泡沫(草稿)
──部屋にぽつんと置かれている棺にもたれ掛かるように床に座る浩太。中の遺体に向かって話しかけている
浩太 …なぁ、なんで今なんだよ。ほんとお前…いつまで経っても空気読めねえんだから……
優愛 もしかして…浩ちゃん?
浩太 ……優愛?
浩太M あれは三年前の事だった。
大学四年になっても一向に就職先が見つからず、俺はそのまま大学を卒業した。学生時代は遊ぶよりもバイトして金を貯めていた為貯金はそれなりにあったのだが、もうバイトすらする気にもなれず貯金頼みの生活。その貯金もだんだんと減ってきている。
人生なんてクソ喰らえ。大学受験の時からそう思い続けているせいか、その頃からもう生きるということがどうでも良くなっていた。
優愛 うっそ!久しぶり!え、何年ぶり?高校卒業して以来だから…えっと…5年ぶり!?
浩太M そして何もかもどうでも良くなった俺は、貯金を全部使い果たして死んでしまおうと、世界を周る旅に出た。その旅先、シンガポールでまさかの顔と再会したのだった。
浩太 お前… それくらい暗算出来んだろ。手計算って小学生か
優愛 えー?だってあたし、算数の時からもう無理だったもん。浩ちゃんなら算数のテスト0点事件、覚えてるでしょ?
浩太M 優愛とは小中高と一緒の同級生で幼馴染だ。昔からこう騒がしく、だけどいつでも同級生達の笑顔の輪の中心にはこいつがいた。
優愛 てかてか、浩ちゃんはこんな所でなにしてんの?
浩太 いや旅行に決まってんだろ。この私服見れば分かるだろうが普通
優愛 分かんないよ?お仕事で来てて、ちょうど今日は一日休暇で遊びに出て来たのかもじゃん!
浩太 …してねえよ
優愛 え?
浩太 だから、仕事。見つかんねーまま卒業したんだよ
浩太M なんとなく後ろめたくなって、声が小さくなる。
優愛 え、じゃあ今一人ってこと?これからどこ行くとか決まってんの?
浩太 あーそうだよ悪ぃかよ、男一人で旅行なんて。なんも決めないで出てきたんだよ
優愛 そんな事ないよ!でもさ、二人の方がもっと楽しいと思わない?
浩太 は?
優愛 うん、絶対楽しい!よし!
浩太M 優愛はそう言うと笑顔で俺の腕をグッと引っ張った。
優愛 今から一緒に周ろ!あたしあとねー、今夜ナイトサファリ見て明日帰国予定だからさ!
浩太 はぁ?いや俺は──
優愛 なんも決まってないんでしょ?なら帰国の便も一緒にしちゃおーよ! あははっ、浩ちゃんとこうやって出掛けんのひっさしぶりだなぁ〜
浩太 おい、お前人の話聞けよ!
浩太M 俺はそのまま優愛の強引さに負け、二人でシンガポールを堪能した後、帰るつもりの無かった日本に帰国する事になったのだった。
SE (ピンポーン)(ガチャッ)
優愛 お、いらっしゃーい!
浩太 ん、土産
優愛 うわーっ!すごい、地ビールセット?!めちゃくちゃ美味しそ〜っ
浩太 とりあえず早く上げてくんね?外マジで暑いんだわ
優愛 ああ、ごめんごめん。どうぞー
浩太M 帰国後、優愛の提案でひと月に一、二回くらいの頻度で会うようになった。遊びに行ったり酒飲んだり、何をするかはその時の優愛の気分で決まる。今日はこいつん家で宅飲みしようという事になっていた。
浩太 へ〜、思ったより綺麗にしてんじゃん
優愛 あっはは、自分で言い出したは良いけど散らかりまくってたから、超速で片付けたよ
浩太 じゃあ、このクローゼットやカラーボックス開けたら雪崩起きんのか
優愛 えっ待って、ガチで開けないでね!?ほんとギチギチに詰め込んであるから!
浩太 少しは否定しろよ…
浩太M 苦笑いしつつ、リビングのローテーブルの前で胡座をかく。再会した当初は当惑していたが、もう昔の感覚を思い出し緊張もしなくなっていた。
暫くして、ローテーブルに様々な料理が並び始めた。全部作ったのかと聞くと、半分くらいは出来合いのものを買ったと頬を掻きながら苦笑いした。
あれだけ空っぽで、人生どうでも良いと思っていた俺の心は、こいつのせいでどんどん満たされていっていた。それが物凄く擽ったく、同時にとても心地良く感じているのが自分でも信じられなかった。
──次月。公園内を散歩している二人。
SE (木々のざわめき)
優愛 んーーっ!やっぱこの時期のお外は気持ちいいなぁ
浩太 暑さもだいぶ引いたし、外で遊ぶにはちょうどいいかもな
優愛 あ、にゃんこだ!(駆け寄って)こんにちは。元気ですか? ……返事がない
浩太 (少し笑いながら)そりゃそうだろ
優愛 んー…。あ、そっか! にゃー!にゃにゃにゃ?
浩太 (吹き出して大笑い)
優愛 え?なになに、なんで笑ってんの??
浩太M 自分が笑われているという事が全く分かっていないようなワクワクした笑顔に、より愛しさと可笑しさが込み上げ笑ってしまう
優愛 ちょっとー、早く教えてよ!何見つけたの!?
浩太 あー、うん、そうだな…
浩太M 笑いすぎて出た涙を拭いながら少し考える。
浩太 ……幸せな光景、かな
優愛 何それ何それ!あたしもみたい!どこどこ?
浩太M 目をキラキラ輝かせキョロキョロと辺りを見回し始めた彼女に、さらに吹き出してしまう。
優愛 えー?また笑ってる!もー!なんなのさぁ!
浩太 っはは…ごめんごめん
浩太M 今度は不機嫌そうに拗ねたような表情をする。本当にこいつはコロコロ表情が変わるな…と思ったら、
浩太 なあ、俺ら付き合わねえ?
浩太M 口をついて出てしまった。心の準備もなんもしてないのに、つい言葉が先走ってしまった。だけど正直断れるとは思っていなかった。
そんな俺の予想とは裏腹に、彼女の表情は固まり、だんだんと暗くなっていったのだった。
優愛 ……。(何か言いたげ)
浩太 …どうした?
浩太M 一気に不安に支配された心を隠すよう、努めて冷静を装う。
優愛 …あ、えっとね…。…あたし、浩ちゃんに話してない事があるんだ
浩太M このあと時間ある?と聞かれ、俺は頷いた。そしていつも通り、優愛の部屋へお邪魔する事になった。
優愛 あまり外で話すことでもないから…
浩太 …おう、
浩太M 一体何を隠しているというのだ。急かしたい心をぐっと押さえつける。
優愛 あのね、あたし… 障がいを持ってるんだ
浩太 …障がい?
優愛 うん。発達障害って呼ばれる部類のものでね、注意欠陥・多動性障害…ADHDっていうの。先天性なんだけど、発覚したのは割と最近で20歳過ぎてからなんだ。
ほら、あたしって昔から落ち着きがなかったり思いついたら即行動してたじゃん?あれが主な特性なの。他にも色んな特性があるんだけど…多分、今話しても理解してもらえないと思うから
浩太 ……
優愛 浩ちゃんには話しておきたいなってずっと思ってたんだけど、もし話したら今の楽しい関係が壊れちゃうんじゃないかって思って…言えなかった。今まで隠しててごめんね。だから、さっきの公園での話も──
浩太 関係ねえよ
優愛 …え?
浩太 障がいだろうがなんだろうが関係ねえんだよ。俺は、そのままのお前が好きなんだから
優愛 ……っ
浩太 昔から変わらないお前に、俺は救われたんだよ。正直あの旅をしてたのだって、死ぬ為だった。人生なんてどーでも良くて、それなら金使い果たして死のうって。だけどあん時お前と再会して、こうやって遊ぶようになって、空っぽだった心がお前で満たされてったんだ。 …これじゃ、理由にならない?
優愛 っ、
──優愛、子どものように泣き出す。
浩太M そのまま俺は、子どものように泣く彼女をそっと抱きしめた。強ばったまま震えていた肩は、泣き止む頃にはもう弛緩して震えも止まっていた。
優愛 いいの?あたし、絶対迷惑かけるよ?
浩太 今までと変わんねーじゃん
浩太M そんな軽口で応えると、彼女は涙でぐちゃぐちゃなままの顔で笑った。
──数ヶ月後。同棲中の二人。
SE (ガチャッ)
浩太 ただいまー
優愛 あ、おかえりー!
浩太 ……何してんの?
浩太M あの後すぐ一緒に暮らし始め、俺もバイトを再開し帰ってきたところ先ず目に飛び込んできたのは、部屋用の箒に跨る彼女の姿だった。
優愛 ちょっとね、空飛びたいなって思って
SE (間抜け4)
浩太 ……は?
優愛 空飛ぶなら箒だよなって思って。…待ってて、多分もう少しでいけると思うから…
浩太 …もしいけたとしてもそのまま天井に頭ぶつけて落ちて、上の階と下の階の住人に謝りに行く羽目になるだけだぞ
優愛 ハッ!それは避けたい…!恥ずかしすぎる…
浩太 あ、羞恥心は一応持ってんのな
優愛 はぁ〜?失礼な!人一倍あります持ってます〜
浩太 (笑いながら)んだそれ。
それより、ほら
優愛 え?
浩太 近くの式場のパンフ。色んなとこの集めてみた。好きなとこある?
優愛 式場…?
浩太 俺がさ、ちゃんと仕事決まって安定した収入得られるようになったら、そこで式挙げようぜ
優愛 待って待って!それって…
浩太M あの時と同じ、キラキラ輝く瞳がこちらを見つめる
浩太 …そういう意味だよ。伝わんだろ
優愛 …ぷっ、(笑い出す)
浩太 なっ、なんだよ!
優愛 (笑いながら)だって浩ちゃん、耳真っ赤なんだもん
浩太 おまっ…、…空気読めよ!!
浩太M 照れ隠しで少し大きな声で言うと、彼女はさらに大きな声で笑い出した。
SE (上からドン)(下からドン)
浩太 ! しーっ(手で口を塞ぐ)
優愛 むぐっ
浩太M 静かになった室内。目と目が合う。そして彼女はそっと目を瞑った。
浩太 (リップ音)
浩太M 覆っていた手を離し、今度は唇でそっと彼女のそれを塞いだ。
──現在。
浩太M あれから何とか仕事を見つけ、両家の親にも挨拶に行き、正式に彼女と婚約をした。仕事も順調、プライベートも幸せ。人生なんてクソ喰らえと思っていた時とは比べ物にならないくらい幸せだった。
だが、その日は突然にやってきた。
川で溺れている男の子を助けるために、雨の日で流れが強くなっている川に身一つ飛び込んだのだという。男の子は無事だったが、彼女はそのまま激流に呑まれ行方不明。見つかったのは、一週間後のよく晴れた日だった。
今、彼女は変わり果てた姿で真っ白い棺の中で眠っている。
浩太 (泣くのを堪えながら)…お前さぁ、なんでそんな無茶すんだよ。昔からそうじゃん。木の上で降りられなくなった猫助けるために木登って、助けたはいいけど自分が落ちて怪我してさぁ…
浩太M そっと彼女の頬を撫でる。その感触は、俺の知っているそれとは全く違っていた。
浩太 …俺、お前がいないと心、空っぽになっちまうんだよ。それにお前、実は寂しがり屋なの知ってんだからな?
──傍らに置いていた睡眠薬の瓶をそっと手に取る。そして手に大量の錠剤を出す。(SE付)
浩太 待ってろよ、俺もすぐそっちいってやるから──
SE (ごくん)
END