ラウンド3・後半:「適者生存」は社会の法則か?~社会ダーウィニズムの光と影~
あすか:「スペンサーさんの『社会進化論』は、現実的なのか、それとも冷酷なのか…。まさに社会のあり方そのものを問い直す、非常に挑発的なご主張です。ダーウィンさん、ペイリーさん、ラマルクさん、皆様から厳しいご意見が出ましたが、これらを踏まえて、スペンサーさんのご主張にさらに反論、あるいは疑問を呈したい点はございますか? まずはダーウィンさん、いかがでしょう」
ダーウィン:(静かに頷き、スペンサーを見据えながら)「スペンサーさん、あなたが『道徳も進化する』と仰った点には、私も同意いたします。しかし、その進化の方向性が、必ずしもあなたが描くような、個人の自由競争と非情な淘汰を是とするものとは限らないのではないでしょうか。私が考える道徳感情の進化とは、むしろその逆、つまり、社会的な絆を強め、協力行動を促す方向への進化です」
(ダーウィン、少し身を乗り出す)
ダーウィン:「例えば、初期の人間社会において、仲間を助け、食物を分かち合い、危険を共に乗り越える集団は、そうでない利己的な個人の集まりよりも、集団としての生存率が高かったはずです。そのような協力行動を促す『共感』や『利他性』といった感情が、自然選択によって育まれ、私たちの本性の一部として組み込まれていったとは考えられないでしょうか。そうであるならば、『適者』とは、必ずしも競争に強い個体だけを指すのではなく、他者と協力し、社会全体の生存に貢献できる個体をも含むはずです。あなたが言う『自然の法則』は、人間という複雑な社会的動物においては、より多様で、時に慈愛に満ちた形で現れるのではないでしょうか」
スペンサー:(ダーウィンの言葉に、やや苛立ちを隠せない様子で)「ダーウィン君、君の言う『協力』も『共感』も、それ自体が生存競争における一つの戦略に過ぎんのだよ! 個人が、あるいは集団が、より効率的に生き残るために、そのような感情や行動が『有利』であったというだけの話だ。それを絶対的な美徳であるかのように語るのは、感傷に過ぎる。究極的には、より優れた社会システム、より効率的な個人の集合体が、そうでないものを凌駕していく。これが歴史の示すところであり、進化の必然なのだ!」
ペイリー:(スペンサーの言葉に、憤然とした表情で割って入る)「スペンサー殿! あなたの言う『効率』や『有利』という言葉の裏には、常に切り捨てられる弱者の存在が見え隠れしている! 神の目から見れば、全ての魂は等しく価値があり、救済されるべき存在です。あなたが言う『自然の法則』が、人間の尊厳を踏みにじるものであれば、そのような法則は断じて受け入れることはできません!」
(ペイリー、声を震わせながら続ける)
ペイリー:「そして、あなたのその思想は、極めて危険な領域へと足を踏み入れることにお気づきか! 『非適者は淘汰されるべき』という考えは、やがて、特定の人間を『生きる価値がない』と断じ、社会から排除しようとする優生学のような恐ろしい思想に繋がりかねません! 歴史を鑑みれば、そのような選民思想が、どれほど多くの悲劇を生み出してきたことか! それでもあなたは、自らの理論が『現実的』だと強弁なさるおつもりか!」
あすか:(ペイリーの言葉を受け、クロノスタブレットに優生学に関する歴史的な資料を映し出しながら、慎重に口を挟む)「ペイリーさんのご指摘は非常に重いですね…。確かに、スペンサーさんの社会進化論は、本人の意図はどうあれ、後の優生学や過激な人種論に影響を与えたという批判もございます。スペンサーさん、この点についてはいかがですか?」
スペンサー:(やや顔をしかめ、不快感を露わにしながら)「それは私の理論の極端な誤用、あるいは悪意ある曲解に過ぎませんな! 私は個人の自由と責任を最も重視するのであって、国家による強制的な選別などを推奨した覚えは断じてない! ただ、個人が自らの判断で、より健康で優れた子孫を残そうと努力することまで否定するものではない、と言っているに過ぎません。全てを十把一絡げに批判するのは、知的誠実さを欠くと言わざるを得ない」
ラマルク:(ペイリーとスペンサーの激しい応酬を鎮めるように、しかし自身の信念を込めて語り始める)「まあまあ、お二人とも、少し落ち着かれよ。スペンサー君の言う『進歩』が、もし物質的な豊かさや、国家間の競争力だけを指すのであれば、それはあまりにも偏狭な見方と言わざるを得まい。真の社会の『進歩』とは、そこに生きる一人ひとりの人間が、その能力を最大限に開花させ、精神的に豊かで、道徳的に高潔な生活を送れるようになることではないのかね?」
(ラマルク、ダーウィンにも視線を送りながら)
ラマルク:「そのためには、スペンサー君の言うような厳しい競争だけでは不十分だ。ダーウィン君の言う『共感』も重要だが、それ以上に、社会全体で『教育』の機会を保障し、劣っているとされる者にも手を差し伸べ、その内に眠る可能性を引き出す努力が必要不可欠だ。無知や貧困は、個人の責任だけに帰せられるものではない。社会の仕組みそのものが、それらを再生産している側面もある。だからこそ、社会制度を改善し、全ての人々が努力し、成長できる環境を整えることこそが、社会全体の真の『進化』に繋がるのだと、私は信じて疑わんよ。それこそが、獲得された素晴らしい形質が、文化や知識として次世代に受け継がれていく道ではないのかね?」
スペンサー:(ラマルクの言葉に、やれやれといった表情で溜息をつき)「ラマルク先生、あなたの理想主義は美しいが、現実の社会はそれほど甘くはない。無限の資源があるわけでも、全ての人間の能力が等しいわけでもない。限られたパイを前にすれば、競争は避けられない。その競争を通じてこそ、創意工夫が生まれ、社会は活性化するのだ。過度な平等主義は、むしろ努力する者の意欲を削ぎ、社会全体の停滞を招くだけだ」
ダーウィン:(静かにスペンサーに問いかける)「しかしスペンサーさん、その『競争』が、公正な条件下で行われていると、あなたは本気でお考えですか? 生まれ持った環境や機会の不平等は、どのように考慮されるべきなのでしょうか? それらを無視した上での『適者生存』は、単なる強者の論理を追認するだけになりはしませんか?」
スペンサー:(ダーウィンの問いに、一瞬言葉を詰まらせるが、すぐにいつもの自信を取り戻し)「機会の不平等は、確かにあるだろう。しかし、それすらも、長い目で見れば、より優れた社会システムが選択されていく過程で是正されていくはずだ。重要なのは、国家が結果の平等を強制するのではなく、あくまで個人の自由な活動を最大限に保障し、その過程で生じるアンフェアネスは、民間の慈善活動や相互扶助といった自発的な行為によって補われるべきだということだ。それが最も効率的で、持続可能な社会の姿だと私は確信している!」
あすか:「『適者生存』という一つのキーワードが、これほどまでに多様な解釈を生み、そして激しい対立を引き起こす…。進化論が人間社会に与えた影響の大きさと、その複雑さを改めて感じさせられます」
(あすか、クロノスタブレットに、社会ダーウィニズムの肯定的な側面と批判的な側面をまとめた図を表示する)
あすか:「スペンサーさんのご主張は、個人の自立や自由競争を促し、社会の効率化や発展に貢献したという評価がある一方で、格差の容認や弱者の切り捨て、さらにはペイリーさんがご指摘されたような優生思想や差別を助長したという厳しい批判も免れません。進化の法則を人間社会に適用しようとする試みは、常にその倫理的な是非を問われ続ける運命にあるのかもしれませんね」
(あすか、一同を見渡し、穏やかながらも重みのある声で続ける)
あすか:「さて、ここまで3つのラウンドにわたり、『進化論』を巡る様々な側面からの議論を深めてまいりました。ダーウィンさんの提唱された自然選択説、ペイリーさんの設計論、ラマルクさんの用不用説、そしてスペンサーさんの社会進化論。これらの思想が、私たちの生命観、世界観、そして人間社会のあり方に、どれほど大きな影響を与えてきたのか、その一端を垣間見ることができたように思います」
(スタジオの照明が、ゆっくりと最初の落ち着いたブルーに戻っていく。背景LEDには、宇宙から見た地球の映像が静かに映し出される)
あすか:「『歴史バトルロワイヤル EVOLUTION WARS』、ラウンド3はここまでとさせていただきます。次のラウンドは、いよいよ最終ラウンド。これらの壮大な議論を踏まえ、進化論が私たち一人ひとりの生き方、そして未来にどのような問いを投げかけているのか、皆様と共に考えていきたいと思います。どうぞ、最後までお付き合いください」