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ING  作者: 松原聖羅
高校生編
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第一章 第五話

ING 第一章 第五話

 

 帰ってくるのは夕方になった。隆弥からは結果的に拒絶されてしまい、玲央は帰りのバスで途方に暮れていた。夕陽の優しい光が玲央を慰めようと、顔をぼんやりと照らす。

 

 バスを自宅の近くで降りた時には、夕日が沈みきっていた。黒い影が、今度は玲央に襲いかかるように重なり、玲央の姿をくらませる。

 

 (結局謝れなかった……何しに行ったんだろ。僕。)

 

 ぐるぐると考えているうちに、玲央は家に着いた。せっかくの菓子折りを渡すことが出来ず、手に持って帰ってきたら、母はどんな反応を見せるのだろうか。玲央には想像できなかった。

 菓子折りの袋には所々折れ目やシワができており、持ち手の近くには破れさえあった。

 

 「ただいま……」

 

 玄関を開けて、玲央はそう呟きながら靴を脱ぎ、リビングへ直行した。リビングには母が一人で皿を洗っていた。

 

 「……おかえり。」

 「うん——お姉ちゃんは?」

 「今日は夜までバイトって言ってた。しばらくしたら帰ってくんじゃないの?」

 

 ふと気になって聞いてみた。琴乃は玲央が隆弥のもとに謝りに行ったことは知らない。聞いたらビックリするかもしれないが、玲央はそんなことより、知りたい事があった。

 

 「母さん、あの——なんで謝りに行くって知ってたの? なんで僕のために菓子折りを用意してくれてたの?」

 

 あの時は突然のことで、しかも隠し事をしていたのもあって、冷静に考える余地がなかった。しかし冷静になって考えてみても、母がわざわざ菓子折りを買いに行っているのなんて予想外だった。

 

 「なんでって、アンタがあの……なんだっけ、サイトウさん? あの人との話しがたまたま聞こえてたからね。リビングにはアタシもいたし、聞かれたくなかったなら申し訳ないけどもね。」

 

 気づかなかった。しかし思い返してみれば、インタビューが終わった後に、大学の授業でいなかった琴乃は別として、母はリビングに入って来て、片付けなどを手伝っていた。

 

 「そっか……。」

 

 怒る権利は無いし、別に玲央は怒るつもりなんて無かった。聞かれたくないのであれば、部屋を移すなりして対策すればいいだけの話しだが、隠し事をしていた事を除けば、玲央は別に何も問題じゃないと思っているからだ。

 

 「アンタが泣いたの、久しぶりに見たよ。でもアタシは、やっと自分に正直になって、やっと謝ろうって思えたアンタが素晴らしいって思えたし、息子が犯した罪を、一緒になって清算しようともしない自分が悔しかった。」

 「母さん……?」

 

 玲央の母は寂しげに微笑んでいた。涙を浮かべたり、眉間に皺を寄せたりなどは無かった。しかし、いつもはパッチリと開いているその目が、まるで何かを蔑んでいるかのように半分しか開いていないので、玲央はそう感じた。

 

 「インタビューを間近で見て、本当にそう思ったのよ。ある種の感動かもしれないね。んで、アンタが藤田さんとこに謝りに行くってゆうから、菓子折りぐらいは買っとこうって思ったさ。今更だけど、母親としてそれぐらいはしないとね。」

 「……そうなんだ。ありがとう、母さん。」

 

 皿が洗い終わったのか、玲央の母はタオルで手を拭きあげる。ぬるま湯で少しふやけた手から、水分が吸われてゆく。

 

 「進路は決まった? もうそろ決めとかないと。」

 

 そう聞かれたとき、やっと答えられると思った。前は聞いてくれなかったが、今なら、自信を持って話せる。

 

 「僕、福祉系の大学に行きたい。細かく何になりたいってゆうのは決まってないけど……困っていて、何かを『背負っている』人の役に立ちたいんだ。」

 

 タオルで一通り手を拭きながら、玲央の決意を聞いた母。玲央の目を見つめ直して、母もハッキリと返事を返した。

 

 「うん、わかった。頑張ってね!」

 

 向き合ってこなかった『思い出』を洗い、汚れた手は『罪』であるならば、母は今やっと、玲央に向き合うことができたのだ。思い出に母の笑顔は無くとも、今笑っている母のこの顔は、高校三年間での一番の思い出になった。

 

 × × × × ×

 

 母の笑顔を見た日から、玲央の目標は県内の福祉系大学に入学し、自分のやりたい仕事を見つけることとなった。そのためにはまず、大学受験に合格する必要があった。

 

 玲央の学業の成績は悪くなく、むしろ学年でも上位に来るほどの実力を持っていた。しかし油断はできない。玲央は然るべき量の学習をこなし、無事に大学に進学することができた。

 

 そうして、とうとう卒業式の日を迎えた。全学年が体育館に揃い、三年生は胸に花のバッジをつけて卒業式を消化していった。特にトラブルもなく、卒業式は終了した。

 

 卒業式が終わってからはクラスごとに皆で写真を撮り、親しい友人や教師と写真を撮ったりして、最後の思い出をそれぞれ飾っていた。玲央は一通り写真を撮り終えた駿輝と合流し、最後の下校ルートを帰ろうとしていた時だった。

 

 「んあ? 校長じゃねえか?」

 

 中庭に校長がいた。芝が広がる中庭の隅の方で猫を撫でている。とてもさっきまでシャキッと式辞を述べていた人物とは思えないほど柔らかい雰囲気を出していた。

 

 「ほんとだ。」

 「なあ、校長とは写真撮ってねえし、写真を一緒に撮ろうって誘ってみねぇか?」

 「うん。最後だから、撮っときたいよね。」

 「決まりだな。」

 

 駿輝は校長に向かって話しかけた。校長は気持ちの良い笑顔で、写真を撮ることを了承してくれた。

 

 「ありがとうございます。じゃあ、写真撮ってくれる人探さないと。」

 

 玲央は辺りを見回した。ちょうど近くに担任の石川がいたので、駿輝は写真を撮ってくれるよう頼んでみることにした。

 

 「せんせー。写真撮ってくんないっすか?」

 「田頭と霧島と校長先生か。別にかまわんが、このアイフォンとやらの使い方を教えてくれ。何がなんだかよくわからん。」

 

 そう言われて、駿輝は石川にアイフォンでのカメラの使い方を教える。

 

 「そう。後はそこ押すだけでいいっすから。」

 「はぁー、便利なもんだなぁ。」

 

 石川はカルチャーショックを受けたのか、目を見開いてアイフォンを傾けたり振ったりしていた。校長もその様が滑稽だったのか

 

 「石川先生、我々も時代に取り残されてきましたな。」

 「いやいや全く。ははは。」

 

 石川は駿輝にねだられ、ようやくカメラを構える。校長を真ん中に、校長から見て左に駿輝、右に玲央で、特にポーズなどはとらず、皆、微笑んでその場でカメラを見つめるという構図だった。

 

 一回目のシャッターでは、つい玲央が瞬きをしてしまい、撮り直すことに。二回目のシャッターでは、石川が少しカメラをブレさせてしまい、三回目でようやく納得のいく写真を撮ることができた。

 

 「できた! 先生方、あざっした!」

 「いやー、よかった。最後に思い出は作れたかい?」

 

 校長は玲央と駿輝に問いかける。二人は「はい。」と笑顔で答えた。

 

 「うんうん。そうだ、霧島くん。卒業する君とはどうしても、もう一度話したかったんだ。」 

 「僕とですか?」

 「そう。ドキュメンタリーを見たよ。君の本音を聞いてみて、当時はショックだったが、君が福祉系の大学に行くというのを聞いてから、やりたいことが見つかったと、今は安心しているよ。」

 

 芝生の隅でちょこんと座っている猫を抱き抱えて、校長は思いの丈を玲央に打ち明けた。

 

 「霧島くん。今は違うだろうけど、まだ希死念慮のようなものはあるのかい?」

 「いえ、今はもう……」

 「よかった。いやね、まだなにか、過去について悩みがあるなら、今のうちに聞いておきたいなってね。大切な生徒だからね。」

 

 玲央は俯いた。希死念慮は消えても、過去の呪縛からは未だに逃れられないでいる。石川と駿輝は校長と玲央を交互に見つめた。

 

 「死にたくは……ないです。でも、だからって過去が消えるわけじゃなくて、潤悟さんは、みんなから好かれてて、才能があって、いろんなことを乗り越えていて……偉大な人を、僕は死なせてしまった。」

 

 他の生徒は下校していく。涙を流しきったものや、再会を誓いあったものらが、この学校から去ってゆく。本来、写真を撮って終わるはずだったのが、今となってはなにか大切なことを教えてもらえるのだ。駿輝も玲央も、この時間がとても得難いものだと感じていた。

 

 「それだよ、その『偉大』ってやつ。僕はね、命の価値に貴賤であったり、優劣なんてものは無いと思ってる。もしそんなのがあったとしても、生きる時間や、運命が大きく変わったりはしないはずだ。現に、藤田潤悟さんが証明していると思う。」

 貴賤が無い、というのは玲央も承知していた。なんなら斎藤の前で感情を爆発させた時にうっすら発言した記憶さえある。校長の言いたいこともわかる。どれだけ実績や才能があっても、それでそもそもの寿命が伸びたり、魔法のように運命をコントロールすることなどできない。

 

 「償う気持ちは大切だ。だからといって、藤田さんの”死”に、自分の人生が引っ張られる必要は無いと思う。君の人生なのに、なんで他人に生き様を綴られる必要があるのかい? 今の君は間違いなんかじゃない。生きる事とは壊れる事なんかじゃない、ただ自分の等身大ありのままを紡いでいく事だ。」

 校長の言葉は、玲央の心を温かく包み込み、まだ凝り固まっていた罪の邪念を溶かしていった。桜はほろほろと散ってゆく。帰り道にはピンクの花びらが、道をあやめていた。

 

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