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「おはよう、ソフィー!

 今日から、北の塔の片付けをしようと思うんだ。

 手伝ってくれないかな?」


 翌日、朝食前に迎えに来た私を、アルくんはそう言って笑顔で迎えてくれた。


 朝食の席で詳しく話を聞いてみたところ、もっと私と仲良くなるためにはどうしたらいいかロー様に相談したら、一緒に作業をすればいいという助言を得た。

 そして、それには荒れ放題になっている北の塔の掃除がちょうどいいだろう、ということになったのだそうだ。


 これには、パウエルとイルセも大賛成だった。

 私も北の塔の惨状は気になっていたので、もちろん異論はない。


 というわけで、私はまずはあちこちに散らばっている雑誌や新聞から手を付けることにした。

 こういったものは明らかにアルくんの研究に関係するものではないから、処分しても差支えないだろうと判断したのだ。


 玄関から入ってすぐの部屋の、目につくところにある雑誌類を私が次々とまとめて紐で縛っていくのを興味深そうにしばらく眺めていたアルくんは、はっと気が付いたような顔をして奥の部屋に走っていった行ったかと思うと、古い雑誌を両手に抱えて戻ってきた。


「あっちの部屋にもたくさんあるんだ。

 どんどん持ってくるね!」


 本当にたくさんあったようで、彼が往復するたびに私の周りには雑誌類が積み上げられていった。

 私はそれをせっせと紐で縛り、それがある程度の数になったらアルくんにお願いして外に運び出してもらった。


 雑誌や新聞の他にも、見るからに不要そうな書類などもたくさんあるが、それは全て木箱に入れておいて今度ロー様が来たときに確認してもらうことになっている。


 紙類の処分だけで初日は終わったが、それでもかなり片付いた。

 以前よりも床が見えるようになった室内に、アルくんも満足そうだ。


「ここに越してきてから、初めて片付けをしたよ。

 やればできるもんだね!」


「そうね。随分とマシになったと思わない?」


「うん、前よりも今のほうがいいと思う」


「じゃあ、明日もこの調子で頑張りましょうね」


「うん!」


 少し埃で汚れた簡素なシャツを着ていても、達成感に満ちた笑顔で頷くアルくんは輝いて見える。

 時間が経って慣れたつもりだったのに、キラキラな笑顔に当てられて私の目は眩みそうになってしまった。


「ソフィー? どうしたの?」


「……なんでもないの。

 さあ、そろそろ夕食の時間だわ。

 屋敷に戻りましょうね」


 私はなんとか誤魔化して、彼の手を引いて屋敷へと向かった。


 そして、その日から彼は北の塔ではなく屋敷で寝起きすることになった。


 前日、私と離れるのを彼が嫌がったというのを聞いたパウエルとイルセが、屋敷の中の使っていなかった部屋を整えておいてくれたのだ。

 同じ部屋ではないにしても、私の近くにいられるということで彼は大喜びで、そんな彼にパウエルたちもニコニコしていた。


 田舎でのスローライフを満喫していたパウエルたちだが、まだ若く有能なの引き籠って隠者のような生活を送る主人のことをずっと心配していたのだ。

 その気持ちは、かつてはモーリス男爵家の使用人だった私にもわかる。

 もしヨランダが引き籠りになってしまったら、私もとても心配しただろう。


 それからも私たちは連日片付けに精を出し、十日後には北の塔は隅々までピカピカになった。


 散らばっていた書類も整理してきっちりファイルにまとめ、部品や素材は分類ごとに箱に入れていつでもすぐに取り出せるようにした。

 素人の私からしても、以前よりも研究や仕事がしやすい環境になったと思う。


「すごいよ、ソフィー!

 ここに引っ越して来たときよりもきれいになってる!」


「そうでしょ。

 きれいになると気持ちいわよね」


「うん! なんで皆が片付けろって言ってたのか、やっとわかった気がするよ」


 どうやら、彼は片付けの意味がわかっていなかったらしい。

 だから、あんな惨状になってしまったのか……


 とはいえ、整理整頓と掃除の方法を彼はもう覚えたはずだから、もうあそこまで酷い状態にはならないだろう。


「これで明日から、お仕事に戻れるわね」


 きっと彼の仕事も以前より捗るに違いない。

 清々しい気分で室内を見渡す私に、彼は首を傾げた。


「え? 仕事……?」


「そうよ? ここはアルくんの仕事場でしょ?」


 生活の場は屋敷に移ったのだから、これからは北の塔は彼が仕事をするためだけの場所になる。


「しばらく片付けに集中してたし、お仕事が溜まってるんじゃない?」


「仕事……溜まってる……?」


 彼は私の言葉が理解できないというように、ぐっと顔を顰めた。

 

「僕がここで仕事をしている間……ソフィーは、どうするの?」


「どうって、いつもどおりよ。

 アニカとお料理したり、チロとお散歩したり、イルセと一緒に花壇のお手入れをしたりするの」


 それが私の普段の生活だ。  

 北の塔の掃除は終わったのだから、私はまたのんびりとした田舎暮らしに戻ることになる。


「あ、でも、食事はアルくんと一緒よ。

 時間になったら迎えに来るからね」


「……つまり、食事の時間以外は、ソフィーと一緒じゃないってこと?」


「ええ、そうなるわね。

 私がここにいても、アルくんのお仕事の邪魔になるだけだし」


 平民として育った私は魔術とは無縁だし、彼の仕事は私が手伝えるようなものでもない。

 寝食を忘れて没頭するくらい好きな仕事なのだから、きれいに整った環境で仕事ができるようになるのは嬉しいだろうと思ったのに、彼の表情からするとそうでもなさそうだ。


「……いやだ」


「え? なにが?」


「ソフィーと一緒にいられないのは! 嫌だぁ!」


 そう叫ぶと、彼は私の手を引っ張って奥の書斎のようになっている部屋へと連れて行った。


「ちょ、アルくん⁉」


 びっくりしながらついていくと、彼はガタガタと机の引き出しを開けてきれいな水色の紙を取り出し、ペンでなにやらガリガリと書き始めた。


「よし! できた!」


 彼が紙の端に指で触れると、紙の表面にぼんやりと魔術陣が浮かび上がった。

 

 どうやら紙自体が魔術具だったらしく、アルくんが手を放すとひとりでにパタパタと折りたたまれて小鳥の形になり、開け放されていた窓から外へと飛び出していった。


「今のが伝言鳥?」


「そうだよ。フローリスに手紙を送ったんだ。

 もしかして、伝言鳥を見るのは初めて?」


「ええ。本当に鳥の形になるのね」


 伝言鳥とは、遠くにいる人に手紙を届けることができる便利な魔術具だ。

 魔力がある人しか送受信できないのと、使い捨てだが安価ではないので、一般的には緊急時にのみ使用される。


 そんなもの使うほどの用事があったのだろうか?


「ソフィーと一緒にいたいから、しばらく仕事を休みたいって伝えたんだよ」


「えぇ⁉」


 とんでもないことを笑顔で言う彼に、私はぎょっとした。


 北の塔の片付けを始めてから、彼が仕事をしている様子はない。

 屋敷で寝起きするようになり、夜もきちんと眠っているのだそうだ。


 仕事はいいのだろうかと気になりつつも、彼が健康的になるのは喜ばしいことだし、私が口をはさむことではないと思って何も言わなかったのだが、なんだか予想外な方向に物事が進んでいる。


「アルくんは、仕事が……魔術の研究が好きなんじゃないの?」


「僕が好きなのはソフィーだよ?」


「あの、いや、その、そういうことじゃなくて……」


 真っすぐな瞳で言われて、私は赤くなってあわあわとしてしまった。


「魔術の研究は、他にすることがなかったからしてただけだよ。

 別に好きなわけじゃないんだ」


 それで寝食を忘れるほど夢中になれるというのも、すごいと思う。

 

「ソフィーと手をつなぐのも、一緒に食事をするのも好きだよ。

 スモモのパイも、カボチャのプリンも、クッキーも、野菜たっぷりのスープも好きになった。

 きみと出会ってから、好きなものが増えたんだよ」

 

「そ、そうなのね……」


「ここの片付けをするのも、とても楽しかった。

 きれいになるのは気持ちいいってわかったけど、終わってしまうのが残念で、もっと散らかしておけばよかったって思ったくらいだよ」


 あれ以上散らかすのって、可能なんだろうか。

 私にはちょっと想像ができない。


「ソフィーと一緒にいたら、何をしても楽しいし、好きなものももっと増えると思うんだ。

 少し前の僕からしたら、考えられないよね」


 彼は私の両手を握って、顔を覗きこんできた。

 

「ソフィーはどう?

 僕のこと、前より好きになってくれたかな?」


「ひえぇ……」

 

 健康的な顔色になり表情も豊かになってきた彼は、王都にいたころに見たことがある人気俳優よりも整った容姿になっている。

 私には眩しすぎて、直視するのも辛いくらいだ。


 手を振り払って逃げるわけにもいかないし、真っ赤になっていると、ちょうどいいタイミングで伝言鳥が現れた。


 鳥の形からするりと一枚の紙に戻ったのを、アルくんが慣れた様子で手に取って目を通す。


「しばらく仕事は休みにしていいんだって!」


 嬉しそうにそう言って、私に紙を無造作に差し出す。


「私が読んでもいいの?」


「もちろん。きみにも読ませるようにって書いてあるよ」


 それならと、読んでみることにした。


 アルくんはかなりの頻度で新しい魔術具を開発し続けてきたので、製品化と販路の確保が追いついておらず、まだ世に出ていない魔術具がたくさんある。

 なので、少なくとも一年くらいは遊んでいても構わないのだそうだ。


 そして、私には『無理のない範囲でアルに付き合ってあげてほしい』と書いてある。

 

 彼の仕事面がそれで問題ないのなら、私は構わないのだが、問題は最後に書いてあった署名だ。


「フローリス・オーヴェレーム……」


 私たちがいるのは、オーヴェレーム王国。

 国名が姓になっているのは、私の知識では王族しかいないはずだ。


「ねえ、アルくん。これって、ロー様のフルネーム……?」


「うん、そうだよ」


 私は淑女教育で叩きこまれた知識を記憶の底から引っ張り出す。


 すっかり忘れていたが、あの時習った王族の中にフローリスという名があったのを思い出した。


「……ロー様って…もしかして……王弟殿下、なの……?」


「そうだよ。知らなかった?」


 やっぱり、そうなのか……


「知らなかった……」


 というか、気が付いていなかった。

 

 だって、私からすれば王族なんて雲の上の遠い遠い存在でしかない。

 それがまさか、ひょいと目の前に現れるなんて思ってもいなかったのだ。


 なんとなく身分が高いんだろうなとわかっていたが、私から尋ねることもせず、深く考えることすらしなかった。

 

「フローリスは、僕の叔父なんだよ。

 五歳しか離れてないけどね」


 王弟殿下は、現国王陛下の年が離れた腹違いの弟のはず。


 そして、アルくんのお母様は、現国王陛下の妹にあたる……と、習ったのだった。


 そうか、だからロー様はアルくんのことを気にかけているのか。

 

 納得はできたが、私は頭を抱えた。


「ソフィー?」


「私ったら、とんでもない無礼を……」


 ロー様なんてあだ名で呼んで、欲しい本をリクエストして、料理初心者の私がつくったお菓子を食べさせて、ヨランダとの手紙のやりとりの仲介までお願いして……


 今さら不敬罪とかってないよね?


「大丈夫だよ。フローリスはソフィーのこと気に入ってるから」


 そう言った直後、アルくんはぐっと顔をしかめた。


「どうしたの?」


「……フローリスがソフィーと仲良くするのを考えると、すごく嫌な気分になる。

 嫉妬してしまうんだ」


「え? 嫉妬?」


「僕はきみに恋をしているんだから当然だよ。

 パウエルはいいけど、フローリスみたいのは最悪だ」


 彼の中で、パウエルとロー様の間には明確な線引きがあるらしい。

 

 パウエルにまで嫉妬するほど見境がない、というわけでなくてよかった。


 と思ったところで、彼が私に恋をしているということをとっくに受け入れてしまっている自分に気が付いた。


 彼からの好意は毎日ビシバシと感じている。

 明らかに私にだけ甘い笑顔を向けるのだから、もう疑いようがないと私でもわかる。


「ここの片付けは済んだから、明日からは別のことができるね。

 もうすぐ夕食だから、食事をしながらなにするか考えようか」


 私はニコニコ笑顔の彼に手を引かれ、屋敷へと戻っていった。


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