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一世一代


「残念ですが、腰から下は戻りません。今は延命治療を施していますが、正直に言って、本当に気休めです。今生きていること自体が奇跡という他ありません」


 はあ、そうですか。

 たくさんのチューブがつながった自分の下半身を見ても、そんな感想しか思い浮かばなかった。

 痛みはない。薬のおかげなのか、痛みを感じる機能が麻痺しているのか、どっちもなのかはわからないが、それだけが幸いだった。

 どう考えても助からなかった。現代の医療は飛躍的に進歩したとはいえ、出血多量で救急車の到着前に死亡していたとしてもおかしくない。頭だけが冷静に思考するのが少しおかしかった。死を待つ体。余命は何日だろう。一か月あるのだろうか。

 訳の分からないくらい精密な機械が規則的な音を立てている。あのうち一つでも電源を抜いたら、私の命はそこで止まるのだろうか。そもそも、ただの計測器のようにも見えるあの機械は何の役割を果たしているのだろう。

 医師の説明は長くて、よくわからなかった。要約すると多分「お前もうすぐ死ぬからな」なんだと思う。これ以上生きられない理由とか、今施している延命治療がどれだけ高度で複雑か、滔々と説明されているうちに、私はすっかり飽きてしまった。


「あの、すいません」

「はい」

「私の体、何かに利用できたりしませんか」


 医師は片眉を上げた。それがどういう感情なのか、いまいちわからない。


「それは………ドナーということですか?」

「ドナーでも、なんでもいいんですけど」


 脳も心臓も動いていて、しかも下半身がない今の状態で、果たしてドナー足り得るのかという疑問はある。

 案の定、医師はカルテらしきものをペラペラとめくり、眉間に皺を寄せた。


「貴方の場合………甲状腺機能亢進症と診断されているため、ドナー提供は難しいですね」

「あ、そうなんですか」


 いわゆる「バセドウ病」だ。高校二年生の時に診断された。私はそれまで、どちらかといえば平均より筋肉も脂肪もつきやすい体質だったのだけど、ある時を境に体重が激減し、物理法則を守ってくれなくなった。一日に7000キロカロリー近く摂取しても痩せていく。総重量が一キロだろうと二キロだろうと、全く脂肪に加算されない時期があったのだ。

 今は投薬治療で落ち着いているが、心拍数と血圧が上がりやすく、長時間の激しい運動は心臓に負荷がかかるからと医師に止められた。よくよく考えればホルモンバランスが狂っているし、血液検査の結果も未だ正常でないのだから、そんな体から臓器を提供できるわけがない。


「………………、ドナーのように体を提供する意思が揺るがないのであれば、ですが」


 医師はどこか躊躇いがちに、それでいて妙に事務的に、口を開いた。


「もしよければ、食肉用として体を提供してみませんか」


 え?と思った。

 脳が空白になって、医師の言葉が再生される。

 食肉用として体を提供―――食肉用、食肉用?

 ちょっと不自然なくらいの間を挟んで出てきたのは、間抜けな一言。


「………………え?」





 人体再利用プロジェクト。

 それは、そんな名前で密かに始まった。

 私のように、余命いくばくもない人や、延命治療を望まない人、その他いくつかの条件を満たす人々の中で、ドナー不適合者を選び、「その体を有効活用してみないか」と勧める。ドナーになれずとも、その体を誰かの役に立てることができる、「あなたの体が作るかもしれない未来」がスローガンだという。

 



「食肉用って…………それ大丈夫なんですか?」

「病気のリスクに関しては心配いりません。現代の最先端の技術を用いれば、限りなくリスクをゼロに近づけることができます」

「や、じゃなくて、倫理とか………………」

「倫理」


 医師が首を傾けた。どうしてだかそれが芝居がかって見えて、なんとなく気味が悪い。


「快楽や好奇心からの食人は禁忌ですが、危機的状況下での食人は必要に駆られた結果として容認されます」

「…………危機的状況」

「例えば、極限の飢餓状態ですね。かつての世界大戦中に人肉を食して生き長らえたという記録も残っています。現在は世界的に情勢が不安定であり、わが国の食糧事情も芳しくないことはご存知ですか」

「まあ、しょっちゅう問題に上がるので」


 第三次世界大戦が勃発した時期には、虫すら食べなければ生きていけなかったと聞いた。大戦自体は終結し、第二次世界大戦期ほどの被害はなかったものの、飢餓や栄養失調による死亡者は戦後最大となり、食糧生産ラインの大幅な見直しが行われたのだ。

 しかし、2000年代から低迷し続けた食糧自給率がそう簡単に回復するわけもなく、今また大戦が勃発すれば、国民の四分の一が飢餓状態に陥るという統計も出ている。


「確保できる食糧は少しでも多い方がいい、というのが政府の意見です。もちろん社会倫理や健康上のリスクは最大限に考慮した上で、という条件付きですが」

「はあ………………」

「我々はこのプロジェクトの参加者を、便宜的に『ドナー』と呼びます。不用意な混乱を招かないためです。食肉用としてドナーの身体を利用するにあたって、解体などの作業が必要になりますが、一切の苦痛を伴わないことをお約束します」


 そうか、解体が必要なのか。

 それはそうだ。人体も、皮を開けば肉の塊。まさかブロック肉を生のまま食べるわけにはいくまい。加熱処理だか防腐処理だかは知らないが、とにかくいろいろ手を加えて、市場に並べるのだろうか。それは少し愉快な気がした。


「あの………一つ聞いていいですか」

「何でしょう」

「親…………というか身内には、このことって口外されませんか?」


 医師はにっこりと、作り物めいた笑顔を浮かべた。


「まだ非公開のプロジェクトですので」


 ………………なるほど。

 つまり親にも知らされない。ついでに、恐らくだがプロジェクトに参加した時点で、知らせる手段は絶たれるということか。


「………………、わかりました。参加します」


 どうせ死ぬなら、最後くらい誰かの役に立ってもいいではないか。

 本当に、ただ、そう思った。


 医師は立ち上がって、深々と頭を下げる。


「ご協力、感謝します」




 

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