【ホットミルク】
駅前を歩いていると、黒服に身を包んだモデルのような男が占いをしている。そうそういないであろう端正な容姿を併せ持つヨルトがいた。少し目立つ彼の風貌を見た瞬間、久々のヨルトに私は少し興奮してかけよった。
「ヨルト、今日はここでバイト?」
「今日は休業日だからな」
「そっか、今日は水曜日だもんね」
週に一回はここでヨルトと話す時間が楽しかったりもする。
「まひる悪いことしていないか?」
「相変わらず10歳の姿で子供のふりをしながら生意気だけれど、悪いことはしてないよ」
「アサトは……元気か?」
「うん、元気だよ」
「そうか」
いがみ合っていても、やっぱり実の兄弟なのだろう。ヨルトは実は情に厚い。だからこそ、人から記憶を奪いたくないのかもしれない。仕事に徹するアサトさんとは正反対の性格だな。
「久々に占ってやろうか?」
「じゃあ、私の将来の運勢について占ってよ」
「アサトのお嫁さんってとこか?」
笑いながら、からかうヨルトは見た目がミステリアスなのに実は親しみやすいキャラクターだったりする。アサトさんとはミステリアスなところは似ているのに、光と影のように違うタイプだということは話しているだけでよくわかる。
「どれどれ、生命線長いな~、夢香は長生きするな」
なんて私の手相を見ながらほほ笑むヨルトは反則だと思う。何が反則かって? 説明が難しいのだが、私の心情の中で反則なのだ。
「将来はキャリアウーマンか?」
カードを並べながらヨルトは話し始めた。
「おまえ、なかなか就けない仕事に就いてるって出てるぞ。喜べ、孤独ではないみたいだな。結婚して仕事をして子供に恵まれて……アサトとうまくいくってことかもな」
「予知能力で本当は見えるんでしょ?」
「そこまで細かい未来は見ることはできないよ。割と先の話だしな。今日明日ならば見ようと思えば見るけれど、基本見ないんだ」
「なんで?」
「だって、明日死ぬのがわかっていたら嫌だろ?」
「納得」
「予知能力はそこまで万能ではないんだよな。おまえは俺の姉になるかもしれないからな、ひいきにしておかないとな」
「バカ、ヨルト。あなたこそどうなの? 彼女は?」
「とりあえず付き合ってるけど」
「まだ未成年なんだから健全な付き合いにしなよ」
「わかってるって」
無駄話をしていたら、突然雨が降ってきた。通り雨なのかもしれないが、徐々に雨足が強まる。予想外の豪雨だ。
「とりあえず、店じまいだな。俺の店近いから雨宿りしていけ」
たしかに、裏通りにいけばすぐ古書店なのだけれど、雨の強さが半端なくって、私は走りながら制服も髪の毛もびしょぬれになってしまった。
「制服のブラウス、透けてるから、このまま電車に乗るのはまずいだろ」
私は自分の胸をちらっと見ると……ブラウスが雨で濡れてブラジャーが透けている。たしかに、恥ずかしい。
「見ないでよ!」
私は多分頬を赤らめていたと思うけれど必死で平静を装った。
「ちょうど視界に入って見えたのだから仕方ないだろ! 店で制服乾かしていけよ。乾燥機に入れている間、俺の服を貸すから」
必死で弁解するヨルトが少しおかしくも思えた。ヨルトが私なんかを異性として見ることはないなんてことは自分が一番よくわかっている。突然のお店訪問だったが、奥の部屋に入るのは初めてだった。奥には自宅になっているスペースがある。
「時々、一人になりたいときはここに泊ったりするんだ。普段はマンションに母親と住んでるんだけどさ」
「生活家電もちゃんと一通りそろってるんだね」
「乾燥機に入れて、乾かすと結構速く乾くぞ、そこの奥にあるから使ってみて」
「ありがとう」
「これ、俺のTシャツと短パン、ちゃんと洗ってあるから安心しろ」
何が安心しろよ。別にヨルトのことが嫌いなわけでもないのに、そんなこと言われると私が嫌っているみたいじゃない。ヨルトは男性だけあって洋服のサイズが大きいけれど、ヨルトの香りがする。なんだか安心するなぁ。って私は何を考えているんだろう。そういえばアサトさんはどんなにおいがするんだろう? 私は料理のにおいしか知らないということに今頃気づく。
「サイズ大きくて悪いな。俺の服しかここにはないから」
「でも、助かったよ。ブラジャーが透けているのを見られたのは災難だったけれど」
「仕方ないだろ、あれは誰でも目に付くぞ。むしろ俺様に感謝してほしいな。それこそ、透けた状態で電車なんて危険だ」
「いやらしいこと言わないでよ」
私はヨルトの顔をまともに見ることができなかった。話を逸らすかのようにヨルトが提案する。
「ホットミルクでも飲むか? 体が温まるんだよな。眠れないときに砂糖を入れて飲むと安心する定番商品だよな」
「ヨルト、眠れないときってあるんだ?」
「俺だってそういった夜くらいあるよ、夜の王を継承しないことは罪じゃないよな、とか心のどこかで自由に生きていることに罪悪感があるのは本当だよ。アサトは自分の運命から逃げないで仕事をこなしているのに、俺は投げ出している、だめな人間だからな」
意外と気にしているのか。繊細なんだな。
「ダメなんかじゃないよ。ヨルトは優しすぎるんだよ。人から記憶を奪うことに抵抗があるからあえて関わらないのでしょ?」
「そんなこと言われたのははじめてだ。俺、優しすぎるのか?」
「いや……それはわからないけれど。きっと優しさが邪魔することだってあると思うの」
「ほれ、ドライヤー使え。風邪ひくぞ」
「ヨルトだってずぶ濡れでしょ、先に乾かしなよ」
「俺は、いつもドライヤー使わない自然乾燥派だからな」
ヨルトはまるで風呂上がりのような髪の濡れ方をしていた。バスタオルで濡れ髪を拭く姿はいつもと違う雰囲気の大人っぽさがあって、いつもよりもさらに美しく見えた。
「ありがとう。先にドライヤー使わせてもらいます」
「おう、ホットミルク飲んで、体温めろよ。俺も着替えて来るから」
やっぱり優しい人なんだ。いつも優しさを見せないのだが、この人は秘めた優しさがある。まるで優しさを隠すかのように普段は見せている、他人のことばかり、自分のことは後回し、そんな人なのだろう。私はほんのり甘いホットミルクを飲みながら自分の制服が乾燥するのを待つ。優しい甘さが心地いい。ヨルトの香りに包まれながら。




