迷子の侯爵様 その5
さあ、ついにあの人が帰ってきました。彼が帰ってくるとそれだけで賑やかになりますね。
アリスと侯爵の二人旅はここまで。これからまた騒がしくなります。
「だからそっちじゃないって!」
「え? あれ? おかしいな?」
侯爵は首を傾げて不思議そうに周りを見渡す。すでに何度も繰り返しているそれを私は内心ひどく呆れながら見る。
「だってさっきまでこっちに進んでたよな?」
「違う……逆方向に進んでたでしょう?」
子供に諭すように優しくそう言えば、侯爵はあれっと首を傾げる。そんな様子を見て、私は何回目かわからないため息をつく。
彼の方向音痴は予想以上にひどかった。一直線の道でさえ、一回立ち止まると途端に方向がわからなくなり、何故だか逆方向へと進んで行く。
故にお茶会の会場に向かうと言っていたが実のところ先程から全く進んでいない。
「あなた……本当に大丈夫?」
心配になって思わずそう聞くと侯爵は大丈夫だと言って笑う。しかしそう言いつつすでに方向がまた間違っている。
「だから、方向が……ああ、もう、いい! 私もついて行く!」
「えっ!? いいのか?」
驚いたようにする侯爵に私は頷く。どうせ行くあてなどなかったのだ。このまま一人でどこかに行くよりは侯爵と行った方がいいかもしれない。
それに……このままではいつまでたってもお茶会の会場にたどり着けないだろう。
「なんか……悪いな」
「いいわよ、別にどうせ他に行くところなんてないんだから」
それにこれだけ時間がたてばさすがに白ウサギも、もうお茶会の会場にはいないだろう。
「ありがとうな」
「別にこれぐらい……」
その時、誰かが廊下を走ってくる足音が背後から聞こえてきた。嫌な感じを抱きつつ、私は自分の考えがどうか外れているように祈る。
「アリスー!!!」
しかしその考えは無情にも当たってしまった。
ああ……何てことだ。あまりにも聞き慣れたその声に私の顔はひきつり、現実逃避したい衝動に駆られる。
この声が幻聴であるようにと最後の望みをかけて振り返れば、残念ながらそこには彼の姿があった。
「アリスー!! 愛しのアリスー!! 待って下さいよー!」
そう言ってにこにこと気持ち悪いほどの笑顔を浮かべて、白ウサギはこちらへと走ってくる。
待てだって? 誰が待つものか!! とっさに侯爵の腕をつかみ、走り出す。
「へっ? えっ? ええっ!? 何で走るんだ!?」
「いいから、黙って走って!」
ちらりと後ろを振り返れば案の定、凄まじい剣幕で白ウサギは侯爵を睨んでいる。
「侯爵! お前……私のいない間にアリスに手をだすとはいい度胸だな!!」
「へっ? えっ!? いやっ、違っ!」
「うるさい! 私のアリスに手を出した時点でお前は終わりだ!」
「だから……違っ!?」
必死に説明しようとする侯爵だがそんな話を白ウサギが聞く訳もなく、手元が一瞬光ったかと思うとまた剣が両手に一つずつ現れ、それを構えると白ウサギは狙いを定めて一気に走り出す。
「今すぐ抹消してやる!!」
「うわっ! ばっ、ばかヤロー! そんな危ない物を振り回すな!!」
「うるさい! 死ね!!」
白ウサギは本気だ。それに慌てたように侯爵は足を速める。
「見なさい! どこが真面目ないい奴よ! このどこがそうなのかわかりやすく、簡潔に教えてちょうだい!」
「いやっ、違っ、普段はもう少しまともと言うか……あのヤローはいつからあんなにとち狂ったんだ!?」
「元からよ! あれが白ウサギなの!」
廊下を全速力で走り抜ける、私と侯爵。その後ろから殺気を放ち、剣を振り回しながら追いかけてくる白ウサギ。
何でこんな事になってしまったんだ?
自問自答を繰り返しても当然答えが出てくる訳もなく、必死に足を動かす。
両手に剣を持っているにも関わらず、白ウサギの足は非常に早く、じりじりと距離が縮まっていく。
「侯爵! 貴方は何か武器を持ってないの!? 手品みたいなやつで早く武器を出して、白ウサギに応戦して!」
「無茶言うな! 俺ので応戦したら城の壁に大穴が開いちまう!」
城の壁に大穴を開けるとはいったいどんな武器を侯爵は所有しているのだろうか?
確かにせっかく綺麗なお城の壁に穴を開けるのは気がひけるがだからと言ってこのままでは私達が危ない。
「お城の壁と命、貴方はどっちの方が大事なのよ!?」
「命だ! だが、城の壁に穴が開いたら修理するのは俺だ! 出来れば開けたくない!」
「そんな事言ってる場合!? あっちは本気よ!」
「侯爵! アリスからさっさと離れろ! 殺してやる!」
侯爵と私が言い合うなか白ウサギは今にも切りかかってきそうな勢いで、すぐそばまで迫ってくる。
「早く応戦して! このままだと私達殺される!」
「そんな事言ったって相手はあの白ウサギだぜ? あんな奴とまともにやり合えるのは帽子屋と三月ウサギぐらいなもんだ!」
侯爵は僅かにすまなそうな笑みを浮かべて私の方を見る。
「悪いが俺じゃ太刀打ちできねえ。あきらめてくれ」
そう言ってあははっと笑う侯爵を私は絶望的な思いで見つめる。
もはや手のうちようがない。すでに体力も限界に近く、白ウサギに追いつかれるのも時間の問題である。
もうこうなったら誰でもいい! 誰か……三月ウサギでも帽子屋でもいいから……誰かあのバカを止めて!
その願いが通じたのか、あきらめかけたその時、前の方から足音が聞こえ、誰かがやってきた。
誰だ!? 祈るような気持ちで私は現れた人物を見つめる。しかしそこにいたのは三月ウサギでも帽子屋でもなく、見たことない少女だった。
城の子だろうか? 可愛いらしい顔をした金髪の少女がこちらへと歩いて来る。
おそらく私よりも年下だろう。小柄な体にまるで人形のような愛らしい姿、ひらひらとしたリボンのついた可愛いらしいドレスがよく似合っている。
少女は私達に気づくと目を見開き、驚いたように立ち止まる。
まあ、当然だろう。普通に廊下を歩いていたら目の前から必死に逃げてくる二人組と剣を振り回す男がやって来たのだ。誰だって驚き、足を止めるに違いない。
しかし状況が状況である。このままではこの少女も巻き込まれてしまう。
「逃げて!」
あらんかぎりの声でそう叫ぶ。しかし少女は私達の方を見たまま動かない。
「ウィル……」
「えっ?」
何か呟いたかと思ったら少女は不意に右腕を振る。するとそこがぼんやりと光り、少女の腕の中に黒光りする塊が現れた。
何て事だ……まさかあんな小さな子まで簡単に銃を出せるだなんて……この世界はいったいどうなっているのだろう?
しかも少女の腕の中にある物は普通の拳銃などではない。少女の腕の中に収まるそれは軽機関銃、つまりマシンガンであった。
そんなもの私はもちろん持った事ないし、実物など今まで一度だって見たことがなかった。
しかもマシンガンを持っている人と言えばたいてい逞しい肉体を持つ男性が主で女性はもちろん、こんな幼気な少女が持っているなんていう話は一度だって聞いたことがない。
マシンガンの重さなど知らないが相当重いはずだ。それぐらい見ただけでもわかる。しかし少女はマシンガンを持っても顔色一つ変えず、重そうな素振りを少しも見せずに、平然とそこに立っていた。
少女の目がぎらりと光る。その目はつり上がり、怒ったように少女は白ウサギを睨みつけ、マシンガンの引き金に手をかける。
「私のウィルに何してるのよ! 白ウサギ!」
勇ましく、どこか凛々しい少女のその姿に思わず目を奪われ、見とれていると侯爵が素早く私の腕をつかむ。
「伏せろ!!」
侯爵はそう言い、私の腕をひき、一気に二人同時に床に伏せる。それと同時にマシンガンが火を吹いた。
自動的に連続で発射される銃弾。頭上を飛び交う、銃弾の嵐に私は思わず目を閉じ、耳を塞いだ。