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3 束の間の幸せ

ここより短編以降となります。


 ──なぜこんな事に!!


 王宮の長い長い廊下。たふたふとした分厚い絨毯の上を、今にも走り出さんばかりの勢いで歩みを進める僕に、使用人たちが驚きの視線を投げてくる。だがその視線はどこか微笑ましいものを見るかのように生暖かいのは気のせいではないだろう。なぜなら今の僕は、まだ可愛らしさの残る九歳の少年なのだから。


 最初こそ疑いはしたが、どうやら僕は本当に過去に戻ってきたようだ。あれから、記憶の底に沈んでいた幼い日々が繰り返されていた。

 九歳を迎えたばかりの僕に施される教育も勉学も、十六になろうとしていた身には無用の長物だったが、そんなことを周りに言ったところでおかしくなったと思われるだけだ。だから僕は、教育係や講師を適当にいなしつつ、授業を聞いているふりをしながら頭の中では別のことを考えていた。

 それは当然、アレクサンドラのことだ。

 これは僕がアレクサンドラとやり直すために与えられた機会だ。あの猫に何故そんな力があるのかは()()()()が、そんなのはどうでもいい。

 大事なのはこれから、アレクサンドラとどう向き合っていくか、どうやって彼女を笑顔にするか、だ。


 その第一歩として、僕は今日この日のために入念な準備をしてきていた。

 今日はアレクサンドラとおばあ様の元を訪れると約束をした記念すべき日だ。

 以前の僕はアレクサンドラを誘って何かをしたり、会う約束をするなんてことは一切しなかった。婚約者の義務として、茶会を開いたり、観劇を見に行くようなことが無かったわけではないが、それらはすべて両親や周りにお膳立てされたものだ。

 そこに僕の意思などなく、ただ決められた予定としてこなすだけだった。どころか、僕は苦痛さえ感じていた。王宮の庭園であろうと、豪奢な応接間であろうと、目の前でどんな劇が行われていようと、アレクサンドラの顔はいつも変わらなかったから。あの仮面が崩れることなど一度もなかったのだ。

 初めのうちこそ、場所や内容が変われば彼女にも何か変化が見えるのではないかと期待していた僕も、一向に変わらぬ態度にやがて期待することをやめたのだった。


 それがどうだ、先日のアレクサンドラのあの態度は!顔を真っ赤にして慌てふためき、愛らしい笑顔を僕に見せてくれるなど誰が予想できようか!

 あの顔合わせの日のことを思い出すだけで心が躍る。こんなに良い気持ちは初めてだ!

 もっとアレクサンドラの笑顔が見たい。ずっと僕にあの笑顔を向けていてほしい。

 その為の、今日だ。

 計画では、登城するアレクサンドラの馬車を出迎え驚かせ、降り立つ彼女のエスコートをしたまま、王宮の庭園の一番見頃な部分を周りつつ、おばあ様の所へ向かう予定だった。

 その為に何度も何度も庭園を歩き回ったし、庭師に意見を聞く事さえしていた。

 完璧なルートだった。きっとアレクサンドラも満足してくれると自信があった。『クリス様』と僕を呼び、喜びに顔をほころばせてくれると確信していた。


 だと言うのに!

 アレクサンドラは既に登城しており、数分前から応接間で待っているというではないか!

 なぜもっと早く教えてくれなかった!というより、まさか約束の時間より一時間も早く現れるとは思いもしなかった!!




「遅れてすまない、レク……」


 長い長い王宮の廊下を急ぎ呼吸も荒くなったころ、ようやっとたどり着いた応接間に彼女はいた。


 滑らかな白磁の肌、陽光を受けふわふわと輝く柔らかな金糸、けぶるような睫毛に縁どられた大きな紫の瞳。艶やかな唇は閉じられ、微笑に象られている。出された茶に手も付けず、豪奢なベルベットのソファの上で静かに座る姿は……まるで芸術品だ。

 作られた完璧な笑顔を浮かべる生き人形。


 それは以前何度も見た、仮面をつけたアレクサンドラの姿だった。


「……アレクサンドラ……」

「殿下。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 アレクサンドラが立ち上がり、完璧な淑女の礼を披露する。決められた台詞に決められた動き。生気を感じさせない冷たい態度は、やり直す以前となんら変わらない。


 戻ってる……じゃないか……


 なぜだ。遅れたのがいけなかったのだろうか?待たされるのは嫌だった?しかし時間よりも早く来たのは彼女の方だ。もしかして一時間前行動は普通だった??

 ……いいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


「よく来てくれたね、レクシー!こんなに早く会えるとは思っていなかったから驚いたよ」


 笑顔を作って彼女に駆け寄り両の手を取った。つまらなそうな顔をしていると思われないように、なるべく声を弾ませて。

 急に近くなった距離に驚いたアレクサンドラは少し吊り上がった大きな瞳を見開きこちらを凝視して固まってしまった。その顔がまるで子猫みたいだと思ったのも束の間、すぐにまたアレクサンドラは仮面をつけ直してしまう。ただ、先ほどよりも仮面の出来は甘い。


「父にせがんで早く来てしまいました……気が急いてしまって……あの、約束の時間を守らず申し訳ございません」

「謝る必要なんてないよ!僕の方こそごめんね?君を待たせてしまったね」

「いえ!待つつもりでいましたから、殿下に謝っていただくことなど何もございません!」

「そう?」

「はい!」


 身をこわばらせ、申し訳なさそうに仮面を歪めたアレクサンドラの態度はまるで僕を拒絶しているかのようだ。以前の僕ならそれに怒り、彼女を突き放しただろうが今はそうはいかない。その仮面の下の素顔は既に暴かれているのだから。


「……ねえ、レクシー」


 君がいくら仮面をつけようと、何度だってはがしてやる。


「君に会えて嬉しいよ」


 できる限りの甘い雰囲気を心掛けてそう言うと、冷たささえ感じた白磁の頬に朱がさした。そして、ふにゃ、と口元が緩む。


「……やっと笑ってくれたね」

「ひぇっ」


 殊更優しい笑顔を作って顔を寄せると、アレクサンドラは妙な声をあげ顔を真っ赤にさせて狼狽えだした。大きな目が右往左往と泳いでいる姿は先日と同じだ。


 どうだ!!見たか!!


 これが僕の考えたアレクサンドラを笑顔にするための秘策だ!!

 以前の僕は『完璧な王太子』として人々の望む姿を演じていた。だが、その結果がアレだ。だから今回は、『完璧な婚約者』として人々が羨むような姿でアレクサンドラに接すると決めたのだ。読んだこともないような恋愛小説なんぞに手を出して、少女が憧れるような婚約者像をいろいろと調べたのだ!!


「名前で呼んでくれないし、怒らせちゃったのかと思ったよ」

「あ、えっと……申し訳ございません……その、少し緊張して……」


 俯いてもごもごと謝罪を口にしたアレクサンドラは、「お城って広いですね……」と口の中でつぶやいた。


 アレクサンドラが通されていた応接間は王宮の他の応接間に比べてこぢんまりとして落ち着いた場所だったが、それでも八歳の少女が一人で待つには心細い場所だったのだろう。先日は一緒にいた侯爵も、今日はおばあ様もいるし二人だけで行きたいと僕が頼み込んだために不在だ。外務大臣として城で日々忙しく働いている彼は、アレクサンドラを王宮まで連れてくるとすぐに仕事へ向かったことだろう。


 ……やはり、もっと早く出迎えられるようにしておくべきだった。

 以前のアレクサンドラはいつも指定された時間きっかりに現れていたから、今回もそうだろうと思い込んでしまっていた。きっと、時間を守らねば、遅かろうと早かろうと僕がいい顔をしないと以前の彼女は思っていたのだろう。当の僕は、そんな彼女の態度さえ、僕に興味がないことの証左だと思っていたのだが。


「……あの」


 きゅっ、とアレクサンドラが重ねていただけだった僕の手を握った。そして、


「……わたくしも、クリス様と会えて嬉しいです」


 と、顔をほころばせた。


 ……ああ、やっぱり。アレクサンドラの笑顔はなぜこうも僕を幸せにするのだろう。

 この笑顔を見るためにならどんなことだってできそうだ。慣れない甘い言葉だっていくらでも吐いてやろう。『完璧な婚約者』をきっと演じ切ってみせる。

 たったこの程度のことでアレクサンドラは素顔を見せてくれるというのに、今までの僕は一体何をしていたのだろうか。与えられないのなら自分から動くべきだったのに。

 まあ、彼女の仮面は年々磨きがかっていたから、年を経るごとに容易なことではなくなっていたのだろうが。


 ……成長したアレクサンドラも、本当はこんな風に笑ったのだろうか。

 彼女の取り繕わない素顔をもっとよく見ようと顔を覗き込んだ時だった。ドレスの腰に巻かれたリボンに、何故か挟まっている紙片を見つけてしまったのは。


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