①
「お初にお目にかかります。
ディアナ・ボスマンと申し」
「僕がおまえを愛することはないっ!」
私が緊張しながらの丸暗記した挨拶の口上を述べている途中で、大声で遮られた。
礼儀作法の教師からは、「いらっしゃいませ」とか「歓迎する」みたいなことを言われたら顔を上げるようにとしか習っていない。
このような場合はどうするのが正解なのだろう。
しばらく頭を下げたままの中途半端な姿勢で待ったが、この体勢のままでいるのも辛くなってきた。
誰も何も言わないし、どうにでもなれとそっと顔を上げてみた。
私の正面にいるのは、今日この日から私の夫となるアルベルト・フェルデン公爵閣下。
さきほどの大声は、彼が発したものだ。
細身ながら均一のとれた長身に、公爵らしく刺繍や装飾がたくさんついた衣装を着ているのだが……。
なんだか、サイズが合っていないように見えるのは気のせいだろうか。
ジャケットの袖の長さが足りていなくて、肩回りや胴回りはブカブカしているように見える。
貴族というのは、きっちり体の寸法に合わせた衣装をオーダーメイドで仕立てるものだと思っていたのだが、彼は違うようだ。
問題はそれだけではない。
というのも、彼の漆黒の髪はぼさぼさで、前髪が目を完全に隠してしまっていて、顔がはっきり見えないのだ。
平民でも、ここまで髪がぼさぼさなまま人前に出ること躊躇うくらいのぼさぼさ具合だ。
貴族は常に身だしなみに気を配るものだと習ったのだが、彼はその範疇ではないのだろうか。
私のかつての旦那様、モールス男爵ですらこんなぼさぼさな姿は見たことはないというのに。
あ、この場合の旦那様というのは、夫という意味ではなく雇い主という意味ね。
私は半年ほど前まで、モールス男爵の屋敷で働いていたのだ。
公爵と男爵では、金貨百枚単位で売買される駿馬と荷馬車を牽く驢馬くらい身分が違うと習ったのに、公爵の身だしなみが男爵以下というのはどういうことなのか。
平民だって、それ相応の身だしなみは整えるものだ。
私のお父ちゃんも、私が知っている市井の平民たちも皆そうだった。
浮浪者くらいでないと、ここまでのぼさぼさはお目にかかれないだろう。
それくらいのぼさぼさレベルなのだ。公爵閣下なのに。
そして、よく見ればなんだか顔色も悪い。
ひょろっと背だけ高くて、不健康なくらい痩せている。
なんというか、衣装が豪華なだけに、ものすごくちぐはぐな印象だ。
まるで、衣装の豪華さだけでその他の瑕疵を誤魔化そうとしているかのようだ。
そんなことを思いながら、つくり笑顔を顔にはりつけたまま戸惑う私に、彼はビシッと指をつきつけた。
「ディアナ・ボスマン!
おまえは、稀代の悪女だそうだな!」
稀代の悪女。
それはボスマン侯爵家長女ディアナの、社交界だけでなく市井にも広く知られた二つ名だ。
「妹を虐げ、婚約者がいるというのに男漁りに精を出し、ボスマン侯爵家の財政が傾くほどの豪遊に明け暮れるだけでなく、賭博にも手を染めている……と、聞いている!」
なるほど。
彼はディアナに関する噂を頭からまるっと信じ、少しも疑っていないということがよくわかったが……。
公爵なのに、詰めが甘すぎない?
貴族なら、揚げ足を取られたり騙されたりしないように、調査や下調べを怠ってはならないと習ったのに。
私が詰め込み淑女教育で習ったことは、ここではちっとも役に立たないのではないだろうか。
「僕がおまえに望むことは、ただひとつ!」
私はなにを言われるのかと身構えた。
「そのままの悪女で居続けることだ!」
「……はぁ?」
あまりの内容に、思わず淑女に相応しくない気の抜けた声がでてしまった。
私をつい先日まで扱いていた家庭教師に聞かれたら、間違いなく鞭が飛んでくることだろう。
「聞こえなかったのか⁉ おまえはこれまで通り悪女でいればいいのだ!」
「いえ、はっきり聞こえております。
ですが、公爵閣下は私を妻としてお求めになったのではないのですか?
それなのに、悪女のままでいろとは?」
さきほど彼が述べた行いをする悪女は、どう考えても妻にするには適さないと思うのだが。
「そのままの意味だ。
おまえはただ、男遊びをして、宝石やらなにやらを買いあさって豪遊して、賭博でもなんでもしていればいいのだ!」
「えぇ……」
てっきり、「これまでのような贅沢ができると思うな!」みたなことを言われると思ったのに、これでは真逆ではないか。
「本当によろしいのですか?」
「あたりまえだろう!
ボスマン侯爵家に払った金の十倍や百倍といわず、もっともっとありったけの金を浪費してもらうぞ!
そのために僕はおまえを買ったのだからな!」
「な、なんのために?」
「フェルデン公爵家を潰すためだ!」
きっぱりはっきりと言い切る公爵閣下。
意味が分からない。
なにからなにまで、さっぱり理解できない。
浪費したいなら、わざわざ私を花嫁として買わなくてもできるだろうに。
悪女にフェルデン公爵家を潰したという汚名を着せたいのだろうか。
それにしても、やっぱり意味が分からない。
「金はそこにいるパウエルに預けてある」
パウエルというのは、壁際に控えている白髪頭でモノクルの家令のことだ。
公爵閣下に会う前にきっちり挨拶をされた時、彼がもの言いたげな顔をしていた理由がわかった。
「好きにしろとは言ったが、この屋敷の使用人を虐げることは許さない」
そんなことしない、と言おうとして飲み込んだ。
ディアナが妹を虐げているということになっていたのを思い出したからだ。
よくわからないが、ここは悪女のふりをしておいたほうがよさそうだと私は判断した。
それなら、真似するのにうってつけのキャラクターを私は知っている。
私の愛読小説、『死に戻った悪役令嬢の優雅で華麗なる復讐劇』の主人公、ヘンリエッタだ。
「わかりましたわ、旦那様。
パウエルたちにはせいぜい優しくするといたしましょう」
私は小説の中でのヘンリエッタの描写を真似て、派手な紫色の羽がついた扇子をバサリと開き、つんと顎を逸らして見せた。
着ているドレスも深紅なので、扇子まで加わると目に痛いほどのけばけばしさになる。
「愛人をこの屋敷に囲ってもよろしいのですね?」
「もちろんだ。十人でも二十人でも囲うがいい!」
「さすがは公爵閣下、太っ腹ですわね」
ふふふ、とドレスと同じ色の紅が引かれた唇を歪めて笑って見せる。
「それから、僕の住み家である北の塔に近づくことは許さない。
愛人たちもだ。
忘れるなよ。もし禁を破ったら、舌を斬り落としてやるからな」
「あらあら、恐ろしいこと。
わかりました、北の塔には近寄りませんわ。
愛人たちにも、そう言い聞かせますわね」
バサバサと扇子で自分の顔を扇いだ。
ヘンリエッタはなにかと扇子をバサバサやっていたから、これで間違いないはずだ。
「最後に、もう一つ。
僕のことを探ろうとするな。
今後一切、僕に関わるな。
僕に会うのは、これが最後だと思え」
「夫婦ですのに?」
「必要があれば、パウエルを通して伝える。
それで十分だ」
公爵閣下は私を蔑むように見下ろした。
と、思う。
相変わらず目元は見えないが、そんな気配だ。
「僕はおまえのような女は嫌いだ。
おまえだって、僕のような男は嫌いだろう」
「それは、公爵閣下が『悪魔公』と呼ばれているからでしょうか?」
悪魔公。それが彼の二つ名だ。
ディアナの『稀代の悪女』と同じくらい有名なのだそうだ。
「正直なところ、がっかりですわね。
悪魔なんていうものだから、てっきり角でも生えているかと思って楽しみにしていたのに、どこからどう見ても普通ではありませんか。
それとも、尻尾かなにかを隠していらしゃるの?
だったら、是非とも見せていただきたいものだわ」
私は口元を扇子で隠しながら、あからさまにじろじろと公爵閣下を眺めた。
「お、おまえ……」
前髪の間から、剣呑な光が覗いた気がした。
「あらまあ、それで凄んでいらっしゃるおつもりですの?
ほほほほ、お可愛らしいこと。
そうだわ、悪魔公を侍らすというのも楽しそうね。
閣下、いかかです?
私と一緒に」
「ぼ、僕に近寄るな!」
一歩近寄ってみると、五歩分くらいの距離を飛び退られてしまった。
「話はこれで終わりだ!
パウエル、あとはお前に任せたからな!」
「かしこまりました」
丁寧に頭を下げるパウエルに目をくれることもなく、公爵閣下はバタバタと慌ただしく部屋を出ていった。
少し演技に身が入りすぎてしまったかもしれない。
遠ざかっていく足音を聞いていた私に、パウエルがすっと近寄ってテーブルの上に置かれている書類を指さした。
「……まずは、こちらにご署名をお願いいたします」
それは、婚姻申請書だった。
見ると、すでにアルベルト・フェルデンと公爵閣下の署名が書き込まれており、あとは私が署名するだけになっている。
いろいろと疑問はあるが、私が公爵閣下に金で買われたというのは事実だ。
逃げる算段をつけるにしても、とりあえす状況を把握してからでないとなにもできない。
「わかりました」
私は素直にペンを手に取り、ディアナ・ボスマンと書き込んだ。
式も祝辞も誓いのキスもなにもなく、こうして『悪魔公』アウベルト・フェルデンと『稀代の悪女』ディアナ・ボスマンは正式な夫婦となったのだった。




