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湿気

 少女は大学受験を間近に控え、夏休み期間中ということもあり自宅の部屋で一人机に向かって勉強に励んでいた。

 ふと、少女が湿度計機能付きの時計に目をやると、時刻は午後2時、湿度は90パーセントを越えていた。


(あぁ、最近雨続きだから……)


 少女はため息をつきながら、ひとつ伸びをしてから再び机に肘をついた。

 濡れているわけでもないのに、腕と机が湿気でぺたぺたとくっつく。その感触が気持ち悪い。

 先ほどまでは何とも思わなかったのに、一度意識しだすと気になって仕方がない。

 肌が、服が、紙が、机が、すべてがじっとりしているような気がしてくる。


 夏休みの間にできるだけ勉強をしなければいけないのに。

 一度集中が切れてしまったらもう駄目だった。

 気を取り直そうにも、湿気がすべてを邪魔してくる。

 床も、机も、肌にまとわりつく空気も。

 ぺたぺた、じとじと。気がつくと、無意識に服の裾や腕を払っていた。


「……麦茶、飲も」


 このままでは、いつまでたっても集中できない。

 一度気分をリセットさせるために、少女は立ち上がると裸足のまま部屋を出た。


 いつもなら素足の代わりにスリッパを履いているのに、湿気の不快感に気をとられ履き忘れてしまったらしい。

 板張りの廊下も階段も、歩くたびに湿気で足裏がフローリングに張りつく。


ぺた、ぺた。


 一階に降りると、電気がついておらず薄暗い。

 窓の外には昨日から降り続けている雨が今も絶え間なく窓ガラスを叩く。

 どうやら、両親も弟も出かけているらしい。


 冷蔵庫を開け、麦茶のボトルを取り出してコップに注ぐ。

 その間にも、ぺたぺたと自分の足音が床に吸いついて響く。

 数個氷を浮かべた麦茶のグラスを手に持つと、先ほど歩いた部屋までの道を戻っていく。


 ……と、一瞬、その音が、妙にぶれた。


ぺたぺた、ぺた……ぺた。


(……あれ?)


 その違和感に、少女は階段に足をかけた状態で動きを止め、耳を澄ませる。

 が、特に何も聞こえない。

 気のせいかと思い、再び足を動かし階段を上る。


ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺたぺた。


 (……多い)


 足音が、一人分じゃない。

 少女は、背後でなる明らかに自分以外の”誰か”の足音に、ぞっとする。

 ドクドクと心臓が早鐘を打ち、キーンと耳鳴りまで聞こえ始めた。

 階段の最後の一段に、片足を乗せたまま動けなくなる。


 あと数歩。

 それで自分の部屋まで逃げ込める。


ぺた。


 自分は踏み出していないのに、足音が一歩、こちらに近づいた。


 それを合図に、少女は反射的に駆け出した。

 麦茶の入ったグラスが廊下に落ち、ガチャンと音を立てて割れたが、構っていられない。

 自室のドアを開けて飛び込み、振り向かずにドアを閉めた。


 部屋の中は電気がついており、明るい。

 その明るさが少女の心を落ち着けた。

 湿気はあるが、ラグを引いているおかげで歩いてもあの不気味なぺたぺたという音はならない。

 そして、そう言えば先日もらった除湿器があることを思い出すと、扉から視線をそらさないように注意しながら除湿器に近づいて、スイッチを入れた。


 ブォォン……と、勉強するにはモーター音が少々気になるが、除湿器が湿気を吸い取り空気を乾かしていく。

 じっとりと、肌に纏わりつくようだった気配も薄れていく。

 ぺたぺたと響いていた足音も、聞こえない。

 恐る恐る扉を開けて廊下を見ると、そこには静かな空間が広がっているだけだった。

 階段を上ってすぐのところに割れたグラスとこぼれた麦茶が散乱しているが、さすがにさっきの今で一人片付ける勇気はない。

 少女は、母が帰ってきたら謝って一緒に片付けてもらおうと考え、自室の中に引っ込んだ。


(きっと、気のせいだったんだ……。そう、きっとそう)


 除湿器のおかげで少しばかり湿気がましになった自室で、少女はほっと息をついて再び机へと向かう。

 



 乾いた部屋の入口に、こぼした麦茶から伸びる足跡には気が付かないまま。




―――――




 少女の母親が家に帰ると、家は不自然なほどに静まり返っていた。

 今日も一人勉強に励んでいるはずの娘の名前を呼びながら、娘の部屋がある二階へと続く階段を上る。

 階段の一番上。二階の廊下部分に割れたグラスとこぼれた麦茶を見つけ、母親はため息をついた。

「ちょっと。勉強が大変なのはわかるけど、こぼしたものくらい片付けなさい」

 こぼした麦茶を踏んだのだろう。濡れた足跡は、まっすぐ娘の部屋へと続いている。

 相変わらず返事のない娘に、母親はため息をついてその扉に手をかけた。


「聞いてるの?開けるわよ」


 ガチャリ。


 娘の部屋では、ブォォンと除湿器のモーター音が響いている。

 しかし、除湿器など意味をなさないほど、部屋の中はいたるところが水でぐっしょりと濡れていた。




 娘の姿はどこにもなかった。

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