ラウンド2・後半:神の設計か、自然の選択か?~『種の起源』の衝撃~
あすか:「ダーウィンさんの『段階的進化』と『時間の力』という反論に対し、ペイリーさんからは『都合の良い仮定に満ちている』、ラマルクさんからは『生物の主体性の欠如』という厳しいご指摘がなされました。ダーウィンさんの自然選択説の根幹が、今まさに問われていますね。ダーウィンさん、これらのご意見、特におびただしい偶然の積み重ねというペイリーさんのご懸念に対して、さらに反論はございますか?」
ダーウィン:(静かに頷き、ペイリーとラマルクを交互に見ながら、慎重に言葉を選ぶ)「ペイリー先生が仰る『都合の良い仮定』というご批判は、自然選択のプロセスを誤解されている点があるかと存じます。私が強調したいのは、生物界に見られる『変異の豊富さ』そのものです。いかなる生物の集団を見ても、そこには無数の個体差、つまり多方向への変異が絶えず生じております。それは、都合よく特定の方向にだけ現れるわけではありません。むしろ、あらゆる方向に無作為に生じるのです」
(ダーウィン、少し身を乗り出し、熱を込めて続ける)
ダーウィン:「そして、自然選択とは、その無数の無作為な変異の中から、特定の環境において生存と繁殖に『有利なものだけを篩にかける』プロセスなのです。ペイリー先生は『無数のサイコロを振り続け、偶然にも全てのサイコロが同時に六の目を出すのを待つようなもの』と仰いましたが、それは的確ではございません。自然選択は、一度有利な目が出れば、その目を『保存』し、さらにその上で次の有利な目を積み重ねていく、指向性のあるプロセスなのです。サイコロの目を例えるならば、一度六の目が出たサイコロは固定され、他のサイコロだけを振り続けるようなものです。これならば、全てのサイコロが六の目になる確率は、単なる偶然の積み重ねよりも格段に高まりましょう」
(次にラマルクに顔を向け)
ダーウィン:「ラマルク先生の仰る『生物の主体的な努力』や『願い』が、どのようにして遺伝可能な形質として具体的に変化し、子孫に伝わるのか、そのメカニズムを実証的に示すことは、残念ながら私にはできませんでした。もちろん、生物が環境に対して能動的に働きかける側面を否定するものではございません。しかし、その結果が安定して遺伝し、種の変化の主要な原動力となるかについては、疑問が残ると申し上げざるを得ません。私の説は、少なくとも観察可能な変異と選択の力によって、検証可能な形で説明しようと試みたものなのです」
スペンサー:(ダーウィンの言葉に満足げに頷き、待ってましたとばかりに口を開く)「その通りだ、ダーウィン君!それこそが科学的探求の姿勢というものだ!ペイリー先生、失礼ながら、あなたの『設計論』は、結局のところ『神の御業だから人間には理解できない』という結論に逃げ込んでいるようにしか聞こえません。それは、かつて雷をゼウスの怒りだと説明したのと本質的に変わらない。我々が目指すべきは、たとえ困難であっても、自然現象を自然界の法則によって、観察と論理に基づいて説明し尽くすことではないのですか?」
(スペンサー、自信に満ちた口調で続ける)
スペンサー:「ダーウィン君の自然選択説は、私が提唱する宇宙の普遍的法則『進化』における、生物界での具体的なメカニズムの一つとして、極めて重要な位置を占めるものです。ラマルク先生の言う生物の能動性や環境への適応努力も、それ自体は興味深い観察ですが、その結果がどのように次世代に影響を与えるかという点では、ダーウィン君の遺伝と選択のモデルの方が、より広範な現象を説明できる。もちろん、これも完璧ではないかもしれない。しかし、これは検証可能な仮説であり、さらなる探求への道を開くものです。『設計』という言葉で思考を止めてしまっては、何の進歩もありませんぞ!」
ペイリー:(スペンサーの挑発的な言葉にも冷静さを失わず、しかし確固たる信念をもって反論する)「スペンサー殿、あなたは『科学的』という言葉を盾に、人間の理性が及ばぬ領域の存在を軽視しておられるようだ。私が申し上げる『設計』とは、思考停止では断じてありません。むしろ、自然界の精巧さ、美しさ、そしてその背後にあるであろう秩序を、人間の理性が謙虚に認めた上での、最も合理的な結論なのです。人間の眼が、あるいは鳥の翼が、何百万年という時間をかければ偶然にできるかもしれないと仰る。しかし、その『かもしれない』という可能性の海の中で、なぜこれほどまでに調和のとれた、目的を持った構造が『実際に』存在するのか?その事実の重みを、あなた方はあまりにも軽く見ておられるのではないか?」
(ペイリー、声を強め、ダーウィンとスペンサーを交互に見る)
ペイリー:「そして、もし仮に、そのような偶然の積み重ねで全てが説明できるのだとしても、その先に何があるのです?目的も意味もなく、ただただ生存競争が繰り返されるだけの冷たい宇宙ですか?そこに、人間の尊厳や道徳の基盤を見出すことができるのでしょうか?『神の設計』という概念は、単に生命の起源を説明するだけでなく、我々が存在する意味、そして我々が拠って立つべき倫理的な価値観をも与えてくれるものなのです。あなた方の説が広まれば、人間は自らを単なる物質の塊、偶然の産物とみなし、社会の秩序は根底から覆される危険性があることを、私は深く憂慮いたします!」
ラマルク:(ペイリーの最後の言葉に、複雑な表情を浮かべる)「うむ…ペイリー殿の懸念も、分からぬではない。ダーウィン君の言う『自然選択』や、スペンサー君の言う『適者生存』が、あまりに単純化されて人間社会に適用されれば、確かに弱肉強食を肯定するような、冷たい社会を生み出しかねんという危惧はある。私の『用不用説』は、生物自身の努力と、その努力が報われるという、ある種の『希望』を含んだものだったつもりだ。ダーウィン君の説にも、ペイリー殿の説にも、どこか生命の持つ温かみ、その主体的な輝きが欠けているように感じられてならんのだ」
あすか:「ダーウィンさんの『変異の豊富さと選択の指向性』、スペンサーさんの『科学的方法論の優位性』、そしてペイリーさんの『設計論の合理性と道徳的含意』。ラマルクさんも、両者の議論に共感と疑問を投げかけられました。神の設計か、自然の選択か…。この問いは、単に生物学的なメカニズムの議論に留まらず、私たちの世界観、人間観、そして倫理観そのものを揺さぶる、非常に根源的なテーマであることが、ますます明らかになってまいりました」
(あすか、クロノスタブレットに表示された両者の主張の対比図を指し示す)
あすか:「ダーウィンさんは、観察可能な事実と時間の積み重ねによって、目的を持たないプロセスから複雑な構造が生じうると主張されました。一方、ペイリーさんは、その複雑さと精巧さそのものが、目的を持った設計者の存在を証明していると反論されました。この両者の溝は、埋まるどころか、むしろその深さを増しているようにも見えます」
(あすか、スタジオの緊張感を察しつつ、穏やかに続ける)
あすか:「しかし、この根源的な対立こそが、私たちの知的好奇心を刺激し、真理への探求を駆り立てるのかもしれません。さて、この白熱した議論を受けて、ラウンド2『神の設計か、自然の選択か?』、そろそろ結論……いや、結論を出すのは時期尚早でしょう。皆様の情熱的な言葉が、私たちの思考に多くの種を蒔いてくださいました」
(スタジオの照明がゆっくりと変わり始め、次のラウンドへの期待感を高める音楽が静かに流れ始める)
あすか:「ダーウィンさんの自然選択説、そしてペイリーさんの設計論。これらの考え方が、人間社会、そして個人の生き方にどのような影響を与え、解釈されていくのか。次のラウンドでは、いよいよ『適者生存』というキーワードを巡り、進化論が社会思想と結びついた時、そこにどのような光と影が生まれたのかを探ってまいります。『歴史バトルロワイヤルEVOLUTIONWARS』、ラウンド2はここまで!息をのむ展開の連続、皆様、次のラウンドも、心してご覧ください!」