 お姉様の婚約者だったマウリッツ様もね!」


 姉妹をそんな比べ方をするなど、無神経極まりない。

 侯爵家だからお上品なのだろうと思っていたが、お上品ぶっている分余計に陰険に思える。


「でもね、私はそんなお姉様のことが大好きだったわ。

 だって、とっても便利だったんだもの。

 隣にいるだけで絶好の引き立て役になるし、お姉様の名前をつかって夜遊びすれば私の名は傷つかないで済むでしょう?

 ついでに、可愛い妹に嫉妬して虐める性悪姉って噂も広げておいたから、誰も疑わなかったわ。

 マウリッツ様もそんな女と結婚するのは嫌だっておっしゃって、お姉様との婚約を破棄して私と婚約を結びなおすよう皆を説得してくださったのよ!」


 つまり、『稀代の悪女」というのはマリーナのことで、ディアナはただ名前を利用されただけということか。


 誰も疑わなかったというのは、真実ではない。

 少なくとも、ヨランダは疑っていた。

 この様子だと、おそらく他にも同じようなひとはいると思う。

 

 マウリッツというのがどういう男なのかは知らないが、婚約者なのにこんな簡単な欺瞞に気が付かなかったのだろうか。


「それで……本物のディアナ様はどこに?」


 夫人とは違い、受け答えくらいできそうだと当たりをつけて、恐る恐る質問をしてみた。


「知らないわ。

 悪魔公との婚約が決まってすぐいいなくなったの。

 今頃どこかで野垂れ死にでもしてるんじゃない?」


 こんな家族に見切りをつけて、出奔したんだろうな。

 私がディアナだったらそうする。


 家から離れても生きていけるという算段をつけた上での、計画的な出奔であったことを願うばかりだ。


「半分は卑しい平民のあんたが、こんなに可愛い私の姉だなんておこがましいにもほどがあるわ。

 悪魔公に生き血でもすすられて死ねばいいのよ!

 その前に、三か月も侯爵令嬢としての生活を満喫できるんだから本望でしょ。

 せいぜい楽しむといいわ!」


 マリーナは足元に置いてあったトランクを蹴り飛ばすと、満足気な顔で去っていった。


 私を虐めたかったのだろうが、残念ながらほぼ私にダメージはない。

 むしろ、知りたかったことを全て教えてくれてありがとうと言いたいくらいだ。


「あら……」


 改めて荷物の整理をしようとトランクを開くと、入れた覚えのないものが目に飛び込んできた。


「バウデヴェインと、『死に戻った悪役令嬢の優雅で華麗なる復讐劇』……

 しかもこれ、初版じゃないの!」


 バウデヴェインとは、ヨランダのお気に入りの兎のぬいぐるみの名だ。

 そして、『死に戻った~』は私もヨランダも大好きな小説。


 どちらも、彼女の宝物だったものだ。


「ありがとう、ヨランダお嬢様」


 その二つを抱きしめると、冷えていた胸の中が温かくなってくるのを感じた。


 大丈夫。私は、きっと大丈夫だ。

 だって、私の中にはたくさんの愛された記憶があるのだから。

 これがある限り、私はどこででも生きていける。

 

 血の繋がった父と対面すれば少しくらいなにか感じるものかと思っていたが、拍子抜けするくらい心が動かなかった。

 半分血が繋がった異母妹も同じで、やっぱり私の家族は養父母だけなのだと確信できただけだった。


 私がディアナになりすまして悪魔公に嫁がされるは決定だが、幸せになることまで諦めたわけではない。

 

 愛情いっぱいに育ててくれた養父母のためにも、宝物をくれたヨランダのためにも、私は幸せにならなくては。

 

 私は決意を新たにし、荷物の整理を始めた。


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