⑩ アルベルト視点
「アル! 調子はどうだい?」
いつものように、フローリスが塔を訪ねてきた。
「悪くはない。ほら、そこにあるのがこの前言ってたのだ」
「おお! もうできたのか!」
そろそろ彼が来る頃だろうと思って、先日完成したばかりの体を少しだけ浮かせることができる魔術具をテーブルの上に出しておいたのだ。
「これで、馬車での移動が楽になるよ!。
馬車の性能を改善しても、長い時間乗っているとどうしてもお尻が痛くなってしまうからね」
「完成はしたが、それなりに魔力を消費するからな。
そのうち、また改善できたらと思っている」
「そうしてくれたら助かるよ」
ニコニコ顔の彼は、僕の従兄弟にあたるのだそうだ。
十年前のあの時。
あの魔術陣は、大爆発を起こして周囲を更地にしてしまった。
陣は不完全ながらも術者を守る機能だけは上手く働いたようで、陣の中心にいた僕は無傷で残されていた。
そして、公爵の屋敷で起きた爆発の調査をするためにやってきたフローリスにより、僕は保護された。
それからずっと、彼は僕を庇護してくれている。
その見返りとして、僕は開発した魔術具を全て彼に渡している。
僕は、魔術の研究しか知らない極度の世間知らずだ。
小さいころは一人で地下牢に入れられていて、レフィの弟子になってからも限られた人としか関わらない生活をしていたから、普通の生活というのもよくわかっていない。
そんな僕の面倒を彼は全面的にみてくれているわけだが、僕の魔術具はかなりの利益を生み出しているそうなので、彼のお荷物にはなっていないはずだ。
「これ、頼まれていた素材だよ」
テーブルの上に木箱がポンと現れた。
「青真珠と棘鈴蘭は手に入ったか?」
「苦労したけど、なんとかね。
他のもだいたい揃ってるはずだから、後で確認してみて」
「ああ、わかった」
「それから、コレもね」
彼がテーブルの上にドサドサと並べたのは、新聞や雑誌だった。
世のため人のためになる魔術具を開発するには、ある程度世の中のことを知っておいたほうがいい、というのが彼の持論だ。
それだけでなく、ずっと塔に籠って研究ばかりしている僕のことを彼は心配してくれているからという理由もあるのだそうだ。
というのは、僕が自分で悟ったのではなく、パウエルがそう教えてくれたのだ。
イルセも同意していたから、きっと本当にそうなのだと思う。
「ちゃんと読むんだよ?」
「わかってる。この前のも全部読んだ」
僕にとって、新聞などを読むのは娯楽ではなく、宿題のようなものだ。
たまに研究のヒントを得られることもあるし、行き詰った時などに読むと思考が解れる気がするので、重宝しているという面もある。
「ところで、奥さんとは相変わらずなようだね?」
「ああ。問題でも起きたか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。
さっき会ったけど、元気そうだったよ」
「そうか。
せいぜい好き勝手しているんだろうな」
以前に読んだ雑誌に書いてあった悪女のように、豪遊三昧しているのだろう。
いいことだ。
さっさと忌々しいフェルデン公爵家を潰してくれればいい。
「ねぇ、アルベルト。
ちょっと外に散歩に行かない?」
「なぜ?」
「なぜって、いい天気だからさ。
お散歩日和だと思わない?」
僕は窓の外を見た。
晴れているのはわかるし、散歩がなにかも知っている。
だが、フローリスに誘われる意味はわからない。
「やめておく。時間が惜しい」
散歩に割く時間があるなら、昨日描いた魔術陣がいまいち上手く動かない原因を突き止めたい。
そのほうが、どう考えても有意義だ。
「それなら、無理にとは言わないけどね。
ぼんやりと太陽の下を歩くっていうのも、悪くないと思うよ。
本を読むだけではわからないこともたくさんあるからね」
そういうものだろうか。
レフィはこの世のことは本を読めばだいたいわかると言っていたのだが、フローリスには違う意見があるようだ。
僕にはどちらが正しいのかはわからない。
パウエルに尋ねてみようかと思ったが、彼はこの世にいないレフィよりもフローリスの味方をするだろうから、尋ねたところで公平な意見は得られないだろう。
「じゃあ、そろそろ私は行くよ。
なにかあったら、いつものように伝言鳥を飛ばしてくれたらいいからね」
「ああ、そうする」
「パウエルとイルセを労わってやるんだよ。
二人とも、もう年だからね」
それは、わかっている。
初めて会った時、あの二人はまだ老人というには若い人間だった。
尋ねてみると、『中年』という種類なのだと教えてくれた。
それから十年たち、もう老人になる頃合いなのだろう。
あの二人は、フローリスが生まれた時から彼に仕えている使用人なのだそうだ。
彼に保護され、魔術と研究のこと以外なにも知らない僕に、根気よくこの世界のことを教えてくれたのもあの二人だった。
フローリスと同じように、あの二人は僕の顔を見ても怖がることなく、穏やかに接してくれた。
二人の手は、老女のメイドと同じように温かく感じる。
そして今も、人と関わるのを避けて引き籠る僕の世話をしてくれている。
あの二人には、これでも感謝しているのだ。
人間は老いると小さく弱くなり、時が来ると死んでしまう。
それがいつになるかはわからないが、あの二人の時間はそれほど長くは残されてないはずだ。
フローリスが去っていった扉をぼんやりと眺めながら、僕は考えた。
あの二人は、ユルク村での田舎暮らしを楽しんでいるという。
その楽しい暮らしを長引かせるには、あの二人が老いるのを遅くすればいいのではないか。
そこまではできなくても、肉体を一時的にでも若返らせることができれば、パウエルはもっと楽に畑仕事ができるようになるだろう。
イルセも、掃除などが簡単にできたら助かるだろう。
命をどうこうするのではないのだから、それくらいならなんとかなりそうだ。
そう思いついた僕は、新たな魔術の開発に着手した。
パウエルとイルセが喜んでくれるかもしれないと思うと、普段よりも集中して取り組むことができた。
その結果、意外にも早く十日ほどで魔術陣の試作品が出来上がった。
なにかで試してみようときょろきょろと見回して、テーブルの上に放置されていた食事に、小さなトマトが丸のまま添えられているのを見つけた。
ちょうどいい。これで試してみよう。
僕はトマトを中央に置いた魔術陣に魔力を流した。
いつもながら、新しい魔術陣を起動させる時はワクワクと胸が躍る。
ふわりと陣を描いたインクが光り、それが消えると赤かったトマトは硬そうな緑色になっていた。
僕はトマトを指でつまんで、ニヤリと笑った。
どうやら成功したようだ。
とはいえ、一度植物で成功したというだけでは、検証実験が足りない。
というわけで、次は僕自身で試してみることにした。
後になって思い返してみると、これはあまりに早計だった。
新しい魔術陣が上手く起動したという高揚感と、パウエルたちが喜んでくれるという期待もあったが、一番の理由は単純に栄養不足と睡眠不足で頭が回っていなかったのだと思う。
僕は魔術陣の中央に座り込むと、陣に触れてさっきと同じように魔力を流し込んだ。
とたんに、ごっそりと魔力が吸い取られてしまった。
ほぼ一瞬で根こそぎ持っていかれて、すっかり油断していた僕には止める間もなかった。
光を放ち始めた魔術陣の上に、僕は崩れ落ちた。
どうやら成功はしたらしいと思いながら、僕の意識は闇に溶けていった。




