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⑫ アルベルト視点

 そんなことを考えているうちに、僕の前にお皿が置かれた。

 甘酸っぱい香りの湯気が立ち昇るパイに、僕は目を奪われる。


「はい、どうぞ。

 焼きたてでまだ熱いから、気をつけて食べるのよ」


 手渡されたフォークをパイに突き刺し、ガブリと噛みついた。


「~~~~!」


 そして、あまりの熱さに悶絶することとなった。


「ああもう、だから熱いっていったじゃないの!

 ほら、お水を飲みなさいな」


 差し出されたカップをひったくるように受け取り、冷たい水を飲み干した。

 口の中がなんとか落ち着いてから、空腹だけでなく喉も渇いていたことを自覚した。


「お水、まだ飲む?」


 それを察したのか、女はまたカップに水を注いでくれた。


 僕はそれを今度はゆっくりと飲み、フォークでパイを一口大に切ってから口に入れた。


 今度はちゃんと味がわかる。


 美味しい。とても美味しい。


「どう? 美味しい?」


 僕の顔を覗き込みながら尋ねる女に、忙しくパイを咀嚼しながら大きく頷いた。


 僕が今まで食べたものの中で、間違いなく一番美味しい食べ物だ。

 こんなに美味しいものがこの世にあるなんて、僕は知らなかった。


 夢中で食べていたら、当然ながらすぐに食べ終わってしまった。

 しゅんとして空になった皿を見つめた僕が面白かったようで、女は笑いながらもう一切れパイを皿に乗せてくれた。


「今日は特別よ。

 本当はお菓子ばかり食べたらいけないんですからね」


 僕はパイをもぐもぐと食べながら、同時にこくこくと頷いた。

 またすぐに食べ終わってじっと女を見たが、三切れ目はくれなかった。


「とてもお腹がすいていたのね。

 でも、もうこれ以上はダメよ。

 あんまり食べ過ぎたら、お腹を壊してしまうわ」


 言われてみれば、もう満腹になっている。

 まだ食べたい気持ちもあったが、体が小さくなったことで胃袋も小さくなったのだからこんなものだろう。


「私はソフィーというの。

 このお屋敷に住んでいるのよ。

 あなたのお名前を教えてくれる?」


「……アル、ベルト」


 長らく自分の名前なんて考えたことがなかったので、一瞬言葉に詰まった。


 そういえばフローリスにはアルと呼ばれている、なんてことを考えていたからか、なんだか変なところで途切れたような発音になってしまった。


「アル・ベルト。アルくんね。

 見ない顔だけど、この近くに住んでいるの?」


 むしろこの屋敷の所有者なのだがと思いつつ、頷いて見せた。

 この近くに住んでいるのは間違いないので、嘘をついていることにはならない。


「すごく痩せてるし、顔色が悪いわよね。

 なにか病気だったりするのかしら」


 そうではない、と僕は首を横に振った。


「それなら、まさか……お家でご飯を食べさせてもらえないの?」


 そういうわけでもない、と僕はまた首を横に振った。


 ソフィーはそんな僕の手をとった。

 

「痣も傷もないから、虐待ってわけじゃなさそう。

 こういう体質ってことなのかしらね?」


 以前はともかく、今の僕を虐待できるものなどいない。

 

 ソフィーは僕の顔をまた覗き込むと、おもむろに僕の前髪をかき分けた。


「前髪、邪魔じゃない?」


「っ!」


 僕は反射的にその手を振り払い、顔を背けた。


 だって、僕の顔は醜い『悪魔公』だから。

 ソフィーにも、きっとそう罵られると思ったのだ。


 だが、そうはならなかった。


「あ、ごめんなさい。

 突然触られて、驚いたわよね」


 僕の顔をはっきりと見たはずなのに、ソフィーの声は先ほどまでと変わらず気づかわし気なままだ。


 おそるおそる彼女を見ると、にっこりと笑ってくれた。


「安心して。もう顔に触ったりしないから」


 僕はその笑顔をじっと観察した。


 彼女は、僕を見ても嫌悪したり怯えたりしていないようだ。


 なぜ? 僕は『悪魔公』なのに。


「どうしたの? もしかして、お腹が痛くなった?」


 僕はまた首を横に振った。

 

 お腹は痛くない。

 ただ、胸の奥がモヤモヤする気がする。


「アルくん?」


「ぼ、ぼく……」


 なにか言わなければと思う。

 だが、なにを言っていいのかわからない。

 なにを言いたいのかもわからない。


「……パイ、美味しかった」


 それで、結局パイの感想を伝えることにした。

 これも、間違いなく僕の本心ではある。


「そう、よかったわ!

 スモモのパイは初めて作るから、上手くできるか心配だったのよ」


 ソフィーは嬉しそうに笑った。

 

 その笑顔はまるで、地下牢からレフィに連れ出された時に僕の目を眩ませた陽光のようだった。


「そ……ソ……ソ、フィー」


 誰かの名を呼んだのは、いつ以来だろうか。

 ずっと世話になっているパウエルとイルセの名は知っているが、呼んだことがあったかどうか思い出せない。


「なぁに、アルくん?」


「また……来ても、いい……?」


「もちろんよ。

 いつでもいらっしゃい」


 彼女は優しく笑って温かな手でそっと頭を撫でてくれた。


 やはり、そうだ。

 彼女は僕の顔を見たのに、僕のことが怖くないのだ。


 僕は嬉しくなった。

 新しい魔術具が完成したときよりも嬉しくて、パウエルとイルセに若返った姿を見せることなどすっかり忘れていたくらいだ。


 満足感いっぱいで北の塔に戻ったところで、魔術の効果が切れて元の大人の姿になった。

 

 ソフィー。

 たぶん、パウエルかイルセが雇った小間使いかなにかなのだろう。

 あの魔狼がなぜ懐いているのかはわからないが、害がないなら構わない。


 きちんと栄養があるものを食べたからか、枯渇寸前だった魔力もじわじわと回復してきている。

 そうなると、疲労による眠気が襲ってきた。

 

 新しい魔術陣もほぼ完成したし、美味しいパイが食べられたし、ソフィーに撫でてもらえた。

 今日は、とても充実した一日だった。


 僕は久しぶりに満ち足りた気分で、カウチにごろりと横になって眠りに落ちた。 

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