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「失礼します。
奥様をお連れしました」
イルセが応接室の扉を叩くと、パウエルが内側から開いてくれた。
この中に、結婚した日に会ったきりの旦那様がいる。
私は、稀代の悪女ディアナ。
ヘンリエッタに負けないくらいの悪い女なのだ。
変わり者の旦那様の一人や二人、怖くなどない!
私は手にした扇子をぎゅっと握ると、昨日イルセと特訓したように気持ちツンと顎を逸らせて応接室に足を踏み入れた。
「旦那様、お久しぶりですわね。
ご機嫌はよろしくて?」
本来のマナーならここで丁寧にカーテシーをしなければならないところだが、もちろん私は悪女なのだから旦那様相手にも頭を下げたりしない。
出会い頭で上から偉そうに嫌味な言葉を投げかけるのが悪女というものだ。
「お待たせしてごめんなさいね。
昨夜もバウデヴェイン様と過ごしていたものだから、朝から起きられなくて。
ああ、あの方を責めないでね。
前の日に突然面会依頼だなんて無粋なことをなさった旦那様が悪いのよ。
あの方とのお約束が先約だったのですもの、しかたがないでしょう?
いくら旦那様でも、こんなことはこれっきりにしてくださいな。
私、これでも忙しいのですからね」
言いながらつかつかと室内に踏み込んで旦那様の向かい側のカウチに座り、扇子の動きだけでパウエルにお茶を淹れるように命じる。
「それで、私になんの御用ですの?
できるだけ手短に済ませてくださいね。
午後からは、レクスとブラムのところに遊びに行く予定なのですから」
豪華なフリルのついたドレスの裾を捌いて、足を組む。
上から目線をキープしたまま、流し目を送る。
さりげなく腕を組むようにして、大きく開いた襟ぐりから覗く胸の谷間を見せつける。
不機嫌であることを表すように、扇を開いてパタパタと扇ぐ。
ヘンリエッタが小説の中でよくやっている悪女仕草だ。
イルセの監修により、完璧に再現できているはず。
あ、胸の谷間はちゃんとあるのよ?
このために、イルセが頑張ってコルセットを締め上げてくれたのだから。
さて、これに対し旦那様はどう出るだろうか。
今日もぼさぼさの黒髪で顔の上半分が隠れていて、表情がよく見えない。
着ているのは、前回と同じ服なのではないだろうか。
つんつるてん具合が同じだし、装飾に見覚えがある。
おそらくあれは、ロー様のお下がりなのだと思う。
そのロー様はといえば、旦那様の背後で赤い顔をしてプルプル震えている。
わかってる。
いつもは素朴なソフィーちゃんが、悪女ぶってるのがおかしくてしかたないのだろう。
見えないが、私の背後でパウエルも同じようになってると思う。
そして、よく見ると旦那様も膝の上で握りしめた拳がプルプル震えている。
それ、どういう意味の震えなの?
久しぶりに会った妻があまりに無礼だから、怒りに震えているとか?
いやいや、そんなはずない。
だって、悪女を妻に望んだのは旦那様なのだから。
私は、旦那様の言いつけ通りに悪行を重ねているという設定の演技をしているのだ。
「それにしても旦那様。
この私に会いに来たというのに、まさか手ぶらでいらっしゃったなんてことはありませんわよね?
贈り物はなにもお持ちでないようだけど」
旦那様は、まだなにも言わない。
早くなにか言ってくれないと、間が持たないではないか。
焦りから、私は足を組み替えてパタパタと扇を振った。
このまま沈黙を続けるというなら、さっさと逃げ出してしまおう。
「まったくもう、せめて花束くらい贈ってくださる期待した私がバカだったわ。
どういうつもりかわかりませんけど、出直してくださる?
私はもうこれで」
失礼させていただくわ、と続けようとしたができなかった。
「あははははははは!」
突如として響いた笑い声に、遮られたからだ。
「ははははは、あははははは!」
腹を抱えて笑っているのは……私の向かいに座る、旦那様だ。
「はははは、ははははははげほっ、ごほっ、あはははは!」
途中で咽せても止まることなく、さらに笑い続ける。
「アルが笑ってる……初めて見た……」
その後ろで、ロー様は笑いの衝動が引っ込んだ顔で旦那様を見ている。
パウエルとイルセも、目を丸くしている。
どうやら、旦那様が笑うのはとても珍しいことらしい。
「ふ、ふ、ふあははははは、ごほぉっ」
「旦那様、お茶を……」
パウエルが差し出したお茶のカップを受け取り、ぐいっと一気飲みする旦那様。
私は悪女の演技をするのも忘れ、呆気に取られそんな旦那様を見ていた。
「ふふ……くふふ……」
咽るのは落ち着いたようだが、まだプルプルしながら笑っている。
頑張って演技していたというのに大爆笑されて、私は次第に腹が立ってきた。
「旦那様? なにがそんなにおかしいのか教えてくださる?」
閉じた扇をパシンと掌に叩きつけながら、私は苛立ちを隠そうともせずに問いかけた。
これは、半分くらい演技ではなく本気だ。
「だ、だって……」
「だって、なんですの?」
私はジロリと旦那様を睨みつけた。
「だってソフィーが、そんな……あはははは!」
「……!」
私はなにも言えずに固まった。
今、ソフィーって言った?
バレてる?
悪女じゃなくて、普通の村娘みたいに過ごしってるってバレてるの?
え? これってマズい?
約束と違うって怒られる?
追い出される?
それとも、殺されちゃう……?
「アル、ソフィーちゃんが驚いてるよ」
「ああ、ごめんソフィー……ふふふっ」
「???」
私は意味が分からず、首を傾げた。
パウエルとイルセも同じような顔をしている。
「ソフィーが……まさかそういうことだったなんて……」
「あ、あの? なにが、どういう……?」
「まだわからないの?」
旦那様はぼさぼさと顔にかかっていた前髪を後ろにかき上げた。
「あ……」
前髪の下に隠されていたのは、金と赤の美しい二色の瞳。
ものすごく、見覚えがある。
「あ……あああっ! ……あああああアルくん⁉」
髪の色も同じだし、顔立ちも面影があるが、アルくんはせいぜい六歳くらいの男の子のはずで、旦那様は現在二十三歳のはずだ。
「え? えええ?
アルくんは、旦那様の……弟?」
「違うよ」
「違うのですか?
そ、それなら……あ! わかった!
隠し子! 隠し子なんでしょう!」
それこそ、小説にはよくある設定だ。
私も妾腹なのだし、貴族には珍しくないことだろう。
「もう、違うってば!
わからないの? 僕がアルくんなんだよ!」
「はぁぁぁ~~?」
つい、悪女も淑女もない声を上げる私。
「信じられない?
それなら……」
旦那様がひらりと手を振ると、旦那様を中心に魔力の光で描かれた魔術陣が現れた。
金色の光。
旦那様の左目のような、優しい色の光だ。
ほんの数秒で陣は消え去り、あとに残ったのは……
「ソフィー!」
可愛い小さな男の子。
私がよく知る、アルくんだ。
「え、え、えぇぇ?」
満面の笑みでいつものように抱き着いてくるアルくんを、私はいつものように抱きしめ返すことができない。
「旦那様? アルくんは、旦那様なの?」
「そうだよ。やっとわかった?」
満面の笑みのアルくん。
じゃなくて、旦那様。
「ソフィーも、僕と同じように化けてたんだね!
ソフィーが僕の奥さんだったなんて、嬉しいなぁ」
「ふえぇ⁉」
嬉しそうな旦那様だが、私はどんな顔をしていいのかわからない。
なにをどう受け止めていいのかもわからない。
「今日は香水もつけてるの?
いつもと違う香りがするね。
これはこれでいいけど、僕はいつものほうが好きだな」
私の胸元に顔を埋めてくんくんするアルくん……
ではなくって、これは小さい男の子に化けた成人男性な旦那様なのだ。
「ひえぇぇぇ!」
慌てて旦那様を押しのけて立ち上がった私は、心の底から叫んだ。
「なにがどうなってるのよ~!」




