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「旦那様はこれまでずっと仕事漬けでいらっしゃいましたからね。
しばらくお休みになるのもよろしいかと思いますよ」
アルくんの前にスープ皿を起きながらそう言うパウエルに、イルセも頷いた。
「ソフィー様、どうか旦那様に人生の楽しさを教えてあげてください。
それができるのは、ソフィー様だけなのですよ。
お二人ともまだお若いのですから、一緒に青春をなさってもいいのではありませんか」
二人とも、アルくんが仕事を休むのに諸手を挙げる勢いで大賛成している。
主人が食事も睡眠もおろそかになるくらい仕事に没頭するような不健康な生活を中断するというのだから、それも当然だ。
私は悪女ディアナの身代わりとしてユルク村に来てから、ほぼ毎日遊んでいたようなものだ。
そこにアルくんが加わるだけだと考えればいいのだ。
それに、王弟殿下であるロー様の許可があるのだから、なにも怖いものはない。
皆が私とアルくんが一緒にいることを望んでいるのだし、ここは大人しく従うほうがいい。
私は深く考えることは止めて、開き直ることにした。
「でも、それって具体的にどうしたらいいのかしら」
私はパンをちぎりながら首を傾げた。
「できるだけ野外に連れ出してあげてください。
旦那様はずっと室内にこもりきりでいらしたので、あまり外のことをご存じありませんので」
そういえば、小さなアルくんが木の枝を拾って振り回していたっけ。
あれはつまり、本当に子供だったころにそうやって遊んだことがないということなのだろう。
「旦那様はとても頭脳明晰でいらっしゃるのですが、魔術の研究以外はほぼ全ての面において経験不足です。
だいたいのことは旦那様にとって初めてのことになりますので、気長に根気よく見守ってくださるようお願いします」
小さいころは牢の中で、それからはずっと研究ばかりしてたんだよね。
もう二十三歳のアルくんだが、経験が偏りすぎていて一般常識に欠けているのはわかる。
今からでもそれを補うことができるなら、それに越したことはない。
「わかったわ。
じゃあ、アルくん。
明日は朝からお弁当をつくって、ピクニックに行くというのでどう?」
私は食卓の向かい側に座る彼に問いかけた。
「お弁当というのは、持ち運びができる食事のことだよね。
ピクニックは、外にでかけること。
つまり、どこか屋敷ではないところで昼食をとるんだね」
「そうよ。
そのお弁当も、私と一緒につくるの。
どう? 楽しそうじゃない?」
「楽しそう! すごく楽しそうだと思う!」
彼はぱっと顔を輝かせた。
「明日も朝からソフィーと一緒にいられるんだね。
嬉しいなぁ。
楽しみすぎて、今夜は眠れなさそうだよ!」
心から嬉しそうに大袈裟なことを言う彼に、私は苦笑した。
せっかく健康的になってきたのだから、仕事を再開してもこの状態を維持できるようにしてあげたい。
そのためにも、このタイミングでしばらく休息するのも必要なのだと思う。
というわけで、翌日からも私はアルくんと行動するようになった。
そこで最初に問題になったのは、彼とアニカを会わせても大丈夫なのか、ということだった。
北の塔にずっと引き籠っていた彼は、アニカに会ったことがないのだ。
私はもっと料理を習いたいし、これからも調理場に出入りしたい。
彼だけ調理場に入らないならアニカを避けることもできるだろうが、この様子だとそれは無理そうだ。
それに、彼が料理をできるようになるなら、それも悪くない。
きっといい経験になるだろう。
というわけで、アニカとアルくんを会わせることにした。
「アニカ、こちらはアルくん。
王都から来た、私のお友達よ。
アルくんもお料理を教えてあげてほしいの」
アニカは平民で、ごく普通の農家の奥さんだ。
そんな彼女にアルくんを紹介するのに、この屋敷の持ち主である公爵様だなんて本当のことを伝えたら怯えてしまうだろうから、パウエルたちとも話し合ってこういう設定にした。
「は、初めまして。
ソフィーのお友達の、アル、です」
彼は私が教えたとおりの挨拶をした。
貴族ではないのだから、仰々しい作法など必要ない。
人と接することに慣れていない彼はややしどろもどろな感じだったが、アニカはそんな彼を笑顔で受け入れてくれた。
「あらあら、可愛いお友達じゃないか。
私はアニカ。よろしくね、アルくん」
五人も子供を育てた彼女はとても懐が広く、少しのことで動じたりしない。
アルくんが最初に会う人物としては、最適ともいえるだろう。
予想どおり、アルくんはアニカにすぐ慣れた。
今日つくるのは、お弁当用のサンドイッチなので難しいものではないのだが、アルくんは真剣な顔でアニカの手元を覗きこんでいる。
「パンには、こうやって先にバターを塗っておくといいんだよ」
「なるほど!
そうすることで、水分がパンに沁み込むのを防ぐんだね」
「そうだよ。説明しなくてもわかるなんて、アルくんは賢いねぇ」
アニカはアルくんが情緒的に幼いところがあるのを、なにも言わなくてもすぐに察したようで、小さい子にするように丁寧に教えてくれる。
こういうところは、本当に頼りになる。
私も手伝うつもりだったのだが、ここはアニカとアルくんに全てお任せして、私はただ見守ることにした。
「見て、ソフィー!
お弁当ができたよ!」
バスケットにきっちり詰めたサンドイッチをアルくんが得意げに見せてくれた。
葉野菜の緑色にトマトの赤、卵の黄色もあり彩りもきれいに仕上がっている。
「すごく美味しそう!
食べるのが今から楽しみだわ」
「初めてでこれだけできたら、上出来だよ。
アルくんは器用だね」
褒められ、アルくんははにかんだように笑った。
「ソフィーに食べてもらいたくて、頑張ったんだよ。
僕の最初の料理をソフィーに食べてもらえるなんて、嬉しいなぁ」
「あらあら……アルくんとソフィー様は、お友達じゃなかったかい?」
「そうだよ。
今はまだ友達だけど、恋人に昇格できるように口説いてる途中なんだ。
ね、ソフィー」
「え、ええと……」
アニカの前でも、私への真っすぐな好意全開なアルくんに、私は赤くなった。
キラキラな笑顔を向けられても、私はどう返事をしていいのかわからない。
「若いっていいねぇ。
アルくんには、今度はソフィー様が好きなチーズケーキの作り方を教えてあげようね」
「ほんと⁉ やったー!
僕もチーズケーキ好きだよ!」
素直に喜ぶアルくんが、アニカにはとても可愛く映るようだ。
その気持ちは、私にもわかる
「気を付けていっておいで。
ちゃんとソフィー様をエスコートしてあげるんだよ」
「わかってるよ、アニカ!
またね!」
私たちはいい笑顔のアニカに見送られ、できたばかりのお弁当が入ったバスケットを持ってピクニックに出かけた。
少し遠出して、見晴らしのいい丘の上で食べたお弁当はとても美味しかった。
アニカが監修しているのだから間違いないというのもあるが、私だけのためにつくられたサンドイッチであるというのも大きいと思う。
ぱくぱくと食べる私を、アルくんはとても嬉しそうに見ていた。
「アニカも、僕の顔を見てもなにも言わなかったよね」
食事のあと、草の上に広げた敷布にごろんと寝ころんだ彼は、ぽつりとそんなことを言った。
今の彼はパウエルにより髪を短く整えられているので、二色の瞳も隠れていない。
「そうね。
アニカは、アルくんのことが気に入ったみたいよ」
私がそうだったように、アニカも赤い瞳の悪魔のおとぎ話なんて知らないと思う。
仮に知っていたとしても、それをアルくんとつなげて考えるなんてしないだろう。
「これからアルくんが外に出るようになったら、アニカ以外の人にも会うことになるわ。
ユルク村の人たちはみんないい人ばかりだからそんな人はいないと思うけど、もし仮にあなたを悪魔って言うような人がいたら、私がぶっとばしてあげる。
だから、なにも心配いらないわ」
「ソフィーがぶっとばすの?」
「そうよ。
私は厩番だったんだから、これでもそれなりに腕力はあるの!」
「それなら、もしソフィーに悪いことしようとするのがいたら、僕がぶっとばすよ。
そうしたら、僕たちは二人とも安全だよね」
私はともかく、アルくんにそんなことできるのだろうか。
いや、できるんだろうな。
だって、彼はこう見えて、とても優秀な魔術師なのだから、魔術でどうにかやってぶっとばすつもりなのだろう。
私の物理攻撃なんてたいしたことないが、魔術となるとどうなるのか想像もつかない。
そんなことにならないように、気をつけようと思った。
なにはともあれ、アルくんはアニカと仲良くなり、初めてのお料理も大成功で、ピクニックもとても楽しんでくれて、彼の休暇初日は大成功に終わったのだった。




