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「それでソフィー様、私としては、このヒロインを見捨てるふりをしなくてはならないヒーローの苦悩が描写されているところがとてもツボなのですけど、どう思われますか?」
「わかるわ、イルセ。
やっと両想いになったところで、突然そんな展開だものね。
私もあまりの落差に情緒が振り回されまくって、しばらく戻ってこれなかったくらいよ」
「ええ、私もです。
あまりに変な顔をしていたようで、夫に心配されてしまいましたわ」
ある日の昼下がり、私とイルセは先日ロー様が持ってきてくださった『亡国の聖女は幼馴染の黒騎士に囚われる』という小説の最新巻の感想を言いあっていた。
かつてはヨランダとこうしてあーだこーだと小説について語り合っていたものだ。
イルセとは年齢が離れているのでこんなことはできないと思っていたのだが、小説好きの同志となってからはヨランダと同じくらいの勢いで語り合えるようになって、とても楽しい。
ロー様に言わせると「女性はいつまでたっても死ぬまで女の子」なのだそうで、こういうことに対しては年齢はあまり関係ないということでいいのだと思う。
パウエルも、私と一緒にはしゃぐイルセを微笑ましそうに見ている。
本というのはそれなりに値が張るもので、ヨランダも月に一冊買ってもらうのが限界だったが、ここでは多いと月に十冊くらいロー様が持ってきてくれる。
王都から遠く離れているのにこんな贅沢ができるなんて、ロー様と旦那様には感謝してもし足りない。
「このシリーズ、あと一巻で完結するってあとがきに書いてあるけど、本当なのかしら」
「本当なのではないでしょうか。
どんな結末になるんでしょうね」
「予想もつかないわね。
ハッピーエンドであってほしいけど、当て馬の元婚約者にも幸せになってほしいと思わない?」
「それもありますけど、できることならあと十巻くらい続いてほしいものです」
「そう! それが一番よね!
もうすぐ終わりだなんて、信じられないわぁ」
それくらい、面白いシリーズなのだ。
私ももっと続いてほしいとは思うが、無理なことはわかっている。
この作者さんの、次のシリーズに期待だ。
「くぅん」
私の足元でお昼寝をしていたチロが起き上がり、鼻を鳴らした。
「あら、チロったらお腹がすいたのかしら。
調理場に行きましょうか。
それじゃ、イルセ。またあとで」
私はチロを連れていそいそと調理場に向かった。
この時間は、アニカも家に戻っているので、調理場には誰もいない。
調理場から裏庭に続く扉が、控え目にコンコンと叩かれた。
扉を開くと、いつものようにそこには黒髪の少年がいた。
「ソフィー!」
「いらっしゃい、アルくん」
あれから彼は、ほぼ毎日私の元を訪れるようになった。
チロは彼の気配を察知することができるらしく、彼が来るとさりげなく知らせてくれるのだ。
「今日もお腹すいてる?」
こくんと頷く少年を調理場に招き入れ、定位置になっている椅子に座らせる。
「待っててね。すぐスープを温めてあげるから」
鍋に入った具だくさんスープを温め、器によそってパンを添えて目の前に置くと、彼は見ていて気持ちがいいくらいの勢いで食べる。
「今日のスープはね、パウエルの畑で採れた大根が入っているの」
「だいこん」
「そうよ。それ、その白いお野菜が大根というのよ。
それは根の部分ね。
大根の葉も栄養たっぷりで、スープにいれてもいいし、炒めものにしても美味しいの」
彼は匙で掬った大根を興味深そうに眺めてから、パクリと食べた。
「美味しい」
「そうでしょ?
パウエルが大切に育てた大根だからね」
ぱくぱくと食べる少年が可愛くて、頬が緩む。
こうして私が食事をさせるようになったからか、最初の頃より彼は血色がよくなった。
彼がここにくるようになってすぐの頃、近所にベルトという家名の家があるかどうかアニカに尋ねた。
明らかに痩せた少年の生育環境が心配だったからだ。
だが、アニカによればそんな家名は聞いたこともなければ、黒髪の男の子にも心当たりがないということだった。
どういうことかと混乱したが、それでも彼は毎日私を尋ねてくるし、チロが警戒している様子もない。
そして、彼は私の前にしか姿を現さない。
どういうわけか、彼といると同じ屋敷にいるはずのパウエルにもイルセにも会わないのだ。
なんとも不思議な少年だが、遠慮がちに私に懐く様子はごく普通の可愛い男の子にしか見えない。
よくわからないが、アルくんは古い屋敷に住みつくという妖精かなにかなのだ、と思うことにしている。
「ソフィー。散歩に行こう」
彼は食事が終わると、外に散歩に行きたがる。
「ええ、そうしましょうね」
私は食器を手早く片づけると、彼と手をつないで裏口から外に出た。
「今日もいいお天気だわ。
そういえば、そろそろ森で栗が採れるんですって。
アルくんは、栗を食べたことある?」
「くり……わからない」
「私も、王都の市場で売られてるのを見たことがあるだけなのよね。
アニカが美味しいって言ってたけど、どうやって木になってるのか、どんな味なのかよくわからないの」
「ソフィーも知らないのか」
「ええ。だから、とても楽しみなのよ!
チロがきっと、栗が採れる場所を教えてくれるはずよ。
ねぇ、チロ?」
「きゃん!」
自信満々といった様子で返事をするチロが可愛い。
「僕も、ソフィーと栗を採りにいきたい」
「そうね。一緒に行けたら行きましょうね」
私もここに来てすぐのころはそうだったが、彼もあまり田舎のことを知らないようだ。
というか、大根も知らなかったようだし、世の中のことをあまり知らないのかもしれない。
そんな彼だが、私の言葉に耳を傾けてくれるので、身の回りにあるものから教えているところだ。
まだ小さいのだから、これから学んでいけばいいのだ。
そう思いながらのんびり歩いていると、彼はぱっと私の手を離して走りだした。
そして、なにかにつまずいて前のめりに転んでしまった。
「あああ、アルくん!」
慌てて駆け寄り、助け起こす。
落ち葉があちこちについているが、怪我をしている様子はない。
頭にも落ち葉がいくつもついているので払い落してあげる。
「大丈夫? どこか痛いところはない?」
落ち葉と一緒に長い前髪も後ろに払われ、久しぶりに彼の顔がはっきり見えた。
何が起こったのかわからないような、きょとんとした顔で私を見上げている彼の瞳は、とても珍しい色をしている。
左は黄金そのもののような金、右は紅玉のような赤と、左右で色が異なるのだ。
彼が顔を見られるのを嫌がったのは、きっとこれが原因なのだと察しがついた。
私も最初は驚いたが、左右で目の色が違う猫は以前に見たことがあるので、人間でもこういうことがあるのだろう。
珍しくはあるが、まるで宝石のようにきれいな瞳だと私は思っている。
隠しておくのがもったいないくらいだ。
「……ソフィー、枝を見つけた」
「枝?」
「うん。枝」
見ると、彼の小さな手には小枝が握られている。
どうやら、これを拾いたかったようだ。
「なんの木の枝?」
「うーん……葉っぱもついてないし、私にはわからないわ」
「そうなのか。
いい枝だと思ったんだ」
「そうね。アルくんが振り回すのには、ちょうどいい枝だと思うわ」
「ちょうどいい枝、僕が見つけた」
彼は立ち上がると、嬉しそうに木の枝を振った。
「! ぶんって、音がした」
「そうね。こういう形のものを勢いよく振ると、音がするのよ」
「知らなかった!」
彼はぶんぶんと木の枝を振り回す。
こうやって遊ぶのは、子供ならだれでも通る道だ。
私も小さいころ、ヨランダと木の枝を剣に見立てて騎士様ごっこをして遊んだものだ。
ただ、その中でルールを教えるのは周囲の大人の役目だ。
「アルくん、ちゃんと周りを見ないとダメよ。
チロにあたってしまいそうだわ」
彼ははっとしたように、すぐ近くにいたチロを見た。
「木の枝で遊ぶときは、誰にもあたらないように注意してね。
怪我をさせてしまうかもしれないから」
「……わかった。注意する」
神妙な顔で頷くのが可愛くて、小さな黒い頭を撫でた。
「わかればいいの。さ、行きましょうね」
「うん!」
私とチロから少し距離をとりながら、木の枝を振り回しつつ小径を歩く彼の後ろをついて歩いた。
ちょっと不思議なところがあるか、彼はとても素直でいい子だ。
それからしばらくして、そろそろアニカが調理場にやってくる時間になった。
「アルくん」
「うん、もう時間なんだね」
彼は小枝を握ったまま、ぎゅっと私の腰に抱き着いた。
「また明日、ソフィー」
「ええ、また明日ね」
彼は名残惜しそうに私を見上げてから、背を向けて走り去る。
彼がどこに住んでいるのか知りたくて何度かこっそり後をつけたことがあるが、どういうわけか毎回見失ってしまうのだ。
やはり彼は私の前にしか姿を現さない妖精なのかもしれない。
私は彼の小さな背中を見送って、チロと一緒に屋敷へと続く道を歩いた。




