終幕
暗い話が好きだった。
とびきり暗くて、救いがなくて、ただ苦しくて悲しい。心臓をぎゅっと掴まれるような、そんな話が好きだった。
今読んだらどう思うのだろう。自分と重ねて泣くのだろうか。涙もろいのに暗い話が好きだったから、読んでは泣いて、感情移入しては泣いて、ちょっと鬱になってを繰り返していた。我ながらとんだ変態だ。こういうタイプのマゾではないかと思う。
「お時間です」
管理者が部屋に入ってくる。私は緩慢な動きでその顔を確認して、どうしてこの人は死にゆく人のそばにいるのだろう、と考える。痛まし気に目を逸らすのに、どうして死の瞬間に立ち会おうとするのだろう。
死出の旅路。
ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。
古典の授業で見たのだろうか。よく覚えていないが、なんだか頭に残った。これから死ぬ私は、冥界への道をてくてく歩いて、地獄だか天国だかの門番に出迎えられて、聞かれるのだ。「汝、この扉をくぐる者か?」――私は答える。「くぐらなきゃいけないっぽいです」。
くだらない妄想が妙におかしくて、くすくすと笑う。笑うだけの元気が残っていたことに驚いて、また笑う。だって振り返ると、実は途方もない道のりを歩いてきていて、今更それを遡って現世に戻ろうなんて考えは思い浮かばない。とりあえず地獄でも天国でも座れればいいから門をくぐらせろという。そんな旅路なら、悪くないかもしれない。
延命治療の器具と一緒に運ばれていく。
望み通り、最後の瞬間に解体される自分の姿が見えないよう、ゆっくりと意識が薄れていく。ひょっとして昨日術後にぼんやりしていたのは薬の副作用だったのだろうか、なんて、今更思い当たる。
どうしてか、こんなに死が直前に迫って思い出すのはスマホケースで、最後くらい買いかえればよかったかな、とか、考えてみる。
後悔はたくさんある。「あ、」の積み重ねで、回避する間もなく訪れて、瞬きすら許さず過ぎ去ってしまった時間が記憶の彼方で手を振っていた。
「さようなら」
バイバイ、私の愛した世界。
そうやって目を閉じた私が握りしめた起伏に乏しいこの物語を、誰かに読んで欲しい気もした。
完結です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。