白ウサギとのワルツ その5
大事なものはなくなってから気づく。
白ウサギがいなくなってアリスは寂しいようです。
「白ウサギ?」
どんなに呼んでも答える声はない。
どこ行ったのよ……
何だか妙な感じだ。いつもは呼ばなくたってとんで来るくせにこういう時に限っていないなんて。
「白ウサギ? いないの?」
念のため、もう一度呼んでみるがやはり返事はない。
もう、どこに行ったのよ……
どこかに行くなら行くって一言言ってから行けばいいのに。
しばらくここで待っていようかとも考えたが、部屋の主がいないのにそこにいるのはなんだか可笑しい気がする。
仕方なく、私は部屋の扉を開け、白ウサギの部屋から出る。
さて、どうすればいいんだろう?
部屋からとりあえずは出たものの行くあてもないし、かと言って廊下にただ立っているのもあれだ。
「白ウサギのバカ……」
どこに行ったの?
いくら考えてもさっぱり白ウサギがいそうな所が思いつかない。
あんな事した後じゃ、三月ウサギの所にはいないだろうし、帽子屋はどこにいるかわからないし……
よくよく考えれば白ウサギはどうしていつも私のいる所がかわかったのだろうか?
こんな広い城の中で、例えいくら住み慣れてるとは言っても、たった一人を探しだすのは相当骨がおれる作業に違いない。
白ウサギは私がいなくなる度にこの広い城内を探しまわっていたのだろうか?
何だか少し罪悪感らしきものを感じる。
「とりあえず……どうしよう……」
どこかに行かなければ。
そう思って歩きだした、その時、突然後ろから誰かに抱きしめられた。
「ぎゃあああ!」
「うわっ!? 意外と勇ましい悲鳴」
あれ?
この声、聞いた事がある。
慌てて振り返れば、すぐそばに相手の顔があった。
にんまりとした笑顔。見慣れたその顔に私はほっと安堵する。
「チェシャ猫……」
「正解。久しぶりだな、アリス」
満面の笑みを浮かべ、私の問いかけに嬉しそうにチェシャ猫は答えた。
「ア~リス、会いたかったよ」
チェシャ猫はそう言って、私を再び抱きしめる。
「ちょっ、ちょっと!?」
前々から思ってたけどここの住人達はいきなりすぎる。チェシャ猫にしろ白ウサギにしろ、出会いがしらにいきなり抱きしめるなんて、普通ありえない。
慌てて私はチェシャ猫の腕の中でもがくが細く見える腕には意外に力があり、びくともしない。
もっともこれぐらいの力がなきゃ、銃を扱えないだろうし、こんな危ない世界では生きていけないんだろう。
もがく私を見て、チェシャ猫は楽しそうにする。
「そんなに顔を赤くしちゃって可愛いな。あ、ひょっとして俺に気がある?」
そんな訳あるか!
ただ同年代の子にこんなふうに抱きしめられたのは生まれて初めての事だった。
婚約者になるはずの人だってこんなふうに私を抱きしめたりはしていない。
唯一、私をこんなふうに抱きしめた事がある人と言えば……
脳裏に目に痛いほどの白に鮮やかな紅が浮かぶ。
そう、私をこんなふうに抱きしめたのは白ウサギくらいなものだ。
ちらりと辺りを見る。
やはりその姿はどこにもない。
いつもならこんなところを見て、すぐに怒って、剣を振り回しながら怒鳴りこんでくるのに。
「ひょっとして……もう白ウサギのものになっちゃった?」
考え事に浸りかけた私の意識をチェシャ猫の言葉が一気に引き上げる。
「はい!?」
白ウサギのものってどういう意味よ!?
信じられない思いでチェシャ猫を見ればチェシャ猫が面白くなさそうに言う。
「だって、そこ。白ウサギの部屋だろう? 白ウサギの部屋に今までずっと居たんだろう?」
誤解だ。確かにずっと居たがたぶんチェシャ猫の想像しているような事は何もしていない。
「あのね……私はただ白ウサギの怪我の手当てをしただけで……」
「怪我の手当て? 本当にそれだけ?」
「うっ……」
チェシャ猫の鋭い言葉に私は思わず反応してしまい、チェシャ猫がそれを見逃すはずもない。
「他にも何かあったんだ?」
「いや、その……」
駄目だ。隠しきれない。
私はついに諦め、チェシャ猫に何があったか話した。
「え!? あんた、白ウサギとやっちまったの!?」
「やってない! 一緒に寝ただけ! 添い寝程度よ!」
「じゃあ、三月ウサギとやっちまって……」
「ない! 絶対にそんな事はないから! 有り得ないから!」
私がいくらそう言ってもチェシャ猫はまだ疑り深そうに見ている。
まあ、2人の男性と寝たなんて言われたら疑うのが普通か……。
言っておくがどちらも不可抗力だ。私のせいじゃない。あっちが私の意志に関係なく、勝手にやったんだからね。
チェシャ猫はしばらく私の顔を見てから、小さく舌打ちする。
「何だよ、みんなして抜けがけしやがって」
チェシャ猫はしばらく黙ってから私の腕をひく。
「チェシャ猫?」
「よし、俺もアリスと一緒に寝る」
はい? 何ですって?
「一緒に寝る?」
「ああ」
「誰が?」
「決まってるだろう? 俺とアリスだよ」
何でそうなるのよ!?
私は慌ててチェシャ猫の腕を振り払う。
「じょ、冗談じゃない! 絶対に駄目! 何でこれ以上面倒な事に巻き込まれないといけないの!?」
「何だよ、ウサギとは寝れて、猫とは寝れないのかよ?」
いやいや、そこは関係ないから。実際、どっちもウサギじゃなかったし、チェシャ猫だって猫には見えないから。
「ひょっとして、猫が嫌い?」
「いや、猫は好きだけど……」
「じゃあ、いいよな」
いや、よくないでしょう? 貴方はどう見ても猫じゃなくて人間じゃない。どこがいいのよ。
いくら反論しようとしてもチェシャ猫はちっとも相手にしてくれない。
結局、半ば強制的にチェシャ猫と行動をともにする事になってしまった。