人魚姫の婿探し
様々な青で綾とった海の中には、人魚たちの国がありました。
カラフルな尾びれで優雅なダンスを踊り、泡ほどのたくさんの恋に巡まれた国のお姫様のお話・・・
本日のリシェラの予定は、父である国王との謁見だ。しかも大事な場なので身なりを整えてくるように、とのお達しが出ている。
普段は海流に身を任せ自由に咲いている珊瑚たちのように、寛大に育てられた姫である。わざわざ『姫君』の格好をさせるなんて、きっと何かあるに違いない。リシェラはぼんやりと考えた。
大騒ぎしているのは侍女たちだった。普段着飾らない美しい姫を、飾り立てる機会が突然現れたのだ。装飾品は宝物庫で管理されているので、その中から一等上等な品を借りてきた。何連にもなった太古の真珠の髪飾り、かつての女王が付けていた青金のサークレット、神々がさずけたとされる魔除けの金剛石のチョーカー、陸の王子が想い人の人魚へと渡したルビーの指輪、どの宝石たちも姫君につけてほしいと星のように瞬いていた。
「うーんと、どれも国宝級のアクセサリーばかりだと思うんだけど・・」
「はいっ!リシェラ様がおつけになるには相応しいかと思います!」
うーん、今日はそんなに大切な日なのかしら、という困惑した顔も可愛らしい姫君に、あなただからこそお似合いになるのですよ、と鼻息も荒く侍女たちは支度を始めた。
そう、このお姫様は自分がどれほど美しいか理解していないのである。性格はまわりに流されるまま、まるで波まかせに揺れている流れ花珊瑚のようにふわふわとしているので、城中の人魚が心配している。
そうこうしているうちに、『姫君』の格好をしたリシェラが出来上がった。
「まぁ!こんなに綺麗にしてくれて、ありがとう」
こういうところが姫君の初々しくも可愛らしいところであるから、国中の人魚から愛されているのである。
「国王様、リシェラが参りました」
「リシェラ、傷ひとつない真珠のような末姫、今日は大切な話があって呼んだのだ。」
立派な髭を蓄えた父王は、困ったように髭を撫でていて、なかなか話を切り出さない。髭をくるくる〜ぴーんっと弾いた時、閃いたっとばかりに話し出した。
「リシェラよ、そなたも結婚の時期となった。今日は花婿を紹介する予定だったが、なにぶん忙しい男だ。この城にはおるので、そなたで連れてまいれ」
以上である、とばかりにリシェラは謁見の間を追い出されてしまった。
思ったよりも早く帰還した主人に話を聞いた侍女たちは、まるでウツボの巣をつついたような騒ぎようだった。
「ついにリシェラ様もご結婚!」「花嫁衣装はどうしましょう!」「これから毎日2時間エステですよっ」
「「「リシェラ様の婿となる幸福な方はどなたなのでしょう⁉︎」」」
「どっどなたなのでしょう・・・?」
かくしてリシェラの花婿探しは始まった。
父王に再度謁見を依頼しても居留守、侍従長経由で『自分で探すこと。城の中に花婿はいる』と伝えられた。さきほどから情報が増えていない。しかたなく、煌びやかな衣装のまま花婿を探すとした。
リシェラの頭の中に、花婿候補として浮かぶのは2人だった。
宰相の息子のシエル、近衛騎士団筆頭若頭のロダンだ。
2人とも貴族で、王の覚えもめでたい優秀な家臣だ。リシェラが参加する男性がいる数少ないパーティーに、王族以外で毎回参加しているのはこの2人だけである。そして2人とも城にいる。
まずは声をかけやすいロダンに話しかけに行こうと、重たい尾びれを動かした。
いくらリシェラの頭が流れ花珊瑚のようにふわふわしているからといって、この状況がおかしいことには気づいている。父王の気まぐれなのか・・・しかし「あなたは私の結婚相手ですか?」なんて聞くのは恥ずかしすぎる。
だが、今日のリシェラは至宝を纏いし美の化身である(侍女たちが言っていた)。強気にいくのだ!
「ロダン・・あの、今いいかしら?」
突然ロダンの持ち場に現れたリシェラは、まるで神代の海を創ったとされる女神のようだった。
若々しく生命に溢れた肢体に、厳かに真珠のティアラがのっている。顔はうっすらと微笑んでいるような、困っているような表情をしている。
「リシェラ様、なんなりとお申し付けください」
「あなたって・・その、私の花婿かしら?」
ロダンの中で時が止まった。「あなたってわたしの花婿かしら?」そうなのか?
「僭越ながらリシェラ様、それは、私があなた様の花婿であるということでしょうか?」
「お父様からなにか言われている?」
「いえ、そのようなことは、とくには・・」
ロダンの心臓はかつてないほど音を立てていた。「あなたってわたしの花婿かしら?」え?どうなのだ?
ロダンが混乱の渦の中にいる最中に、麗しの姫君はどこかにいってしまった。
ロダンが結婚相手ではないようね。ということは、シエル様かしら?
シエル様って、少し苦手・・・銀水晶のような瞳で、ひたっと私を見つめてくるんだもの。
リシェラのはいた小さなため息は、泡となりきらきらと青い海に散っていった。
「シエル様は私の結婚相手なのでしょうか?」
宰相補佐室で仕事をしているシエルに尋ねた。
「はい、そうですよ」
「えっ」
まさか、この父王のいたずらのような花婿探しで、当たりの人物に会えるとは思っていなかった。大きな目を真ん丸にしてシエルを見つめる。
細い鼻梁、薄い唇、銀水晶の瞳は知性と少しばかりの神経質さを伝えている。先の尖ったクリスタルのような美しい男だ。
シエルは仕事を中断して、リシェラの下に跪く。長くて艶かしい尾びれだ。まるで細い珊瑚礁に触れるように、壊れないようにそっとリシェラの手を取る。
「あなたの花婿にしてください。傷ひとつない真珠のような方、我が姫君。」
触れられた指先から灼熱が伝わったかのように、とっさに指を離した。
「いかないでください。ずっと愛していました。」
ドアの前にシエルが立った。
なんで、私はシエルのところに1人できてしまったのだろう。目の前の男は捕食者の眼で見つめてくる。軽い力でリシェラは絡め取られてしまう。飾りつけられた真珠が星屑のように舞う。
食べられちゃう・・・・
熱い吐息を残して、リシェラは宰相補佐室を後にした。茜色の海に吐息が溶けていく。
自室に戻ると、侍女たちが興奮気味になにがあったのか聞いてくる。人魚の世界は自由恋愛だ。侍女たちはおそらく、リシェラが『最後の思い出』を作ったのか、『結婚が待ちきれなかった』のか気になっているのである。どちらにせよ、そういうところに寛容なのが人魚である。
リシェラはいつものようにぼんやりと返事をして、身支度を整えながら再度父王に謁見を申し出た。
謁見までの間、侍女たちの視線が気になり、庭に出ることにした。カラフルな大花珊瑚の絨毯が広がり、ウミアザミたちが咲き乱れ、イソギンチャクに隠れる小さな生き物がいる。神代からあるといわれている遺跡もあり、現実を忘れられる王族の庭である。
遺跡の中へと入ると、夕陽に照らされ、あちこちにリシェラは見たことがない炎が宿ったように見えた。
どうせ結婚相手が分かるなら、こんなロマンチックなシチュエーションがよかったな・・・。
「リシェラ」
炎の中から呼びかけられた。
「こちらにきてくれないか?」
この声は。
リシェラは飛び魚のようにかけていく。
「お兄様!」
ばっと夕陽の中へ入っていくと、そこには跪いた兄がいた。
凛々しい第二王子。リシェラと兄のマリオンはよく似ている。子供の頃は水面に映った半身のように似ていた。今は甘いマスクに高い鼻、綺麗な形の唇、太い首と尾びれがセクシーだ。
「リシェラ、結婚してほしい。小さな頃は愛らしい妹としてみていたが、今は1人の女性として大切に思っている。すでに父王の許可も貰っている。今までもこれからも、リシェラの1番近くにいさせてほしい」
リシェラ結婚してほしい・・父王の許可ももらっている・・・え?どういうこと?
「お父様!私の結婚相手はお兄様なのですか⁉︎」
「そうじゃよ。どうしてもとマリオンに言われてな。しかも今日になって、ムードがあるところでプロポーズしたいと言われてのぅ。」
困った困ったと言いながら、楽しそうに髭を引っ張っている。
「リシェラ、さきほどのプロポーズの返事を聞きたいのだが」
「えっ、それは、もちろん、小さな頃から頼りにしてきたお兄様なので、お受けしますが・・・」
「ありがとう。世界一幸福な花嫁にする」
あれ?あれれ?これでいいの?
いくら人魚が泡ほどの恋に寛容だからといって・・・これでハッピーエンドなの?
---僕は諦めません。