物語の型として見た「ざまあ」。
……と、ちょっと皮肉っぽいことを書きましたけどね。実のところ、この主張は多分、時代遅れなんだろうなぁと思います。
だって、今は「ざまあ」なるものがランキングを席巻しているそうですから。えっと、物語の骨子としては「パーティを支えていた主人公が正当に評価されずにパーティーから追放される。追い出された主人公は、その能力を生かす、自分を正当に評価してくれる仲間と出会って、元のパーティーに復讐を果たす」になるのかな?
うん、ちょっと目にした批判エッセイからのまた聞き知識なんで、間違ってるかもですが。でもまあ、こういう話の筋なら、普通に人気になってもおかしくないと思いますよ。
――だってこれ、どう見たって「貴種流離譚」ですよね。世界中で多種多様な物語が作られ、今も作られ続けている「王道中の王道」の、一つの型だと思います。
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貴種流離譚と呼ばれる話を流れは、ざっくりと言うと以下のようになります。
1.高貴な身分、もしくは異能を持つ主人公が、
2.理不尽な理由によって追われる身となる。
3.異国の地で試練に打ち勝ち、力をつける。
4.祖国に帰り決着をつける。
5.その身にふさわしい身分を得る。
貴種流離譚って、かなり使い勝手のいい物語の型の一つです。序盤で追われた身となった主人公が最終的に決着をつける。当然、主人公は序盤から成長させることになります(そうしないと主人公が序盤に負けた理由が説明できません)。成長させるには、それに見合った試練が必要になりますが、その試練が降りかかる理由も、既に型として組み込まれています。
さらに、序盤と終盤で同じ相手と戦うことになるため、どう強くなったのか、主人公がどう変化したのかを分かりやすく表現できる。そして、その変化をテーマと関連付けることで、物語に一本の筋を通すことができる。
私も処女作を書くときにお世話になったのですが。本当にね、とても使い勝手のいい、優れた物語の型だと思います。
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例えばそうですね、たとえば純白パンティの魅力をテーマに物語を書くとしましょう。この場合、純白パンティの魅力を文字数を割いて説明しないといけません。なので、物語の中軸に「純白パンティの魅力」を据えることになります。そうですね、純白パンティの魅力を説明したいのですから、それと対比するような概念を敵役に持ってくるとやりやすくなると思います。
で、なろう系の場合はそうですね、その「中軸」をスキルや職業に絡ませるのが定番だと思います。なのでまあ、まずは以下のような感じでどうでしょうか。
主人公「ホワイトパンツァー」:
純白のパンティをはく者に力を与える。
敵役「オールパンツァー」:
パンティをはく全ての者に力を与える。
で、これを先ほどの貴種流離譚にあてはめてざまあにする。これだけで、話の流れもほぼ確定するかと思います。
1.主人公の力でトップレベルの座に君臨していたパーティが、「オールパンツァー」スキルを持つ新人冒険者を見つけて「これで俺たちは明日から何をはこうと自由だ!」と狂喜乱舞、主人公をクビにする。
2.クビにされた主人公は、自分を追放したパーティーに復讐するために仲間を探す。その途中で、新たな能力「秘されし純白の声を聴け」に目覚め、自らの「ホワイトパンツァー」を最も生かすことのできる、最高の仲間に出会う。
3.自分を追放したパーティーに復讐を果たす。で、「オールパンツァーなんて偽りだ。誰にでも、どんなパンティでも力を与えるなんて、そんな愛は偽りだ。俺の仲間は最高で、最高級に驚きの白さなんだ。その輝きにこそ、俺の愛はふさわしい。――元々お前らには、俺のスキルはふさわしくなかったんだ」と、こんな感じの決め台詞で締めると。
4.そうして復讐をはたした主人公は、今日も新しいヒロインと共に冒険者として活躍するのでした。めでたしめでたし。
で、タイトルは「驚きの白さを思い知れ! 純白パンティに力を与えるホワイトパンツァーな俺は、俺を追い出した奴らと全てのパンティに力を与える無節操な野郎に復讐すべく、純真驚白な美少女を探し求めてアタックする」と、こんな感じになるのかなぁと。
まあ、今適当に考えただけなので色々とアレだし、読まれるかどうかも正直知りませんが。――というか、明らかにテンプレじゃない、「テンプレを装った何か」ですからね。書いたところで読まれないとは思いますが。
ただ、こういう風に話を組み立てれば、とりあえず作者の「純白パンティの愛」が読者にも伝わるのかなと。そういう、「物語にテーマを乗せて読者に伝える」例だと受け取ってもらえればと思います。
で、こんな話を読んでみたいと思っていただけたのならまあ、この例え話は成功ということで。うん、頑張って書いた甲斐がありました(笑)
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各種エッセイを読む限り、ざまあは本来的には「貴種流離譚の正統的な実装」としか思えません。先の例はちょっと邪道な感じにしましたが、王道の方が一般受けもするし、ある程度書ける人なら普通に書けるように思えます。なのに、どうもそういう認識にはなっていない。
――それどころか、貴種流離譚という型の良さをわざわざ捨てて、面白くない形にして物語を構築してるとしか思えないのです。
主人公が「理不尽に」パーティーから追い出される流れを作るために、主人公から完全に非を失くし、代わりに相手の非を入れる。その結果、主人公の成長が無くなる。アレかな、代わりにラスボスの劣化物語になるのかな?
これがなろうで人気なんて嘘だと思ってしまうのですけどね。現に批判も出てるし、賛同する意見もあまり見かけません。でもまあ、現に数字を出しているのですし、何かあるのでしょうね。例えば、ざまあ以前と比較してエタる確率が低いとか、例えエタってもその前に一旦は物語に切りが付くからあまり痛くないとか、そんな理由が。
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思うんですけどね。昔から、なろうの読者って、貴種流離譚が大好きだと思うんですよ。不当に迫害された人が努力して成長をして、追い出した相手を見返す。ここでいう「相手を見返す」は、復讐とは限りません。むしろ、相手よりも大きな存在になることで一つ上の視点を得て復讐劇になるのを避ける方が、貴種流離譚としては一般的かなという気もします。
……まあ、復讐劇だろうがそうでなかろうが、相手には負けてもらうし情けもかけないのですが(笑)
累計ランキングの上位にあるような超有名作品、結構普通の「王道を行くような物語」も多いと思いますよ。努力して成長して勝利する。仲間と出会い、友情を育み、競い合い、認め合って、敵に打ち勝つ。ありきたりで当たり前ですよね。そりゃそうです。優れた型を使って普遍的なテーマを表現した物語なんて、そこらへんに転がっているに決まっています。
どれだけでも語ることができるから王道なんです。そして、どれだけ多く転がってても、一つとして同じものはありません。そんなありきたりでありながら他とは違う「王道」を書けるのは、実力のある作家の条件と言っても良いと思います。
今の「なろうの型」はどうなんでしょうね。ざまあを使って王道の物語を書くことができるのか。それができるのなら、ありきたりで深い物語も紡ぐことができると思いますし……
――もしそれができない、復讐劇しか書けないのなら、それは物語の型とは言えない、「物語の型」とは何かを理解していない人が勝手に「なろうテンプレは型だ」と言い張っているだけなのだと思います。
まあ、それ以前に、どこで終わるべきか、続けるのならその先はどんな型を使うのか、そういったことを考える方が先なのかもしれませんが。ざまあが成立した時点で、貴種流離譚という「物語の型」は終わります。その先も話を続けたいのなら、次の型を準備する必要はあるはずです。ええ、でなければ「型無し」ですよね。
物語の型を意識せずに「自由に」書いてもね、その文章が物語の体裁を保つことができるのか、かなり疑問に感じます。そんな無計画な状態のまま書き進ても、終わるべきときに終われなかった物語になるだけなのかなと。そんな、エタった方がまだマシといえるような状態のまま続けるのは避けた方が良いと、個人的には思います。