婚約破棄された王女は呪われた従者に恋をする
王女である私には、かつて婚約者がいた。
10年以上前、私が5歳くらいのときに突然その話が湧いて、その数年後に向こう側から婚約破棄の申し出があったらしい。
相手がどこの誰だったのかは知らない。私は特に興味がなかった。
その後は隣国との戦争とか、色々面倒なことが起きたのもあって、私の婚約の話は再度持ち上がることもないまま時間だけが過ぎた。
「リンデ、りんごが剥けたよ」
「ええ、ありがとう」
そんなことを考えていると、従者のアレクがそう言って声をかけてくる。
私はアレクと過ごす、こうした何でもない時間が好きだ。
特に会話もせず、ただ一緒にいるだけの、そんな時間が。
とはいえ、私もそろそろいい年頃だ。遠からず縁談の話も来るだろう。
そのことは別に、どうでもいいというか、あまり興味がない。立場的に仕方のないことだと受け入れている。
けれど、可能であるなら。
もう少しだけ、この時間が続けばいいと、そう静かに願うのだった――。
「プリンセス、そろそろ時間だ」
「分かってる。それよりも……いえ、何でもないわ」
私の従者であるアレクは、そう言って私に外出の準備を促す。
私は魔法の研究を途中で切り上げ、彼の指示に従って準備を始めた。
――プリンセス。
それはそのまま、私の身分を表す言葉だ。
ファンタリア王国第一王女リンデローザ。
齢16。いつ縁談が飛んできてもおかしくない、そんな立場。
ちなみにこの国の王族には、10歳になるころに専属の従者がつけられる。
私につけられた5歳年上の従者アレクは、当時から剣に秀で、聡明で、魔法にも精通する非常に優秀な人間だった。6年経った今ではさらに研ぎ澄まされ、それこそ完璧超人と呼んでもいいほどになっている。
王子である兄たちにも従者はついているが、アレクほど優秀な人間ではない。育ちが良く、立ち居振る舞いは非の打ち所がない人物だけど、剣の腕は多くの兵たちと大差ないように思う。まあそれでも充分には違いないけれど。
もし王である父が実は私に甘くて、アレクのような優秀な人間が私の従者にあてがわれたのだとしたら、それは少しもったいないことだとも思う。
私の従者なんかではなく、もっとちゃんとした地位を与えれば……いや、止めよう。
その仮定には、もはや何の意味もない。考えるだけ無駄なことだ。
何故なら従者には、王家に代々伝わる魔法によって、主との間に「主従の契約」が交わされている。
アレクは契約によってその生涯を、仇なす全ての者から私を守るために費やすことになっていた。
契約といえば聞こえはいいが、私からすればそれは「呪い」のように思えた。
アレクは契約によって縛られている。そのためアレクは私に対して、否定的な言動を取れない。私がどんなにわがままを言っても、アレクは私に反論が出来ない。
だから私はアレクの「本心」を知らない。
そういえば私がさっきアレクに言いかけて止めたことがある。
それは過去に何度となく口に出してきた「プリンセスと呼ばないで」という言葉だ。
私はアレクにプリンセスと呼ばれることが嫌いだった。
昔からそれは、普段私をリンデと呼ぶアレクが私をからかうときの呼び方だからだ。
もちろん私に対して否定的な言動を取れないアレクは、実際に私をからかうことは出来ないのだけれど、だからこそ彼は皮肉を込めてそう呼んでいた。
――少しは王女らしくしろ、と。
アレクがわざわざそう呼ぶときには、だからそんな意味が込められている。
「プリンセス」
「分かってるって……さあ準備出来たわ、行きましょう」
――プリンセス。
それは私に否定的な言動を取れないアレクが、私をたしなめるために使う、特別な呼び方だ。
「それでリンデ、最近はアレクと上手くやってるの?」
「アレクと上手くってテリア、あれと上手くやっていけなかったら私の人格に問題ありでしょ?」
「だから訊いているんだけど」
「何だと」
公爵令嬢エステリアは、同い年の幼馴染ということもあって、私にとって気楽に話せる唯一の親友だ。
もちろん公の場では私もテリアもこんな砕けた喋り方はしない。ちゃんとお姫様と令嬢をやっている。
ただ時折こうしてテリアの部屋で羽を伸ばして、二人きりのお茶会をするのが私たちの密かな楽しみだ。ちなみに私の防音魔法で声が漏れる心配はない。
「……それでテリア。頼んでいたものってどうなった?」
「つつがなく。ほれ」
そう言ってテリアは何枚かの文書を差し出す。
私はそれを受け取ると、食い入るように文字を追った。
「…………はぁ、やっぱりか」
「リンデの想定の中でも、最悪に近い方だったわね」
今読んだ文書には、テリアに極秘に調べてもらったアレクの来歴が書かれていた。
私はアレクがどこの誰なのか。ずっとそれを知らずにいた。
父に尋ねても教えてもらえず、アレク本人にしても同様だった。
別に知らなくても問題のないことだというのは間違いない。私が知らなくたって、アレクは従者としての仕事を全うするのだから。
でも知りたいと思った。
――だって、好きな人のことだから。
けれど自分で調べようとすれば、私には王家の中の伝手しかない以上、父やアレクに知られることは明白だ。
だから私は、全てを打ち明けた上でテリアに調べてもらった。
従者に対してとはいえ、王家に密偵を放つことは変わらない。バレたらただでは済まないだろう。
それでもテリアは私のわがままを笑って受け入れてくれた。
そうして知った、アレクの正体。それが――。
「7年前に我が国が攻め滅ぼして併合した、隣国の王子とはね……」
「良かったじゃない、少なくとも身分の差は埋まったわ」
「あっちの国が残っていたならね」
そんな風に私たちは冗談を交わす。
元々アレクが只者ではないことは分かっていた。だから色々なパターンを妄想……想定していて、今回はその中の一つが当たった形だ。
限りなく最悪に近い形で、だけど。
「ねえテリア。アレクは私を恨んでいると思う?」
「貴方個人を、ということはないんじゃない? あるとしたらこの国を、でしょうね」
「それ、私にとってはどっちでも同じなんだけど」
もし仮にアレクが自分の意思に反して、無理やり主従の契約を結ばされた上で、敵国のわがままな王女の従者をさせられていたら。
……やっぱり、恨まれているかなぁ。
「それで、リンデは本当にあの計画を進めるつもりなの?」
「え、駄目かな?」
「駄目かなって……貴方、最悪殺されるって分かってる?」
テリアは心配半分、呆れ半分という雰囲気。
ちなみにあの計画というのは、私がかねてより準備している、アレクとの主従の契約を破棄するというものだ。
もちろん本来ならそんなことは出来ない。
魔法大国と謳われるファンタリア王家に代々伝わる魔法というだけあって、一度結ばれた契約は絶対のものだ。
しかし私は長い時間をかけて、その契約の術式を解析することに成功した。
今はその術式に対抗する魔法を構築している最中。それだってもうすぐ完成する。
「契約によって縛られなくなった彼は、貴方を傷つけることが出来るようになる。それこそ、恨んでいれば殺すことだって――」
「そうね。でも私は、それでもアレクの本心が知りたいの」
「そう。まあ、分かってたけどね。リンデが一度決めたことを曲げない頑固者ってことは」
「美点だと思ってるわ」
「ええ、私も好きよ」
そう言ってテリアは笑う。
社交界に名を轟かせる美人令嬢だけあって、好きという言葉とその笑顔の破壊力は抜群だった。
私が女で良かった。もし男だったら嫁に貰っているところだ。
「……テリアって美人よね」
「何をいまさら?」
「何で私たちって結婚できないのかしら」
「ちょっと待って。私は貴方みたいな魔法オタクと違って、ちゃんと婚約者がいるんですけど? というか貴方だって――」
そんな風に他愛もないことを言い合っていると、不意に部屋のドアがノックされる。
私は室内の声が漏れないようにかけていた防音の魔法を解く。私が合図すると、部屋の主であるテリアが「入りなさい」と声を返す。
ノックの主はアレクだった。
「ご歓談中失礼いたします、エステリア様」
「構わないわ。従者が来られたということは、リンデローザ様はそろそろ次のご予定ということかしら」
「左様にございます」
「あら、もうそんな時間なのね。楽しくてつい時間を忘れてしまったみたい」
そんなことを言いながら上品に笑う私。
一瞬でお姫様に早変わり。全くもってろくでもない特技だと思う。
そうしてアレクに連れられる形でテリアの屋敷を後にして、すぐさま馬車で移動する。
その馬車の中で、向かいに座るアレクが私に尋ねてくる。
「リンデ、何を読んでいるんだ?」
「見ての通り、魔導書よ」
「最近は、時間があれば常にそうしているな」
「…………」
それは事実をただ述べただけだ。アレクが本当に言いたいのは、もっと別のことなのだと思う。けれどそれをアレクが口に出すことは決してない――いや、出来ないのだ。
アレクは契約によって、私に否定的な言動を禁じられている。
だからこうして、当たり障りがなくて、内容がなくて、意味がない事ばかりを話す。
……正直、イライラする。
アレクにだって本当はもっと言いたいことがあるはずだ。
たとえば今だって、「こんな時までそんなに焦って勉強する必要はないだろう」とか。
アレクが従者になってから、これが6年続いている。
別にアレクに苛立っているわけではない。そんな風にアレクを縛っている「呪い」が全て悪いのだから。でも私の我慢にも限度がある。
――主従の契約。
本当にろくでもない伝統だと思う。
だから私は、アレクのことを好きになった日に、それをぶっ壊すことを決めたのだった。
「ねえアレク、覚えているかしら」
「何を?」
「何年か前に、私が魔法の研究で無茶をして、死にかけたこと」
「それは、忘れるわけがない」
「そうね」
あのとき、いち早く異変に気付いたアレクに助けられなければ、私は暴走した魔力にこの身を焼きつくされていただろう。
あれは完全に私の慢心だった。
当時は天才と謳われ、魔法なら誰にも負けないと驕っていた。
しかしそんな私を、誰もたしなめることは出来なかった。
何故なら、私が魔法で誰にも負けないのは事実だったから。
けれどあの事故の後、アレクは私の頬を叩き、本気で私のことを叱ってくれた。
アレクは主従の契約で、私に否定的な言動を取ることが出来ないにも関わらず。
その身を切り裂く「呪い」に耐えながら、ただ私のために――。
――私が恋に落ちた瞬間があるのだとしたら、間違いなくあのときだと思う。
ただその結果として、アレクは一週間ほど生死の境を彷徨うことになった。
明らかに私が間違っていて、アレクは正しいことを言っただけなのに。
主従の契約は、アレクに正しいことを言うことさえ許さないのだ。
そんなものはもはや主従などではない。それはただの都合のいい人形に過ぎない。
だから私はそれを、呪いと呼んだ。
そして、そんな呪いは解かれなければならないのだ。
「ねえ、アレク」
「何だ?」
「好きよ」
「……そうか、ありがとう」
渾身のジョークも、これで終わってしまう。
私はアレクと喧嘩どころか、冗談めかした言い合いすら出来なかった。
……ああもう、イライラするなぁ。
私は一秒でも早く、この呪いを何とかしないといけない。
アレクとの今のような会話は、もうたくさんだった。
数日後、私はついに主従の契約を破棄する魔法を完成させた。
「ねえアレク、りんごを剥いてくれない?」
「了解」
テーブルに向かいあって座る私たち。アレクはナイフを片手に、集中してりんごの皮を剥いている。
今がチャンスだった。
私は瞬時に魔法を発動する。対象はもちろんアレク。
さすがにアレクも気付いたけれど、もう遅い。
「プリンセス、何を――」
「今、私と貴方の主従の契約を破棄しました」
私がそう告げた、次の瞬間――。
ちくりと、刺すような痛みが走る。じんわりと温かさを感じて、それが寒さに変わると同時に私は倒れる。
私の腹部からは、さっきまでりんごを剥くのに使われていたナイフが生えていた。
刺すような、ではなく、本当に刺されていた。
――ああ、そうなんだ。
やっぱり私は、アレクに――。
「ごめん、なさい……」
私は力を振り絞って、アレクに謝る。
そうした後、何とかアレクの表情を窺うと、彼はただ茫然としていた。
まるで、取り返しのつかないことをしてしまったとでも言わんばかりに。
アレクはそのまま何も言わず、逃げるように部屋を出ていく。
……どうしてアレクはあんな表情をしたのだろう。
亡国の王子として、念願の復讐が果たせたのではなかったのか。
――呪いを解いても、結局アレクの本心は分からずじまいだった。
「体調はどうだ、リンデローザ」
「良くはないわ、父上」
「だろうな」
発見が遅れたこともあって、あれから一週間、私は生死の境を彷徨った。
そうして目を覚ました直後に、これだ。
「アレクとの主従の契約を破棄したようだな」
「いけませんか?」
「いいや。破棄するなとは言っていなかったからな」
相変わらず飄々としていて韜晦が心を包んでいる。何を考えているのか全くつかめない。
それが私の父であり、希代の名君と名高きファンタリア王国の国王エルンストだった。
「アレクはどうしていますか?」
「別に何も」
「えっと、一応私刺されたんですけど?」
「大変だったな」
「じゃなくて! それについてアレクにお咎めとか――」
「この国の法では、主従は一心同体。従者の行いは主の行いだ。お前がお前の腹を刺して、一体何の罪になる」
「……ありがとうございます」
「ふん。娘の恋路に口出しするような、野暮な父親にはなりたくないからな」
「父上、知っていたのですか?」
「むしろ何故知れていないと思った?」
「それは……」
そうか。バレバレだったか。
他人に知られても別に良いとは思っていたけど、それでも親にバレているというのは、少し恥ずかしい気もする。
「ということは父上、もしかして私への縁談って」
「全て断っている」
「それでいいのですか?」
「政略結婚か? 少なくとも俺が統治している間は、そんなものに頼る必要はない」
「……言い切りますね」
「事実だ」
希代の名君と称されるだけあって、発言の端々に父の確かな自信が窺える。
父のやることにはまず間違いがない。
しかし、だとするなら父は、何の意図があってアレクを私の従者にしたのだろうか。
「父上は、どうしてアレクを私の従者にしたのですか?」
「そうだな。確かにアレクはお前の従者にしておくには惜しい人材だ」
「何だと」
「だが、アレク本人の希望とあれば仕方あるまい」
「えっ」
アレク本人の希望?
私はアレクと、6年前の主従の契約で初めて出会ったはずだ。しかしそれだと、アレクが私の従者を希望する動機がないように思う。
もしかして、それ以前にどこかで会っていた?
だとすればどこだろう。アレクは隣国の王子とはいえ、出会う機会は限られている。
記憶を辿るけど、思い出せない。
「しかもとっくに廃止された主従の契約などというものまで持ち出してきおった」
「え、廃止?」
「ん、知らなかったのか? というかお前の兄たちは昔から従者にボコボコにされていただろう。なぜ気付かない?」
「えっと……兄たちには興味がなくて」
「……魔法オタクめ」
返す言葉もございません。
10歳の時点で従者がつけられることは今でも変わっていないけど、主従の契約などという忌々しい呪いは、とっくに廃止になっていたのだという。
「というかアレクって何者なのですか?」
「お前の調べた通り、我が国が7年前に攻め滅ぼした、隣国の王子だ」
調べたこともバレていた。まあテリアにお咎めがないなら別にいいのだけど。
「どうしてその王子が、我が国に?」
「……そもそも先の戦争は、隣国の悪政に耐えかねた人間の助けを求める声がきっかけで始まったが、俺が宣戦布告に踏み切った最大の要因は、当時14歳のアレクから届いた密書だ」
「密書?」
父が言うには、アレクからの密書には王家を打倒し民を救ってほしいという旨と、そのための作戦と軍事機密に当たる内部情報が記されていた。
当初は罠の可能性も疑ったけれど、情報を精査してもアレクの密書に書かれていることは全て事実だったという。
「国境線で最も守備の薄い砦を落とし、そのまま王城まで一気に駆け抜ける電撃戦。普通なら誰も考えない無茶な作戦だが、アレクからの内部情報と我が国の魔法技術があれば確かに可能だった。そして何より、隣国の民への被害は最小限に抑えられる……14歳でその全てを計算していたというのだから、天才という他ない」
ファンタリア王国の宣戦布告から、わずかひと月足らずで隣国の王家は滅亡した。本来ならアレクも他の王族と同じ末路を辿るはずだったが、その才能を惜しんだ父が表向きは処刑したことにして、極秘にかくまったのだという。
「アレクを表舞台に出すわけにはいかない。しかしどの部署に配属しようとも、あっという間に目立ってしまう。完全に持て余していたところに、ちょうどお前が10歳になり、従者をあてがう必要が出来た」
確かに引きこもりの第一王女の従者なら目立つこともない。理屈は通る。
「……父上側の事情はおよそ理解しました。それで、アレクはなぜ自ら私の従者を希望したのですか? それ以前に会ったことはありませんよね?」
「……お前は何を言っている?」
「えっ?」
「……いや、いい。すまんなアレク、こんな娘に育ててしまって」
父は呆れたように嘆息すると、ここにいないアレクに対して謝りだした。
あれ、どういうことだろう?
結局それ以上はアレクに関する有益な情報も得られなかった。
仕方ないので私を刺して王城を逃げ出したというアレクの現在の居場所だけ聞いて、あとは本人に尋ねることにした。
ちなみに父からは「もう一回刺されてこい」と言われてしまった。
それが父親の言うことか。
いやまあたぶん、私に何か致命的な見落としがあるんだろうけど。
「で、アレクさんや。何か言いたいことはあるかね?」
「えっと、こういう場面ってもっとシリアスにいくべきではないかなぁ、とか」
「いまさら私にそんなのが似合うと思うてか」
「確かにそうだ」
「何だと」
「わ、危ないって! というか自分で言ったくせに」
私は自分が刺されたあのナイフを、魔法で手足を拘束したアレクの顔に目がけて投げた。
椅子に座ったまま、首だけを動かして器用に避ける。
まあ私はナイフ投げなんて出来ないし、あの飛び方なら当たっても持ち手の方だから大したことにはならなかっただろうけど。
「じゃあ一応望み通りに……アレクは、どうして私を刺したの?」
私はシリアスなトーンでアレクに尋ねる。
「…………分からない」
「分からない?」
「主従の契約が解かれて、今までリンデに言えなかったことや出来なかったこと、心の奥底でずっと渦巻いていた抑圧された感情が一気に溢れ出してきた。言いたいこともしたいこともいっぱいあった。いっぱいありすぎた。それらが全て同時に頭の中に流れてきて……気付いたら、手に持っていたナイフで、君を――」
「あぁ、そういうことか……」
納得した。というか全て分かった。
これは完全に私のミスだ。
呪いを解くことに焦りすぎて、呪いに蝕まれた心身のケアを怠った。
主従の契約が破棄されれば、それだけでアレクが本来の自分に戻れるなんて、そんなわけがないのに。
完全な自業自得。慢心から痛い目を見るなんて、私は結局何も成長していない。
だからこそ父はアレクを捕まえたり処罰したりせずに野放しにしたのだ。一応居場所は常に監視していたようだけれど、それは私のためだろう。
「それは完全に私のせいだわ。ごめんなさい、アレク」
「いや、何が理由であれ俺がリンデを刺したのは事実だ。それに、あの時すぐに治療をしていれば大事にならずに済んだだろう……怖くなって逃げたのは、言い訳のしようもない」
「そうね、そこは反省しなさい。いやもう本当、死にかけたんだから」
「……リンデは優しいな」
「でしょ? 甘くはないけどね。……それじゃあもう一つ。貴方はどうして主従の契約を自ら望んだの?」
すでに廃止されている、まさしく呪いのようなものをわざわざ持ち出した理由は何だろうか。それだけはいくら考えても理解できなかった。父に訊いても本人に訊けの一点張り。
だから本人に訊く。
もったいぶられるかなとも思ったけど、アレクはあっさりと質問に答えた。
「俺はファンタリア王国と内通して戦争を起こし、家族である王族を自らの手で殺した。事情はどうあれ、本来は処刑されている人間なんだ。だからこそ、表舞台に立つことは許されない」
「そうね、そこまでは知っているわ。でもそれだけなら主従の契約なんて、別に必要ないでしょう?」
「……俺は、今でも君のことが好きなんだ」
「……ん?」
私のことが好き?
……というか、今でも?
どういうことだろう、重要な情報が抜け落ちている気がする。
「今でもっていうのは、どういうこと?」
「え、だから君との婚約破棄を一方的に申し出ておきながら、今でもってことで」
「婚約破棄……?」
その単語が鍵となって、私はようやく全てを理解した。
「なるほど……あのときの婚約相手って、アレクだったのね」
「え? いや、リンデが知らないはずはないだろう?」
「いや、知っていたとは思うんだけど、特に興味なくて……覚えてませんでした」
つまり情報を整理すると、こういうことになる。
悪政により財政難となった隣国は、王子であるアレクと私の婚約を結び、財政の支援を要請した。よくある政略結婚のパターン。
けれどそれによって得た支援も、王族の浪費のために消えていくのを知ったアレクは、自国の民を救うために、我が国を利用して王家の打倒を計画する。
その際に、私との婚約が問題になった。
なぜならそのままではファンタリア王国は、王女と王子を婚約させて相手が安心したところに宣戦布告して攻め滅ぼすという、極悪卑劣な国になってしまう。
そうなれば世界各国から非難され、最悪の場合ファンタリア王国は複数の国との戦争に発展するからだ。
だからまずは私との関係をアレクは整理した。それがあの婚約破棄だ。
そうすれば一方的な婚約破棄に振り回されたファンタリア王国には、一応の大義名分が出来る。
そうして計画どおり戦争が行われ、戦争を裏で主導したアレクは、悪政を行った王族の一員として処刑されて全てが終わる……はずだった。
「プリンセス」
「う、ごめんなさい」
「じゃあ君は、俺と出会ったときのことも、婚約者時代に文通をしていたことも覚えていないと?」
「左様でございます」
「……ふっ、ははははは! ……はぁ、何で俺はこんな子を好きになってしまったんだろう」
「何だと」
しかし、ということは何だろう。
アレクが主従の契約を自ら望んだのは、もしかして。
「アレクが主従の契約を望んだのって、もしかして私に手を出さないため?」
「……そうだ。エルンスト王は、どうしても俺を表舞台に引きずり出したがっていたからな」
「ん? ……いや何でもないわ、続けて」
父の言っていたことと食い違いがある。
けれど、あの父が私に全て正直に話すとは思えない。
多分アレクの語ることこそが真実だ。
「エルンスト王は一年ほど様々な部署に俺を置き、実力の証明と実績作りをさせた。しかし俺は表舞台に立つべき人間ではないのだと、そうエルンスト王に訴えかけた。その結果与えられた役目が、リンデの従者だった」
アレクは続ける。
「けどエルンスト王は、俺のリンデへの気持ちさえお見通しだったんだろう。従者として傍にいれば、いずれ俺は我慢できずにリンデに手を出してしまう。そうなればあとは王の思うがままだ。俺に適当な理由で爵位を与えて、責任を取らせる形でリンデと結婚させれば、表舞台に引きずり出せる」
だからアレクは自分への枷として主従の契約を持ち出した。
父としてもすでに廃止された制度だと突っぱねることは可能だっただろう。けれど父はアレクのその申し出を受け入れ、私とアレクは主従の契約で結ばれた。
父の思惑は分からない。というかあの父の考えを理解できる人間がこの世にいるとも思えない。
でも一つだけ確かなのは、意外と私は父と似ているということだ。
ならば父は、私が主従の契約を破棄しようとすることだって、きっと予測済みだったに違いない。
「とりあえず、事情は全部分かったわ。何か色々複雑だったけど、要するに婚約していた頃から今に至るまで、アレクは私のことがずっと好きだったのよね」
「ああ、そうだ」
「ということは両想いよね?」
「……リンデがそう言うなら、そうなんだろうな」
「よし、じゃあ結婚しましょう」
「いや待て、俺の話を聞いてたか?」
「聞いていたわ。貴方と結婚すれば、貴方を表舞台に引きずり出せるのでしょう?」
「いや、確かにそうだが、違う」
「私、貴方に傷物にされてしまったのだけど」
「うっ……」
それは事実だ。
ナイフで刺された傷跡は私のお腹にしっかりと残ってしまっている。
「これだと嫁の貰い手もないでしょうね」
「それは……」
「ちゃんと責任、取ってくれるんだよね?」
――手を出したら責任を取らなくてはいけなくなる。
そんなことを考える律儀で誠実なアレクには、この言葉は効果的に違いない。
あの父にしてこの娘あり。私がよく言われる言葉だ。
そもそも私だってアレクの才能が、私の従者なんかで浪費されていくことをもったいないと思っていた。
アレクの表舞台に立つべきではないなんていうつまらないプライドより、民のためにその才能を生かすことが重視されるべきなのだ。
「……リンデがそれを望むなら」
「ふふ、決まりね」
こうして私は、念願叶って想い人のアレクと結ばれることになった。
その後は目まぐるしい早さで時間が流れていった。
というかやはりこの展開は全て父の思惑通りだったようで、その後のことも全て周到に準備されていた。
まずアレクは私と結婚するにあたり、過去の多大な功績を認める形で公爵に叙爵された。
いきなりの叙爵、しかも最高位の公爵ということで他の貴族からの反発もあるかと思っていたが、全会一致で決まったという。
これは間違いなく父の根回しによるものというか、おそらくそこまでが既定路線だったのだと思う。
そうしてアレクには領地が与えられた。その領地は、かつての隣国の王城が今も残る街とその周辺。
戦後は臨時の領主として父が治めていたが、さすがの父も手が回らないということだろう。
一通りの処理が終わったところで、正式に私はアレクと結婚することになった。
結婚式の準備もあっという間に終わった。というか最初から日程が決まっていたかのような周到さだった。
父の手のひらの上で踊らされている感は否めないけれど、アレクと二人で踊る分には私も幸せなので何も言わないことにする。
そして結婚式当日。
「リンデ。俺は絶対に君を幸せにしてみせる」
「違うわ、アレク。私たちは、二人で一緒に幸せになるのよ」
「ああ、確かにそうだな。一緒に幸せになろう」
どちらかが道を間違えたときは、もう一方がそれを正す。
お互いに言いたいことを言い合える、そんな関係。
私がアレクに望むのは、ただそれだけのことだった。
そうして私たちは全ての用事を終えると、馬車で与えられた領地へと向かう。
アレクは21歳。私は16歳。まだまだ若造な私たちだけれど、これからは二人でこの領地をより良いものにしていかなければならない。
「リンデ、そんなに緊張しなくても大丈夫だって」
「でも私、政治のことなんてからっきしだから」
「大丈夫、それは最初から期待してないから」
「何だと」
馬車に揺られながら、私たちはそんな軽口を叩きあう。
――うん、楽しい。
私は最初から、アレクとこうした気楽な関係になりたかったのだ。
「しかし、もうプリンセスと呼んでからかうことも出来ないんだな」
「ああ、やっぱりからかってたんだ。知ってたけど」
「だってリンデ、プリンセスって呼ぶと耳たぶまで真っ赤になって、かわいかったからさ」
「え、何それ、知らない」
確かにプリンセスと呼ばれるのは柄でもないし恥ずかしかったけど、私はそんな風に反応してしまっていたのか。
自分のことなのに私が知らないというのは、何とも変な感覚だ。
そんな風にして、徐々に私たちが住むことになる街に近づいていく。
――あれ、何だろう。
この風景には、何だか見覚えがあるような気がした。
「リンデ、どうかしたのか?」
「ううん。少し、この辺りに見覚えがある気がしただけ」
「ああ、君は昔に一回来たことがあるからね」
確かにアレクの言う通り、私は小さな頃に一度父とこの地を訪れて、そこでアレクと出会っているらしい。
残念ながら私の記憶にはないのだけれど。
しかしこの風景を見ているうちに、少しずつだけど記憶が戻ってきたような気がした。
そして私は、そこに生えた大きな木を見て、ようやく思い出す。
「この木……」
「大きなりんごの木だろう? 昔からここにあるんだけど、木が高すぎて実を取るのも一苦労なんだ」
「……ああ! 思い出した! りんごのお兄ちゃん!」
私はそう大声を出して、アレクのことを指さした。
「やっと思い出してくれたのか」
「そっか、あのときりんごの実を取ってきて、皮を剥いて食べさせてくれた優しいお兄ちゃんがアレクだったんだ」
「そういうこと。そのときの君の美味しそうにりんごを食べる顔が、俺は忘れられなくてな」
「なるほど。それが私たちの最初の出会い……」
「従者になってからもよくりんごの皮を剥かされていたから、てっきりリンデは覚えていたんだとばかり思っていたけど」
「う、それは……ごめんなさい」
正直に言うとりんごが美味しかったということしか記憶に残っていませんでした。
しかしあれ以降、私の好物はりんごになった。
その理由がアレクに食べさせてもらったからだというなら、私は小さな頃からずっとアレクに影響されていたということだ。
そのことを考えると、なぜだか少しだけ照れくさくなる。
「あれ、どうかしたのか? リンデ、耳たぶまで真っ赤になってるけど」
「な、何でもないわ」
「まるでりんごみたいで……食べてしまいたくなる」
「っ!」
耳元で囁くようにアレクに言われて、ぞくりと、私は思わず身を震わせる。
――そうだ。
ずっと従者だったから忘れていたけれど。
アレクは私よりも5歳も年上で、ずっと大人の、男性なのだ。
「なんて、ね。冗談だよ」
「そう、よね。あはは……」
動揺を隠すように、私はそんな風に笑って誤魔化すのだった。
……とまあ、そんな感じで私とアレクの新しい生活は始まった。
私はアレクの呪いを解いて、これで理想の楽しい関係をアレクと築けるのだと、そんな風に考えていたのだけれど――。
――もしかしたら、飢えた野獣を檻から出してしまったのかも知れません。




