舞台地理の解説
この物語に出てくる旧御厨地域とその諸元を少し照らし合わせて、俯瞰的に位置関係で物語の舞台世界観を確認してみよう。ちなみに解説文、なぜここに登場する関東の御厨に河川水系も併記するのかという理由は、この当時は運輸には水運が欠かせなかった。大きなものや重いものを運ぶには河岸間輸送が主流であった。そのため同じ水系にある都市同士の結びつきの強さは土地の持つ文化の伝播にも影響していた。
この当時の関東の河川水系は渡良瀬川(太日川)水系と絹川(鬼怒川)水系、荒川・利根川水系に分かれており、江戸時代のインフラ工事である赤堀川掘削以前の律令時代には銚子などの外海と東京湾という内海は直接川を通しての内陸往来は出来なかった。わざわざ安房鴨川、館山ルートなどの外房からぐるりと太平洋を回って当時の江戸湾、今の東京湾に行くのがおおよそ通常ルートだった。河川海路の水運ルートが方言や食事、郷土料理などの分野で共通文化としてしばらくは残っていたそうだ。なのでその参考までに併記している。そういうことも物語の隠れた味付けに使えるので、あえてここで挙げてみた。
設定上の虚構のお話としては、それぞれの旧御厨地域の町には暦人御師の家があることにした。そしてその家はもともと講元宿だったという設定で、かつては時間旅行者、すなわち暦人だけが宿泊できる宿としている。成熟した社会の二十一世紀では、講元宿はただの飲食店や商店に変化したが、時を遡って江戸時代以前のその場所に行くと、暦人たちが無償で宿泊できる宿となっている。そうすればお金がなくても暦人であることを証明することで、旅先において路頭に迷うこともない。その運営にあたったのが暦人御師の家ということになっている。ちなみに本文には出していないが、明治初期までは幸吾で遠方の人同士が会話することは難しいとされていたが、江戸時代の中期以降は公用語の発達で文語(お手紙の堅苦しい文章)を使った筆談で北の方の人と西の方の人はコミュニケーションを取れるようになったと言われている。なので明治前期の講元宿に宿泊することは決して虚構ではない。
紹介の文は北から順に降りていくことにする。
○寒河御厨は栃木県、栃木市、小山市、下野市、野木町などに跨がる渡良瀬川・思川水系の地域にある。この物語では思川乙女という女性の御師がこの地域のタイムゲートと、もと講元宿のうずま酒造食品部を管理している。また伊勢系と一緒に大神系の神社も管理している。
○梁田御厨は栃木県、足利市に位置する渡良瀬川水系付近にある。歴史遺産の鑁阿寺や足利学校、また足利伊勢宮、織姫神社などもあり小京都ととしての佇まいをいまに伝える地域である。この地域は物語では八雲半太郎がタイムゲートの管理しており、長慶子の時巫女がこの足利の町を拠点に活動している。
○相馬御厨はあえて言えば絹川(鬼怒川)水系。当時の利根川は荒川と合流して東京湾にそそいでいたので、渡良瀬川とも鬼怒川とも違う流れをしていた。ただし氾濫の多い河川だったので渡良瀬川と利根川は時代によって流れが交わることもあった。対して地形の関係で、利根川や渡良瀬川の両者が鬼怒川と交じることはほぼなかったと思われる。そこに分水線があったという。なので香澄流れの海を経て、太平洋にそそいでいたのは絹川水系のみ。そう船橋、市川方面から古河を経由して日光までは完全な水分(分水界)が存在した。かつて古代に存在した大きな汽水湖である香澄流れの海の岸辺に位置した日本最大の伊勢神宮の御厨で千葉県、茨城県、埼玉県、東京都にまたがる地域に存在していたとされる。
この物語のなかでは、二つの御師が存在しており、その謎を古い言い伝えから探していくというプロットになっている。その二つの家とは香澄流家と印旛家であり、それぞれ櫻子と麿緒という大学生の若い御師見習が活躍している。
○大河戸御厨は正確な所在地が不明で、おおよその場所しか分からないとも言われる埼玉と千葉に跨がる御厨。ここの物語での詳細は明らかにするとネタバレになってしまうので、この程度でお許しを。
○飯倉御厨は東京都の中心地に位置した御厨で、東京タワーがある一帯の丘陵地を中心に存在した御厨。古代から聖地だったとされており、現在も丘陵地帯の芝公園内には何基かの古墳が保存されている。もともとは芝大神宮もこの丘陵地帯にあったともいわれている。物語では芝乃大神宮という架空の神社がこの御厨の中心神社であり、栄華がこの御厨の御師として活躍することになる。この御厨ももと講元宿があり、モントルというケーキショップだ。
○船橋御厨は夏見御厨とも言われる千葉県に存在した御厨。船橋は日本神話のヤマトタケルノミコトが船を並べた船橋でえび川を越えた場所ということで付いた地名である。なにかと神々にご縁のある土地柄だ。中心にあったとされる意富比神社は別名で船橋大神宮ともいわれている。物語では夏見粟斗が跡継ぎの決まるまでの数年仮の御師を務めたことになっている。
○葛西御厨は東京都の市街地に位置する場所に存在した御厨。当時の渡良瀬川下流部分である太日川一帯に開けた御厨である。この物語上では青砥一色の経営するもと講元宿潮風食堂がある場所だ。
○榛谷御厨は横浜市の保土ヶ谷地域に存在した御厨。榛谷が転じて保土ヶ谷という地名が生まれたとする説が有力。物語では三井みずほの経営する喫茶店、ワンダーランド(絶景の場所の意味)がこの御厨のもと講元宿である。
○大庭御厨は神奈川県中央部にの位置した大規模な御厨。物語の上ではここに相南市があり、この御厨の周辺に町山田市があると思って頂きたい。即ちepisodeゼロやファーストシーズンの舞台である。おおよそ境川から引地川の水系に位置する台地から海岸までに開けた御厨である。ここにある山﨑凪彦の運営するフォトギャラリーさきわひ、もと講元宿であり、時の迷い人の相談所でもある。
○大沼鮎沢御厨は静岡県の山中にある御厨。特に物語には登場しないが設定上、多霧の時巫女の住処ということになっている。