③
その夜は、私はこれで最後だからとヨランダの部屋で一緒に眠ることになった。
「こうしてソフィーと眠るのも、久しぶりね」
小さいころはたまにこうして二人で眠っていたのだが、ヨランダの淑女教育が本格的に始まってからはそういうことはなくなった。
「あのね、ソフィー。
あなたに話しておきたいことがあるの」
彼女は私と同じ毛布にくるまりながら、神妙な顔をした。
「ボスマン侯爵家のことでしょうか?」
「そうよ。
これまで放置していた庶子をわざわざ引き取ろうというのだから、きっと面倒な事情があるんだわ」
「そうでしょうね……」
それは、私もそう思っていた。
「だからね、侯爵家について私が知っていることを、全てあなたに伝えておきたいの。
あなたがあっちでどう扱われるのかはわからないけど、手札は多いほうがいいに決まっているものね」
そのために、こうしてこそこそと内緒話ができるような状況をつくってくれたのだ。
私は感謝しつつ、彼女の話に耳を傾けた。
ボスマン侯爵夫妻は、モーリス男爵と同年代の四十代くらい。
その当時一番の美男だった侯爵に、王族の血を引く公爵令嬢だった夫人が一目惚れして、かなり強引に嫁入りしたのだそうだ。
侯爵家には二人の娘がいる。
十九歳の長女ディアナと、十七歳の次女マリーナだ。
私が十八歳だから、母の違う姉と妹がいるというわけだ。
ディアナが婿をとって侯爵家を継ぐことになっているのだが、ディアナには悪い噂がある。
妹を虐げ、あろうことかあちこちで男漁りなどの悪い遊びをしているというのだ。
「えぇ? それ、本当なんですか?」
思わず目を丸くした私に、ヨランダは顔を顰めた。
「あくまでも噂よ。
でも、社交界では知らない人はいないし、私が見たところ半分以上の人が信じているわね。
おかげで、ディアナ様は『稀代の悪女』って呼ばれてるのよ」
稀代の悪女、か。
なかなかインパクトのある二つ名ではないか。
ディアナは普通の夜会だけでなく、怪しげな仮面舞踏会や賭場にも姿を現し男を侍らせているのだそうだが、ヨランダはまだ未成年なのでそういった夜の催し物に参加することができない。
下っ端貴族のモーリス男爵も夜会にはほとんど参加しないので、そういう場面を実際に見たことはないのだそうだ。
「ただね、マリーナ様はお茶会でよく見るの。
金髪で、青い瞳で……言われてみれば、ソフィーに似てなくもないわね。
私は身分が違うから話をしたこともないけど、とても可愛いらしい令嬢よ」
ふっくら薔薇色の頬をした、いつも流行の最先端のドレスを見せびらかす令嬢。
とても虐げられているようには見えないのだが、水を向けると堰を切ったように姉にされたことを涙ながらにぶちまける。
髪飾りをとられたとか、誕生日プレゼントに祖父からもらった大切なぬいぐるみを燃やされたとか、本をぶつけられたとか、出来損ないだと言われたとか……
そして、必ず婚約者のマウリッツ様が可哀想だ、と言ってさらに同情を誘うのだ。
「マウリッツ・レイカールト。
レイカールト公爵家の三男で、なかなかの美男子よ。
悪い噂を聞いたことはないけど、だからといっていい人とは限らないから注意してね」
マリーナもマウリッツも、男爵令嬢でしかないヨランダでは身分的に近づくことができないので、直接言葉を交わしたこともないのだそうだ。
「お嬢様は、ディアナ様が悪女だという噂を信じていないのですね?」
「ええ、信じていないわ。
実は私ね、一度だけディアナ様に助けてもらったことがあるの」
八歳で初めて参加したお茶会で、緊張していたヨランダは転んでしまった。
ドレスは汚れ、擦りむいた膝が痛くて泣いていた時、声をかけてきたのがディアナだった。
彼女はメイドにヨランダの傷の手当とドレスの応急処置をするように命じ、その間ヨランダが心細くないように傍にいてお話をしてくれたのだそうだ。
「とても優しいお姉様で、私はすぐに大好きになったの。
次に会ったらお礼を言わなければと思っていたのに、それ以来お茶会でもディアナ様に会えることはなかったのよね。
随分前のことだからおぼろげな記憶になっているけど、マリーナ様と同じような金髪と青い瞳で、きれいな顔立ちをしていたと思うわ」
ということは、少なくとも色合いは私も似ているのだろう。
「私が知っているのはこれで全てよ。
あまり助けになれなくてごめんなさいね」
「いいえ、お嬢様。
教えてくださってありがとうございます。
私の実の家族がどんな感じなのかだいたいわかっただけでも、すごくありがたいです」
おそらく歓迎されることはないだろうという、心構えができた。
「ソフィー、あなたは私のお友達よ。
遠く離れても、身分が変わっても、それはずっと変わらないわ」
「はい、お嬢様。
私たちはこれからもずっとずっとお友達ですよ」
ヨランダの手をぎゅっと握った。
「私は、この家に引き取られてよかったと思っています。
旦那様のおかげでお父ちゃんとお母ちゃんの娘になれて、お嬢様ともお友達になれて、本当に幸せでした。
この先どうなるかはわかりませんけど、私は不幸になるつもりなんかありません。
全力で幸せを掴みに行きますから、見ていてくださいね」
私が笑って見せると、ヨランダも目に涙を浮かべて笑った。
「ええ、そうよね。
あなたなら、きっとそれができると思うわ。
大好きよ、ソフィー。
あなたの幸せを祈っているわ」
「私もヨランダお嬢様が大好きですよ。
お嬢様とモーリス男爵家の幸せを、私も祈っていますからね」
翌朝、ヨランダのお下がりのドレスを着た私はボスマン侯爵家から来た馬車に乗り込み、十八年間お世話になったモーリス男爵家を後にした。
馬車に揺られながら胸の中は不安でいっぱいだったが、同時に気合十分でこれからこの身に降りかかる試練に立ち向かう覚悟を固めていたのだった。




