第四章 いかれた帽子屋 その1
四章にてようやく物語が動き出します。名前どおり帽子屋の章です。と言いつつその1に帽子屋は出ていません。各章のタイトルなんてそんなもんですよ。特に深く考えてつけたりなんかしてません。直感です。
「白ウサギ……」
「何ですか?」
「そろそろ、いい加減におろして」
城内の廊下を白ウサギに抱えられて走ること数分。すでに銃声も侯爵夫妻の声も聞こえない。
ちらりとそちらの方を見れば、そこには長い廊下がただ広がっているだけで、誰の姿もない。とりあえず助かったようだ。
「聞いてるの? 白ウサギ?」
「聞いてますよ。焦らなくたって、私はどこにも逃げませんよ。ちゃんとアリスのそばにいますから」
「あ~、そんな事はどうでもいいから早くおろして」
「もう、おりちゃうんですか? もう少しこのまま……」
「また殴られたいの?」
白ウサギが笑みを浮かべたまま、しばし固まる。どうやらだいぶトラウマになっているようだ。
「白ウサギ……」
「わかりました。おろします。おろしますから、そんな恐い顔しないで下さいよ」
白ウサギはそう言うと立ち止まり、私を下ろした。
ようやく地面におろされ、ほっとする。白ウサギは悪い奴ではないのだが何せ頭が少しばかり飛んでいる。信用して全てゆだねてしまうと、何をしでかすかわかったもんじゃない。
「もう、白ウサギのせいでお別れも言えないまま侯爵達と別れちゃったじゃない」
「いいんですよ。あんな奴らに関わるだけ無駄ですって」
冗談ではなく、本気でそんな事を口にする白ウサギを睨みつける。
すると白ウサギは少しだけばつのわるそうな顔をし、逃げるように視線をそらした。
「ところで夫人の言ってた仕事って何の事?」
わざわざ白ウサギに夫人が頼むぐらいだ。よほどの理由がなければ絶対こんな奴には頼まない。
「ああ、あれですか。夫人の時計が狂ったんですよ」
「時計?」
「そう、少し遅れてしまったから、合わせてほしいと頼まれていたんです」
「え? 白ウサギって時計屋なの?」
意外だ。どう見てもそんな感じには見えない。
「そんな訳ないじゃないですか」
「そうよね。じゃあ、何で……」
時計屋じゃないのに何でそんな事を白ウサギがするのだろうか?
不思議そうにする私に白ウサギは笑って答える。
「ですから時間が違うから合わせてほしいと言われたんです。この国で正確な時計を持っているのは私だけですから」
「え? そうなの?」
そう言われれば、確かに白ウサギは立派な懐中時計を持っていた。
「正確な時計って……白ウサギの持っている時計以外はみんな狂ってるってこと?」
「そうですよ。他のはみんな少しずつ遅れていたり、速くなったり、秒針があってなかったりするんですよ」
当然でしょうとでも言いたげに白ウサギは言う。しかしそれだけでは納得できない。
「何で貴方の時計だけがあってるの?」
「私は案内人ですから」
意味がわからない。
「何で案内人だと時計がずれないのよ……」
「迷わないようにですよ」
「迷わない?」
「この国は時間も、場所も、存在も、何もかもが曖昧なんです。だから誰もが簡単に迷い込む。迷い込むのは実に簡単ですが、そこから抜け出せるのは極めて困難な事。だから、けして案内人だけは何があっても迷わないように時計が正確に時を刻んでくれるんです」
「案内人だから?」
「ええ、私は案内人ですから」
白ウサギはそう言って微笑む。
「どうやって時計がずれないようになってるのよ……」
「それは案内人の力と言いますか、私の力と言いますか……」
つまり、明確にどうなってるかはよくわからないのか。
この不思議な世界なら何でも起こりそうな気がして、別にもう少しの事では驚きもしない。
しかし時計を合わせ忘れていた白ウサギも悪いが、それだけで撃ち殺そうとした夫人も夫人だ。
「貴方……ひょっとして夫人に嫌われてたりする?」
「そんな訳ないですよ。会うたびに撃たれていますが一度だってそれが当たったことはないんですよ。きっと照れくさいんでしょうね」
そう言ってうんうんと頷く白ウサギ。それはあきらかに嫌われているのでは?
そうは思ったものの、さすがに本人に 言うのは止めておく。わざわざそんな事を教えなくてもいいだろう。
「本当に貴方達って物騒よね。何か起こればすぐに武器とか出して……」
「頼もしいでしょう?」
確かに武器を持ってる点で言えばそうだが、何かがそれとは違う。
「もう、早く安全な元の世界に返してよ」
そんな事言ったって、今更白ウサギが元の世界に連れて行ってくれるはずもない。
「もう全部、貴方のせいなんだからね」
若干あきらめつつもそう言うと、白ウサギは笑った。
「アリス」
「何?」
「そんなに元の世界に帰りたいんですか?」
「あたりまえでしょう? 姉さんに何も言わずに来ちゃったし」
今頃いつになっても来ない私を心配して、大慌てで周りを探し回っているだろう。もしかしたら、もう人に言って大騒ぎになっているかもしれない。
姉さんは心配性だから大事になってなきゃいいんだけど。
自分の事なのにどこか他人事のようにそう思う。
「あのお姉さんですか……」
私の答えが気にいらなかったのか、その声がやや強めになる。
「そうよ。家族に何も言わずにこんな世界に来ちゃったら普通心配するでしょう?」
「あのお姉さんがですか?」
うん? 何だかその答えに違和感を感じる。
「そうよ。母が死んでから姉さんは母のかわりになって私を育ててくれたのよ?」
そんな姉さんを気遣うのは当然だ。それなのにますます白ウサギは納得できなさそうな顔をする。
「アリス……」
「何? さっきからどうしたの?」
白ウサギとの会話に何か違和感を感じる。
何かがおかしい気がする。でも、それが何かはわからない。
白ウサギは紅い瞳でじっと私を見つめ、かと思ったらそっと視線を反らした。
「白ウサギ?」
どうしたの? さっきまでと全然態度が違う気がする。
「私は……あの女が大嫌いです」
「え?」
きょとんと私は白ウサギを見る。彼は視線を反らしてたまま全く合わそとしない。
「女って……」
不意にずっと違和感に感じていたものがわかった。
白ウサギは何て言っていた? あのお姉さん? あの?
私と会ったあの時、姉さんはすでに家へと向かっていた。確かに後ろ姿は見えていたが、白ウサギの位置からは姉さんの姿など見えなかったはずだ。
「白ウサギ……貴方、姉さんを知ってるの?」
まさかと思ってそう尋ねる。白ウサギはそれに何も言わず、紅い瞳を私から反らしたままだった。