舞踏会の終わり その4
ゆっくりとですが物語が進んでいきます。ここからシリアスなお話が続く予定です。
「ビル……」
名前を呼んだはいいものの、私は何を言えばいいのかわかなくて、結局また黙り込んだ。
姉さんと同じ顔をした女王様。
彼女の身体からはおびただしい程の血が流れ、ドレスを、地面を、全てを赤く赤く染めていた。
まるで周りで咲き乱れる赤い薔薇のように。
「どうして……」
私の問いかけにビルは笑った。
何でそんなバカな事を言うのかわからない。
そう言いたげな表情を浮かべ、彼は笑う。
「アリスを傷つけようとしたからだ。アリスを傷つけるなんて許さない」
当然だとばかりにそう言うとビルはこちらを見る。
その目があまりに冷たくて、背筋がぞくりとした。
「アリスを苦しめる奴はみんなみんな俺が殺してやる」
身体が震えた。
目の前で笑う男が怖かった。
彼のアリスに対しての異常な程の愛情。
それはもう狂気としか言えないものでとてもとても怖かった。
しかもそれらは真っすぐと私に向けられている。
「アリス……大丈夫ですか?」
白ウサギはビルから視線を一切そらさずにそう言った。
おそらく警戒しているのだろう。
白ウサギの横顔は緊張からか、いつもより強張っている。
とその時だった。
不意に地面に倒れていた彼女の身体が音もなく消えた。
それは本当に一瞬の事だった。
流れ落ちた血はそのままに、そこに転がっていたはずの彼女の身体だけが一瞬にして消えてしまったのだ。
「え……?」
消えた。
本当に消えてしまった。
まるで最初から彼女なんていなかったように、消えてしまった。
何が起こったかわからなくて、私は白ウサギを見た。
白ウサギはそれに少しも動じず、ただ無表情のままそれを見ていた。
「あの子は……死んだの?」
私の問いかけに白ウサギはゆっくりと頷いた。
「ええ。でも、大丈夫です。少しすれば代わりが現れますから」
代わり。その言葉を聞いて、私はようやくこれが彼らの言っていた死ぬということなのだとわかった。
本当に何にも残らない。
ついさっきまで彼女は確かにここにいたのに、それなのに何もない。
「何よ……これ……」
こんなのいくら何でも寂しすぎる。
私は最初のアリスがどんな子だったのか知らない。
何を思って彼女が変わらないことを望んだのかもわからない。
でも、それでも、こんな世界が正しいとは到底思えなかった。
血だまりだけが残された地面。
残されたその血をビルは容赦なく靴で踏みつけた。
ぴちゃりと音を立てて血が跳ねる。
それをビルは煩わしいげに見た。
まるで鬱陶しいとでも言うよう血だまりを一蹴する。
そして私の方を向き、まるで唄うように囁いた。
「そうだ。そうなんだ。俺ならアリスを傷つけるもの全てからアリスを守ってやれる」
「何を……」
「白ウサギじゃない! 俺だ! 俺がアリスを守るんだ!」
ビルは笑った。笑いながらそう言って、剣を片手に一気に走り出す。
てっきり、こちらに向かって斬りかかってくるのだと思っていた。
しかしビルは予想に反し、私達など見向きもせず、周りにいたトランプ兵をその剣で凪ぎ払った。
銀色の冷たい刀身が次々とトランプ兵の身体に刺さり、その命を奪っていく。
「何よ……これ……」
これじゃあ、まるでただの殺人鬼だ。
まるで機械のように淡々と次々に相手を斬り殺していくビルに、私はもう何も言葉をかけられなかった。
今まで会った不思議の国の住人は皆、どこかどこかおかしかった。
それでも彼ほどじゃない。
「ねえ、白ウサギ……どうして……?」
どうして彼はあんなふうになってしまったの?
彼だって最初はただ純粋にアリスという少女が好きだっただけなはずなのに。
私の問いかけに白ウサギはそっと答えた。
「私達にとってアリスは全てだったんです。彼女がこの国に居て、笑っていてくれるならそれで良かった……」
「白ウサギ……」
「でも、ある日彼女はいなくなった」
いなくなった?
驚いて、白ウサギを見れば、彼は少し寂しそうに笑った。
「私が帰したんです。彼女を、彼女がいるべき本当の世界に。私がこの手で帰しました」
「貴方が……?」
そんな訳がない。だってあれ程アリスに執着して、彼女を愛していたはずの白ウサギがそんな事を……するはずが……
「私がアリスを帰しました。彼女はここに居ても幸せになれない。そう思ったから彼女を元の世界に連れて行きました。だから、トカゲがああなったのは私のせいです」
「そんな……」
その時、大きな笑い声が響いた。
見れば、トランプ兵を全て斬り終えたビルがこちらを見ながら大声で笑っていた。
「そうだ! 全部お前のせいだ! お前が! お前が俺達からアリスを奪った! アリスに一番信じられていたくせに、アリスを裏切った! 彼女は帰ることなんか望んでいなかった! 彼女はこのままこの世界でずっと夢を見ていたかったんだ!」
ビルは剣の先を白ウサギに向けると叫び続ける。
「なにが幸せだ! その結果どうだ! アリスはどうなった!? 帰った世界で彼女が幸せだったと言えるのか!? 幸せなはずなんかない! 幸せだったらこの世界にまた来るはずなんてないんだよ!!」
ビルはまた笑った。
狂ったように声を出して笑い続ける。
「見ろ! 俺は正しかったんだ! アリスをもう二度とあんな世界に帰したりしない! アリスはアリスはずっと俺達と一緒にこの世界にいるんだ! その方がずっと幸せさ!」
ビルが私の方を向く。
駄目だ。見てはいけない。
頭の中で誰かがそう警告したけれど、私はビルのその瞳から視線をそらせなかった。
ビルの唇がゆっくりと動く。
「おかえりアリス。もうどこにも行かせない」
ビルはそう言うと白ウサギに斬りかかった。