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5 夢見心地

「……ふふ」


 離宮を取り囲むように広がる庭園はよく整備されており、空高く伸びたイトスギが立ち並ぶ大きな通路には平らな石が敷かれている。

 だが僕たちは、その大きな通りではなく、芝生が植わっているだけの小さな横道を進んでいた。時間潰しの目的もあったが、離宮に伸びる直接的な通路ではないそこには多種多様な草花が伸び伸びと群生して、まるで森のようなのだ。幼い僕のお気に入りだったこの場所をアレクサンドラにも見せたい。そう思ってのことだった。……そんなことを考えるようになるなんて、以前の僕では想像もできなかった。


「……うふふ」


 あるいは花畑のようなこの場所に似合いの小さな笑い声が耳をくすぐる。

 先程からアレクサンドラはこの調子だった。繋いだ手を見ては嬉しそうに声を漏らしている。


「……楽しい?レクシー」

「はい!クリス様とこんな素敵な庭園をお散歩できるだなんて、まるで夢のようです!本当にいろんなお花が咲いてますね……」


 小さな僕らの背を飲み込んでしまえるほどの生垣は、白や黄色、青や赤など色とりどりの大小様々な花を咲かせている。その様はまるで、大きな花束にも見えた。

 この道を選んだのはやはり正解だったのではないか?花に囲まれた小道をエスコートする姿は『完璧な婚約者』に見えるんじゃないだろうか?それなら、次はどうしようか……もっと、アレクサンドラに喜んでもらうためには……


「クリス様はどんな色が好きですか?」


 考えに沈んでいきそうになった僕に、アレクサンドラが楽しそうにはしゃぎながら質問をぶつけてきた。好きな色?そんなことを聞かれたのは初めてだ。色なんて正直なんでもいいのだが。


「特に考えたことなかったな……でも、そうだな」


 チラリと半歩後ろを歩くアレクサンドラに目を向ける。陽光を受けた薄い白金の髪と純白のドレスがふわふわと風に舞っていた。


「……白色が一番好きかもしれないな。そのドレスとてもよく似合ってるよ、レクシー」

「え……えへ……」


 ニコリと笑いかけて言うと、アレクサンドラは顔を真っ赤にして俯いてしまった。小さな声で「ありがとうございます……」と呟いたきり黙ってしまう。

 サクサクと芝生を踏みしめる二人の足音と、草木の囁きや鳥の囀りだけが耳に届く。広い庭園の中、まるで二人きりになったようだ。現実離れしたこの空間で、繋いだ手のひらの熱が唯一の頼りに思えた。


 思えば、好きな色などの他愛もない話を以前の僕らは一度だってした事がなかった。

 アレクサンドラは夢のようだと言ったが、僕も何度夢を見ているだけなのではないかと思ったことだろう。次に目が覚めた時、アレクサンドラを失ったあの日に戻っているのではないかと不安を感じながら眠りについた事は何度あっただろうか。今はまだ、朝を幾度迎えてもその日は訪れてはいないが……


 ……おばあ様に聞けば何かわかるだろうか。

 この現象の正体がわからない以上、この不安は常に僕に付きまとうだろう。なぜ、過去に戻るなどあり得ないことが可能なのか。

 けれど、もし本当にこれは夢なのだとしたら?僕はただ覚めない微睡まどろみの中で有り得ない過去の夢を見ているだけなのだとしたら?

 果たして僕はその眠りから目覚めたいと思うだろうか……


「……あ、アスター!わたくしこの花好きなんです。クリス様はどうですか?」

「そうだね……僕も君が好きだよ、レクシー……──って、うわ」


 ドサッという音と共に繋いでいた手が後ろに引っ張られ、危うく地面に倒れ込むところだった。


「ど、どうしたんだ、レクシー」


 後ろを振り向けばアレクサンドラが地面にへたり込んだまま呆けている。

 転んだのか?それとも僕は何かまずいことでも言ってしまったのだろうか?考え事をしていたせいで適当に答えてしまった気がする。僕はさっきなんて言った?


「怪我はない?レクシー、立てるかい……?」

「ふぇ」


 もしかしたら何かにつまずいてしまったのかもしれないと足元に目をやりながら、もう片方の手を、奇妙な声をあげてこちらを向いたアレクサンドラに差し出した。庭園に不備でもあったのだろうか?どこか痛めていないといいのだが……


 アレクサンドラが僕の手を取り立ち上がったその瞬間、



 ぎゅっ



 とした感触と、温かい体温と鼻腔をくすぐる香りが感じられた。気がする。

 吹き抜ける風に舞う金糸が、何故か目に焼き付いた。



「……少しふらついてしまいました」

「あ……そ、そう……」


 長い時間とも思われた抱擁は一瞬で、気づけば目の前には朱に染まったアレクサンドラの顔があった。伏せられた長い睫毛がぱちぱちと瞬き、その様子を僕はただジッと見つめていた。アレクサンドラもアレクサンドラで、僕の腕を取って下を向いたまま微動だにしなかった。

 ……そういえば、ふらついたと言ったが体は大丈夫なのだろうか……





「何をやってるんだい、お前たち」


 庭園の真ん中で二人向き合うだけの奇妙な時間は、懐かしい声によって終わりを告げられた。どこかふわふわと夢見心地だった気持ちが一瞬で引き締まる。

 声のした方に目を向ければ、そこには凛として車椅子に座る女性の姿。

 褪せた金髪に思慮深く力強いみどりの瞳、細い面には深い皺が刻まれ、その人の放つ威厳を際立たせている。

 シャーリーン・ソフィア・ベル。

 今は息子である僕の父に王位を譲り、隠居している先代の女王陛下。僕が今こうして、過去をやり直すことができている契機となった人。


「おばあ様……」


 遠い昔に見たきりの姿に、思わず声が涙ぐんでしまうのを必死に隠した。体調を崩しがちなおばあ様とは、巻き戻ってから会うのはこれが初めてなのだ。

 そんな僕の強がりも、何もかもを見通すような目でおばあ様は微笑んだ。そして、いつの間にか僕から離れて淑女の礼をとるアレクサンドラに目を向ける。


「クリスと、そっちはライト侯爵の娘だね」


 挨拶をしようと口を開いたアレクサンドラをおばあ様は手で制した。


「話は聞いているよ。クリストファーの婚約者()()だってね」


 ピクリ、とアレクサンドラの肩が小さく跳ねた。


 候補。

 おばあ様がそう言ったように、今の僕らはまだ婚約者では無い。……正直、今の今まで忘れていたが。

 正式な婚約手続きも発表もまだされていない。現状、アレクサンドラはまだ婚約者の最有力候補に過ぎないのだ。それも、内密の。


 そもそも、アレクサンドラとの婚約は僕が言い出した事だった。国交を嫌う隣国の血をひく令嬢、ただその一点だけで。


 隣国は小国ながら、魔術に秀でているという国柄で周辺国の中でも確固たる地位を築いていた。魔術を操る者は我が国にも少数ながら存在するが、彼の国のそれは他とは一線を画すと言われている。

 隣国の国王はその力が外に漏れる事を恐れ国交に意欲的ではなかった。

 だが、未知の力を持つ敵か味方かもわからない国をそのまますげおく事はできない。平和な世であるからこそ協定を結び友好な関係を築いておくべきだ。

 その手始めに、国交の架け橋にしようと考え、彼の国出身の母親を持つアレクサンドラとの婚約を僕は父上に進言したのだ。


 紙面だけの情報で婚約者を決めた僕に焦ったのは父をはじめとする周囲で、まずは候補として顔合わせをしてから、という話になった。互いに気に入らなければ無かったことになる話として。

 無論ただ少し隣国と接点があるだけの侯爵家に王宮からの申し出に否やを唱えられるわけがなかったが、もしアレクサンドラが拒否を示せば父上は婚約を結ばなかっただろう。

 だが以前の僕たちは結局、互いの気持ちを確かめぬまま間違った形で婚約を結んでしまった。


 けれど、今は違う。



 アレクサンドラの顔を上げさせ、再びその手を握りるとおばあ様に向き直った。


「おばあ様、レクシーをいじめないでください。まだ正式にはそうでなかったとしても、僕の婚約者はこの子だけです。この先もずっと傍にと望むのはアレクサンドラただ一人です。僕は、もう間違えない」


「ひっ!!」と悲鳴を上げ、繋いだ手にきつく力を込めたアレクサンドラだったが、直ぐに落ち着きを取り戻し、何事も無かった顔でおばあ様に向き合っていた。……今のはなんだったんだろうか、と頭の片隅で思う。アレクサンドラは僕が思っていた以上に表情豊かなのかもしれない。


「……ふ、ふふっははは」


 驚いたようにその様子を見守っていたおばあ様は、突如として笑い出した。肩を震わせて笑うその目には、涙さえにじんでいる。

 こんな風に思いっきり笑ったおばあ様を見るのは初めてだ。


「お前がライト侯爵家の令嬢を婚約者にと、いきなり言い出した時は心配したけれど、どうやら杞憂だったようだね」


 滲んだ涙を拭い、目を細めて先程までとは違う笑みで僕ら二人に手招きをする。応じて傍へやって来た僕らの頭を撫でた手のひらはとても暖かく、優しい。


「お前は随分変わったようだね、クリス。私はお前たち二人の婚約を祝福するよ。……アレクサンドラ、この子を頼むね」

「……はい!先代様」


 かしこまった返事をする前に「堅苦しいのは無しだよ」と釘を刺されたアレクサンドラは、可愛いらしい返事をしてみせた。

 その様子に、胸の奥が熱くなり、息苦しささえ覚えた。だが嫌な気持ちではない。むしろ心地よいその気持ちに鼻の奥がツンとした。


 なんて夢のような光景なのだろうか。今まで僕はこんな光景を思い描くことさえなかった。

 この幸せな瞬間(とき)がずっと続けばいい。柄にもなく、そんな思いが胸に湧き上がる。

 だがその願いは、すぐに潰えてしまうのだった。


「さあ、こんなところで立ち話もなんだ。ついておいで、向こうにお茶を用意してある」


 そう言って車椅子をひるがえしたおばあ様が、突如大きな乾いた咳をして、苦しそうに身を屈めたのだ。


「先代様!!どこか、お加減悪いのですか?」

「ッ……ケホッ…………ああ、アレクサンドラ、気にしないでくれ。いつものことだから……」

「ですが……」

「平気さ、今日は調子が良い方だからね。それに折角の客人だ、楽しませておくれ。ああ、ほら、……あの子も来たよ」


 アレクサンドラが直ぐに駆け寄りおばあ様の背をさする一方で、僕は足に根が生えたように動けずにいた。ひたり、ひたりと心に暗い影が落ちる。


 この幸せな時間は、遠からず終わる。

 突き付けられた現実に愕然とした。


 おばあ様は、僕が十になる前に亡くなってしまうのだ。


 夢の終わりを告げるようなその事実が、頭の中を、心を、ゆっくりと侵していく。


「猫ちゃん」


 喜色きしょくばんだアレクサンドラの声に導かれ下を見ると、あの白い猫が足元にいた。あの、不思議な色の瞳でジッと僕を見つめている。


「……ニャア」


 その猫の、様々な色に移ろう虹色の瞳に、僕の胸を占める不安のような真っ黒な影がじんわりと滲んだ気がした。

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