迷子の侯爵様 その7
侯爵は夫人の事がもちろん大好きですが、夫人だって侯爵の事が本当はそうとう好きです。
だから周りなんか気にならないし、いたって気にもしない。ある意味かなり迷惑な人達ですね。
睨み合う白ウサギと侯爵。
辺りはどこか殺伐とした雰囲気に覆われ、呼吸をするのさえ何だか息苦しく感じられる。
「お前に私の相手が務まると?」
白ウサギが挑発するかのようにそう言うと侯爵はそれにどこか困ったような笑みを浮かべる。
「どうだろうな? お前は強いし。俺は帽子屋や三月ウサギ程強くない。普段は書類整理や雑用ばっかりやってるし、こっちの方にかけてはあんまり得意じゃないからな」
「得意じゃない? よく言うな。書類整理とかの方がろくに何もできないくせに」
白ウサギはどこか呆れたようにそう呟く。それに侯爵はうっと唸る。おそらく図星なのだろう。
「少しはましになったさ! 少しはな!」
「少しねえ……」
「少しだって最初に比べれば大したもんなんだぞ!」
おそらく侯爵にとってしてみたら精一杯の反論だったと思うが、はっきり言って少しじゃ全く意味がない。
「そうよ! 少しできただけでもすごいわよ! ウィルほど要領の悪い人なんか他には絶対にいないわ! 少しできただけでも奇跡よ!」
夫人は清々しいほどにきっぱりとそう宣言した。
あまり侯爵のフォローにはなっていないが、いったいその少しを教えるために夫人はどれぐらいの努力を重ねたのだろうか? 発言からしてそうとう大変だったのだろう。
「少しできたぐらいで威張らないで欲しいな。いくら言おうと少しは少しだろう……」
ああ、白ウサギが珍しくまともな事を言っている。少しはまともな事も言えたんだ。そんな事をうっすらと思っていると、突然白ウサギが私の方へと振り返った。
「アリスはどう思いますか? アリスだってそう思いますよね?」
「はい!?」
突然話をふられて私は思わず口ごもる。まさかこんな変なタイミングで話をふられるとは思っていなかった。どうしよう……。ちらりと侯爵達の方の様子を伺いながら慎重に言葉を繋ぐ。
「えっと……そうね……少しじゃねえ……」
私の言葉に見る見る間に夫人の顔が不機嫌なものへと変わる。
「アリス! 貴方はいったいどっちの味方なのよ!」
「いや……どっちと言われても……」
そんな事言われたって他に答えようがない。
「はっきりしなさいよ!」
今にも問い詰めてきそうな勢いで夫人が私の方へ歩み寄ってきたが、私のもとへたどり着くよりも前に侯爵が夫人を後ろから抱きとめ、それを阻止した。
「なっ!? ななななっ!!?」
顔を真っ赤にさせてその場に固まる夫人をよそに、侯爵は酷く真面目な顔で夫人を抱きしめる。
なかなか甘い展開なのだがなにせ二人には体格差がありすぎる。
その様子は周りから見ると夫婦と言うより、親子のようなものに見えた。
「ルナ……アリスを怯えさせちゃ駄目だ」
「うっ……あっ……」
侯爵はそっと後ろから抱き止めたまま夫人の耳元で囁く。
「アリスは白ウサギにとって特別だが俺達にしてみても特別な存在だ」
「ううっ……」
「だから傷つけちゃいけない……てさっきからどうしたんだ?」
顔を真っ赤にさせ未だに固まっている夫人を見て、侯爵は不思議そうに首を傾げる。
こんなにわかりやすいのに、夫人のそれに侯爵は全く気づいていないようだ。
「ルナ……?」
「……っ、い、いいから、いいかげんに離れて!!」
夫人はそう怒鳴ると侯爵の腕から逃れようと身をよじる。しかし侯爵はその腕を緩めるどころか、より強くし、しっかりと夫人を抱きしめる。
「駄目だ。離せば、アリスを撃ち殺しちまうだろう?」
「しないから! 絶対にしないから、早く離して!」
「何で離さなきゃいけないんだ? 俺の事嫌いか?」
「はい!? な、何言ってるのよ……」
「嫌なのか? だからそんなに嫌がってるのか? 俺にこうされるのは嫌なのか?」
侯爵はいつになく真剣な顔をする。
「俺の事……嫌いか?」
「ば、ばかっ!! そうゆう問題じゃないでしょう!!」
真剣な侯爵の態度に夫人はますます顔を赤くし、じたばたと侯爵の腕の中で暴れる。
「いいから、離しなさいよ!」
「だから何でだ? やっぱり俺の事嫌いか?」
「うるさい! とっと離しなさい! このロリコン!」
「ロリ、ロリコン!? 待って! 実際の年数で言うならお前の方が俺より長くここにいるじゃないか! って事はお前の方が年上だろう!?」
「うるさい! 離しなさい!」
「何でだ!?」
「はなさないと撃つわよ!」
「撃つ程嫌なのか!?」
何でだろう。どことなく会話が噛み合ってない気がする。
端から見ればいちゃついてるようにも見えるが内容がだんだん物騒になってきた。
このままではそのうち我慢の限界に達した夫人に侯爵は本当に撃たれてしまいそうだ。
「本当にあいつらは何をやってるんだか……」
白ウサギはそうぼやいて、ため息をつく。その意見には私も同意する。
「そうね……とりあえず貴方はその剣を閉まったらどう?」
「でも夫人が貴方を襲うかもしれません」
「あの状態じゃ無理よ。今の夫人の頭の中はきっと侯爵の事でいっぱいよ」
「うらやましいかぎりですね。私もアリスにそれぐらい思われてみたいです」
「安心して、絶対にそれはない」
「またまた照れないで下さいよ」
白ウサギがまた妄想の世界へと若干飛び始めたがそれをあえて無視する。
「聞いてます?」
「聞いてない。全然聞いてない」
「アリス……最近何だか私に対して冷たい気がしますよ?」
「やっとわかったの? 貴方にだけよ。特別扱いされてるんだから喜んだらどう?」
嫌みのつもりでそう言ったのだが、それに白ウサギは嬉しそうに目を輝かせる。
「本当ですか!?」
「嬉しそうにしないで! 嫌みよ! 嫌み! 変な意味にとらないで!」
「大丈夫ですよ! アリスも私にとっては特別ですから!」
「そんな事聞いてない!」
私のばか……白ウサギにまともな嫌みなど通じるはずがないとわかっていたのに。
「アリス、とりあえずどこか二人っきりになれる場所へ……」
何を妄想しているかは知らないが、顔がにやけている。ここまでくるともはや否定する気力さえわかない。
「もう、いいわ。とりあえず剣をしまって」
「貴方がそう望むなら」
白ウサギは笑って私にそう言うと、剣が光り、あっという間に跡形もなく剣は消え去った。もう疑問にさえ思わない。きっとこの世界では当たり前なのだろう。
「夫人はともかく、侯爵に関してはいい機会なのでここで始末したいんですが……」
「駄目! そんな事絶対駄目!」
「そうですね……せっかくのアリスの服に返り血がついてしまったら困りますよね」
問題はそこじゃない。白ウサギはどこか観点が私とずれている。
「そうじゃなくて……貴方達ってどうしてそんなに命を軽く考えてるのよ」
「私達にとって命などそれほど重要な物ではないですから」
「どういう意味?」
意味ありげな白ウサギの言葉に私は僅かに戸惑う。
「私達にとって一番大切な物は自分の命ではありません」
白ウサギは優しく笑う。
「アリスですよ」
私は信じられない思いで視線を白ウサギへとやると白ウサギは静かに見つめ返してきた。
「アリスを守るためなら私は何だってやりますよ。それが私達の存在意義ですから」
そう言って、いつもみたいに笑う白ウサギ。でも何故だろうか? その言葉に言いようのない不安を私は感じた。