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7 夢の終わり

 サクリ、と芝生を踏みしめる音が耳に届いた。


「……クリス様?」


 心配そうにこちらへやって来るアレクサンドラの背では、真っ赤に染まる夕日が沈もうとしている。


「先代様、行ってしまいましたね。……また、いつでもおいでと言ってくださいました」

「……そう」


 俯く僕の様子を少し離れて伺っていたアレクサンドラは、僕の声音に何かを思ったのだろう。小さな手が優しく僕の肩に降れた。そして、


「……クリス様。わたくしが傍にいますわ。あなたが許す限り」

「……!そんな風に言うな!!アレクサンドラ!!」


 思わずカッとなって大声を出してしまった。肩に触れていた手を払いのけると、驚いたアレクサンドラが身をすくめた。

 彼女にとっては慰めの言葉だったのだろう。けれど、なぜよりにもよってその言葉なのか。そんな言葉、二度と聞きたくなかったのに!


「……そんな風に言って…君は僕を置いてどこかへ行ってしまうつもりなんだろ……!」

「え、そんな、わたくしそんなつもりでは」


 急に態度を変えた僕にアレクサンドラは困惑していた。いきなり怒ったように声を荒げ、消沈していく僕は不審だろう。払われた手を握りしめ、怯えているのがわかった。

 こんなのはただの僕のわがままだ。届かなかった以前の僕の声だ。今の彼女に言ったところで何を言われているのか理解できないだろうに、溢れる感情を止められなかった。

 それでも、今のアレクサンドラはまだここにいてくれる。手を伸ばせば触れる距離に。


「どこにも行かないでくれ、アレクサンドラ!ずっと、ずっと僕の傍にいてくれ!僕の傍で、笑っていてくれ…………絶対に、君の事を幸せにしてみせるから…………」


 彼女と大して変わらない小さい身体で、できる精一杯の力でアレクサンドラを抱きしめた。

 失くしたくない。この温もりを、温かな笑顔を。もう、二度とあんな思いはしたくない。

 けれど、僕に何ができる?アレクサンドラの笑顔だけじゃない。この時間を手放さない為に僕にできることなんてあるのか?猫に祈ることか?試練とは一体なんなんだ?

 全てを知っていたはずの祖父は僕が産まれる何年も前に亡くなっているのに。


 ──僕は、何も知らない。


「…………クリス様」


 すり、とアレクサンドラが頬を擦り寄せた。柔らかな温もりが僕の頬に触れている。その感触で今の状況に思い至った僕は思わず身体を離していた。

 ……適切な距離じゃなかった…あんな感情的になるなんて、僕らしくもない。


「クリス様は意外と寂しがりやなんですね」

「……なにそれ」


 笑顔でそんな事を言ったアレクサンドラに安心して、気の抜けた返事をしてしまった。怒らせたわけでも、怯えさせたわけでもなかったとは言え、あんな醜い感情ばかりをぶつけたいわけじゃなかったのに。

 ふふ、と微笑むとアレクサンドラは僕の両手を取る。今日会ったばかりの時と、まるで立場が変わってしまった。


「クリス様が寂しがりやなことも、ほんとはあんまり優しくないことも、今日、初めて知りました」


 今、優しくないって言われたか?


「……幻滅した?」

「まさか!わたくしはクリス様の事を知ることができて嬉しいです!もっといろんな貴方を知りたいと思いました」

「…………怖くないのか?」


 小さく呟いた言葉にアレクサンドラが首を傾げた。


「僕は…………知るのが怖い」


 ポツリ、ポツリと零れる言葉が夕闇に染まり出した庭園に消えていく。沈む日に急かされるように、胸の奥から不安が湧いては口をついた。


「知ってどうなる?思っていたことと違ったら?期待を裏切られたら?自分の力じゃ、どうにもできないことだったら?!」


 不安が形を成したような闇がいつの間にか空を覆っていた。暗い(とばり)が僕の心の内をさらけ出す。

 どうすればいいのか、なんて本当はとっくに分かってるんだ。


「……そこにあるのが…………恐ろしい真実だったらどうするんだ……」


 そうと知らずに夢を見ているままでいたい。本当はただの夢で消えて無くなってしまうなんて事実知りたくない。僕に出来ることなど何も無いと、自分の無力さを突きつけられるのが怖い。

 知らないことなど何もないと大言を吐きながら、その実知らないことから目を背けていただけだった。知識には貪欲でいたくせに、現実には無関心。以前の僕はただの臆病者だった。

 それは、間違いを認め、やり直した後の僕も同じこと。こんな僕に、アレクサンドラを笑顔にできるわけが──……


「その時はわたくしが傍で貴方を支えます!」


 取られた手に触れる指先が動いた感覚に、間近で聞こえた声に、知らず閉じていた目を開けた。俯いていた視線を上げると、顔を寄せたアレクサンドラの瞳とぶつかった。


「知るのは怖いかも知れません。わたくしも、本当は貴方の気持ちを知るのが怖かったです。わたくしの事、もしかしたら好きじゃないかもしれない…………なんて思っていました。……顔合わせの時、あんまり上手くできませんでしたし」

「そんなこと」


 重ねられていただけの両手の指に、指を通しギュッと握られた。

 重なり合った指先は火が灯るかのように熱を持っていく。


「でも、クリス様はわたくしに傍にいて欲しいと言ってくださいました。わたくしはその気持ちを知ることができて幸せです!だから、そこにあるのが恐ろしいものかもしれないと思って、知る事をやめては、大事な事や嬉しい事まで見逃してしまうかもしれませんよ」


 至近距離で両手の指を絡ませながら微笑むアレクサンドラの顔はとても大人びて見えた。学園にいた頃の姿と重なる。彼女がこんな風に胸の内をさらけ出すのは初めてだ。こんなに、喋ってくれるなんてこと、以前にはありえなかった。


「それに、一人では恐ろしい事も二人なら平気でしょう?……だから…………クリス様、わたくしを婚約者にしてずっとお傍に置いてくださいませんか?貴方が望んでくれるなら、わたくしはずっとお傍にいます。わたくしは貴方を支える為に貴方の婚約者になりたいのです」

「……ああ、ああ。僕の婚約者になってずっと傍にいてくれ。その先も、ずっと、いつまでも!」

「はい!」


 告白にも似た言葉に頭が一瞬真っ白になった。真っ白な熱に温められるように、胸の内が熱い。

 そんな風に思ってくれていただなんて知らなかった。僕に無下にされながら、以前の彼女もずっと僕を支えようとしてくれていたのだろうか。

 想いを告げるアレクサンドラの顔はなんて綺麗なのだろう。僕の気持ちに応えてくれたアレクサンドラの顔はなんて愛らしいのだろう。

 自分で彼女を婚約者にと望んだくせに、僕は一度でもアレクサンドラ自身にその気持ちを伝えたことがあっただろうか?僕はただ、彼女が何も与えてくれないと拗ねていただけだ。自分からは、何も与えなかったくせに。

 知らなくてもいいと思いながら、ずっと知るのが怖かった。今の巻き戻りのことだけじゃない。以前のアレクサンドラの気持ちもだ。

 戻る前の僕らは結局、二人とも臆病で互いから逃げていただけだった。


 わからないから恐ろしいのだ。信じられないから不安なのだ。

 だったら、『知れ』ばいい。


「……僕は、絶対に君を失わせない」


 口の中で呟いた声は風に揺れる葉音がかき消した。誰の耳にも届かない僕だけの秘密、決意。

 ずっと、知らないことなど何もないと(うそぶ)いていたのは僕だ。だったら、知ってやる。

 ただ祈るだけなんて事、絶対にしてやるもんか。

 相手がただの猫だろうとどっかの精霊だろうと構わない。この現象の謎を解き明かし、アレクサンドラとの未来を勝ち取ってみせる。


「……ありがとう、アレクサンドラ。僕は君が好きだよ。愛してるんだ」

「ふぇ!あ、あい!」


 突然の告白に顔を真っ赤にしたアレクサンドラは目に見えて慌てだした。その姿がたまらなく愛しいと思う。

 本当はずっと僕の中にあったのに意地を張って、見ないフリをして、無かった事にしようとした気持ち。それは以前の僕が言えなかった言葉だ。


「わ、わわわたくしも、です!」


 いっぱいいっぱいの様子だったアレクサンドラはなんとかそれだけ絞り出した。今の彼女に僕と同じだけの気持ちがあるとは思えないし、僕らはたった2回会ったばかりだ。子供の戯言に思えるだろう。

 けれど、それでも、あの頃間違えてしまった僕らの想いが昇華されたような清々しい気持ちにやっとなれたんだ。


「……僕も今日君の事を知ったよ。アレクサンドラは泣き虫だね」

「これは、べつに、悲しいとかじゃ、なくて!うう、れ、レクシーって呼んで、ください!」


 感情が昂ったせいでか、アレクサンドラの目元からポロポロと涙が零れ出した。ふにゃりとした笑顔を浮かべていたし、朝の様子とは違っていたから僕が嫌で泣き出したわけではないと分かっていたがやはり少し心臓に悪い。


「ごめん、レクシー」


 そう思いながらも、朱に染まる頬にキラリ、キラリと零れる涙が綺麗で、吸い寄せられるように僕は彼女の頬に口付けていた。

 これ以上はないほど真っ赤な顔で目を見開き、開いた口を震わせながらアレクサンドラが凝視してくる。嫌がられてはいないと思うのだが。


 自然近くなっていた距離は彼女の紫の瞳を奥深くまで見せた。光の加減によって、ところどころが赤や緑の色に反射して万華鏡のように綺麗だ。吸い込まれそうな瞳から目を離せずにいると、その紫が白い目蓋の下に隠されてしまった。

 その瞳を縁取っていたけぶるような睫毛と絹糸のような金の髪が眼前に迫る。と同時、口に暖かいものが触れた。それは一瞬で離れてしまったが、確かな感触を残していった。柔らかく、甘酸っぱいような、そんな感触を。


「……わ、わたくしからのお返しです!」


 捨て台詞のようにそれだけ言ってアレクサンドラは脱兎の如く逃げ出してしまった。


「…………そこは……唇だよ……レクシー……」


 お返しに、とアレクサンドラがキスをしたのは僕の唇だった。まさか彼女の方からするとは思わなかった。

 突然のファーストキスに僕はただ呆然と赤く染まった顔を晒して立ち尽くしていた。

 思えば前回ではキスなんて一度もした事はなかったなと思いながら。








 その後庭園で(ほう)け続けた僕と、道に迷っていたアレクサンドラを離宮の使用人が回収したのは言うまでもない。

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