赤い色
小学校の二時間目と三時間目の間にある中休み。
あいにくの雨で校庭は使えず、子供たちは教室の中で暇をつぶしていた。
ざわざわと騒がしい教室に、明るくよく通る女の子の声が響く。
「ねえ、知ってる?」
声の主は、その教室でいつも話の中心にいる、少し変わった子。
上に姉がいるからか、彼女はとても”教えたがり”な性格をしていた。
「お姉ちゃんに聞いたんだけど。学校からの帰り道にさ、空き地あるでしょ?雨の日にその近くを通ると幽霊が出るんだって!」
その言葉に、彼女を囲んでいた友人たちの輪が、わっと色めき立つ。
いつの世も、子供たちはそういう”少し怖い”話を求めているのだ。
学校ではスマホもゲームも禁止され、今日にいたっては雨のせいで体を動かすこともままならない。
日常を面白おかしくしてくれる、そんなほんのちょっぴりのスパイスは誰だって大歓迎なのだ。
思った通りの反応に気をよくした女の子は、さらに得意げな顔で語りだす。
「その幽霊は、えっと……。赤い傘?が嫌いだから、そう!赤い傘をさしてる子がそこ通ると殺されちゃうんだって!」
時折、姉から聞いた話を思い出しているのだろう。たどたどしくもそう言いきった彼女に、誰かが「キャー!」と声を上げ、また誰かが「こわ~い」と笑いながら騒ぎ出す。
たわいない怪談話に、教室はにわかに盛り上がりを見せた。
退屈な雨の日の教室で、その女の子はある種みんなのヒーローのような存在だ。
そんな会話を、少し離れた席で聞いていた一人の女の子。
あまり活発ではない性格のため、話の中心となっている彼女と特別仲がいいわけではないけれど、その子も耳だけは興味津々にその子の話に傾けていた。
そして、話を聞き終わると、ほっと安堵の息をつく。
実は、その子の帰り道はまさに、今しがた話されていた空き地横の道なのだ。
――でも、私の傘は赤じゃないもん。
その子も雨の日に出る幽霊の話は知っていた。
母親に、「雨の日は幽霊が出るからあの道は通っちゃダメ」と、耳にタコができるほど言い聞かせられていたからだ。
なので、女の子はいつも雨の日だけ、その道を避けるように少し遠回りをして帰っていた。
でも、なぁんだ。あの幽霊は「赤い傘」が嫌いなんだわ。
私のはひまわりみたいに綺麗な黄色に、白い水玉模様の傘だもの。
きっと、ママは幽霊が「赤い傘」が嫌いだって知らなかったんだわ。
おうちに帰ったら教えてあげなきゃ。「安心していいのよ!」って。
女の子は、その日の終わりの会が終わると、入学祝に祖父母が買ってくれた赤いランドセルを背負い、下校の列に加わった。
今どき赤いランドセルだなんて。本当は水色か黄色がよかったのに。
毎日そんなことを思いながら、ランドセルを使っている。
お気に入りの黄色い傘をさして外に出ると、雨が傘の上を楽し気に跳ね回る音がする。
雨の日にしか履けない水色のレインブーツは、女の子の大好きな白い犬のキャラクターがプリントされた、これまたお気に入りの靴である。
その学校で女の子と同じ方向に帰る子供は少なく、友達とはその前の道でお別れしてしまう。
例の空き地の前の道へ差しかかったとき、女の子のそばには誰もいない。
今まで雨の日だけは通らなかったその道で、女の子は初めて見かける女性の姿に目を見開く。
黒くて長い髪が素敵な女性は、真紅の傘に、赤いレインコートまで着ていたのだ。
なぁんだ。幽霊の話は嘘だったんだわ。
だって、それが本当ならあのひとは幽霊に殺されてなきゃおかしいもの。
その女性に近づくにつれ、女性の相貌がよりはっきりとわかるようになってきた。
雨で増水した用水路では、茶色く濁った水がごうごうと音を立てて流れている。
その側に立つ赤い女性は、雨の日だというのに真っ赤で綺麗なピンヒールを履いている。
口元に引かれたルージュも、これまた発色のいい赤だ。
まるで”赤”という色が人の形をしたようなその女性に、女の子はぽっと頬を赤く染める。
赤い色も悪くないかもしれない。
単純なもので、幼い少女は素敵な赤を身に纏う女性を前に、そんなことを思ったのだ。
女の子が恥ずかしさから顔を隠すように少しうつむき、ゆっくりとその横を通り過ぎようとしたその時。赤い女が美しい唇を開き、何かを呟いた。
耳元で掠れるような声が聞こえた気がして、女の子が振り返ろうとしたその瞬間。視界の端で、赤い腕がこちらに伸びるのが見えた。
女は、手袋をしているわけでもないのに、嫌に真っ赤に染まった手をしていた。
直後、氷のような冷たい手にドン、と押され、女の子の体は側の用水路へと傾いた。
――――
翌朝。
雨が止み、空がほんの少し明るくなった頃。
女の子の母親は半狂乱になりながら、制止する警察を押し退け、冷たくなった我が子をその腕に抱きしめた。
どうやら、まだ幼い娘は足を滑らせ、増水して流れが早くなった用水路に落ちて亡くなったらしい。
近くの大きな川に流れ込む手前。落ち葉などを受け止める鉄格子に引っかかった状態で遺体が見つかったのだ。
不可解なことに、その子供の体内にはほとんど血液が残っていなかったそうだ。
昨日まで赤みを帯びていたはずのまろい頬は、文字通り血の気を失い、蝋のように真っ白に変わってしまっていたという。
後日、その小学校は全校集会を開くと、その女の子の突然の別れを生徒たちに知らせ、雨の日には決して用水路などに近づかないようにと、強く注意を促した。
「あの子、雨の日にあの空き地横を通っちゃったんだって」
「うそぉ。それで死んじゃったの?」
「らしいよ。うちの妹がね、教室で話をしたその日に死んじゃったから、すごく落ち込んでるの」
上級生のクラスで、あのクラスの中心的な存在だった女の子の姉が友人と声を潜めて話していた。
「赤い幽霊は、自分以外が赤い色を持つのを許さないって、知らなかったのかな?」