②
時は、約半年前に遡る。
私は王都の端にあるモーリス男爵の屋敷で、いつものように厩番として働いていた。
厩番の仕事は楽ではないが、ここで飼われている馬は二頭だけで、どちらも優しく大人しい性格で私によく慣れている。
「よしよし、いい子だね。
あとでブラシをかけてあげるからね」
首を撫でてあげると、嬉しそうに鼻を鳴らす馬が可愛い。
私は亡き養父母から受け継いだこの仕事を誇りに思っていた。
「ソフィー!」
元気な声が響いた。
「あらヨランダお嬢様。どうなさったんですか?」
母屋のほうから駆けてきたのは、私の一歳年下で、栗色のふわふわした髪にぱっちりとした同じ色の瞳の、男爵家の長女ヨランダお嬢様だ。
「あなたを呼びに来たのよ」
「私をですか?」
「そうよ。お父様が呼んでいるの!」
この屋敷の主人である男爵が、ただの厩番でしかない私を呼び出す理由がさっぱり思い当たらない。
首を傾げつつも、私はお嬢様に手を引かれて男爵の執務室に連れていかれた。
「旦那様、私になにか御用でしょうか」
執務机に肘をついている男爵は、いつもは温和な顔に見たこともないほど難しい表情を浮かべている。
「ソフィー……きみは、何歳になるんだったかな?」
「先月、十八歳になりました」
「もうそんなになるのか……」
男爵は、現在四十代半ばくらい。
私たち使用人にいつも穏やかに接してくれる優しい旦那様で、今までに一度も怒っているところを見たことがないのだが……。
もしかして、私はなにかやらかしてしまっていて、その罰をうけるのだろうか。
内心怯んだ私を、男爵はじっと見つめた。
「まだ、結婚はしていなかったね?」
「はい。まだ独身です」
「結婚する予定は?
恋人とか、結婚を約束している相手はいるか?」
「い、いえ、そういうのはまだ……」
今までに言い寄られたり、口説かれたりしたことはなくはないが、結婚したら今の仕事を辞めなくてはいけないかもしれないと思うとその気になれず、全て断ってきた。
「そうか、それなら……まだ、よかったのかな」
男爵は少しほっとしたような顔をした。
どうやら罰が与えられるわけではなさそうだが、代わりに結婚相手を押し付けられるのだろうか。
できれば、そういうのは勘弁してほしいところだ。
「ソフィー。きみは、ニックとコリーの養い子だったね」
「はい、そうです」
ニックとコリーというのは、私の養父母のことだ。
養父母の間には子ができなかったため、捨て子だった私を引き取り育ててくれたのだ。
優しくて温かくて、怒ると怖いお母ちゃん。
私に厩番の仕事を教えてくれた、頼りになるお父ちゃん。
血は繋がっていなくても、私の自慢の両親だった。
過去形なのは、お母ちゃんは三年前、お父ちゃんは昨年亡くなったからだ。
今でも寂しく思うが、私はもう小さな子供ではない。
幸いにも仕事はあるから、可愛がってくれた両親のためにも元気に生きていこうと思っている。
そのためにも、結婚相手は自分で選びたいのだが。
「実はね……まだ赤ん坊だったきみを、ニックとコリーに預けたのは私なんだよ」
「え?」
ということは、私は捨て子ではなかったの?
「落ち着いて聞いてほしい。
きみは、ボスマン侯爵の庶子なんだ」
「はぁ?」
男爵によると、私の実の父である現ボスマン侯爵がメイドに手を出し、私が生まれた。
そのまま侯爵家の置いておくと不和の種になるため、親戚筋である男爵に預けて平民として育てさせた。
何事もなければ、このままなにも知らせずに放っておくところだったが、そうもいかなくなってしまったそうだ。
「そうもいかなくなったって、どうして……」
「私も詳しいことはわからないが、他家に嫁がせる娘が必要なのだそうだ」
「それって、侯爵家の令嬢として嫁がせる、ということですよね?」
「そうだな。そうなるのだろう」
「そんな……私は厩のことしか知らないのに、無理ですよぉ……」
「私もそう思うが、侯爵のご意向だ。
しがない男爵程度では、逆らうことなどできないんだよ」
男爵というのは、貴族の中でもかなり下っ端に位置すると聞いたことがある。
私のような平民からすれば貴族は貴族という括りなので、貴族の中での身分差というのはあまり考えたことはないが、侯爵というのは男爵よりよほど格上なのだろう。
「明日、侯爵家から迎えが来る。
それまでに、荷造りをしておきなさい」
どうやら、心の準備をする間もないようだ。
侯爵家に行ったら、もうここには戻ってこれないということは私にもわかる。
そして、もし私が逃げたりしたら、モーリス男爵家に迷惑がかかるだろうということも。
「わかりました、旦那様。
これから荷造りをすることにします」
私がすんなり了承したことを伝えると、男爵は安堵したような笑顔になった。
「急がせてすまないね。
あまり時間がないから、ヨランダに手伝うように言っておいたよ」
私は一礼し、初めて入った執務室を後にした。
そのまま私の部屋になっている使用人部屋に向かうと、トランクを抱えたヨランダが待っていた。
「ソフィー! 話は聞いたわよ。
大変なことになったわね」
「そうなんですよ。
まさかこんなことになるなんて……」
溜息をついた私に、ヨランダは肩をすくめた。
「びっくりはしたけど、納得もしたわ。
ソフィーってなんだか気品があるというか、きれいだなって前から思っていたんだもの」
「私を可愛いって言ってくれたのは、お父ちゃんとお母ちゃんだけですよ?」
「それは、あなたがいつもあちこちに藁をくっつけて、男の子みたいな恰好ばかりしているからよ。
ウェーブがかかった金髪も、アメジストみたいな瞳も、とってもきれいじゃないの」
そうなのだろうか。
養父母と少しも似ていないこの色合いを、きれいだと思ったことはないのだが。
「ちゃんと着飾れば、美人になるのは間違いないわ。
加えて侯爵の庶子ということがバレたら、あなたを利用しようとする悪いやつが現れるかもしれない。
それがわかっていたから、ニックたちはあなたに女の子らしい恰好をさせなかったのでしょうね」
「……それは……そうかもしれません」
美人というのは、それだけでとても目立ってしまうものだ。
お母ちゃんは普通にワンピースとかを着ていたのに、私の服はどれも男物ばかりで、髪も纏めて帽子の中に入れていることが多かった。
厩番の仕事には邪魔だからとお父ちゃんが言っていたから特に疑問にも思わず従っていたが、今思えばそれは私を守るためだったのかもしれない。
私はトランクに身の回りのものと、数着の着替えと、形見として大切に残してあるお父ちゃんのシャツとお母ちゃんのブローチを詰め込んだ。
侯爵家では平民の所持品などほとんど出番はないだろうから、必要最低限でいい。
トランクに入りきらない分は、屋敷の使用人たちで分けてもらうことにした。




