我が辞書に愛の字はあるか
つまらない文章を見ているぐらいなら、下らない表現規制に縛られるぐらいなら、俺はもっとマシなモノに触れている方がよっぽど有意義な時間を過ごせると思う。
しかもそのマシなモノというのは、大抵は入学してすぐに買う事になるモノだ。
つまり何が言いたいかと言うと、知り尽くした事と知りたくもない事しか教えない現代文を乗り切るには、辞書が最も適していると思う……という事だ。
知っているけど忘れそうな事を分かりやすい形に噛み砕いて再確認させ、知らない言葉も簡単にして教えてくれる。俺にとって、辞書は最高の国語教師だ。
だが、俺は記憶領域が一般人のそれよりも遥かに狭い。辞書先生から色々な言葉を教えてもらっても、8割は忘れてしまう。
そこで、ドが付くほど正直な脳内辞書先生は俺にこういう言葉を提示してくるのである。
「バカ」、と。
俺がバカだから、覚えられないと仰る。まぁそれは認めよう。これで俺は自他共に認めるバカだ。
しかしバカ故に、ピュアーな脳内辞書先生に正規のとは違う言葉の意味をすり込む事ができるのである。
例えば言葉は「世界を構成するモノ」だとか、
世間は「まともな人生を喰らうゾンビ」だとか、
愛は「この世で最も大事な感情」だとか……
おかげ様で脳内辞書先生はすっかり個人の感情論に喰われている。
そして脳内辞書先生のおかげで、俺は精神年齢5歳児のままひねくれた異常者として存在する事が出来て、何年経っても愛する人への愛を廃れさせないままでいる。
俺はこれ以上バカになるのは嫌だし、むしろもう少し賢くなりたいのだが、自分を、愛を廃れさせないためなら……
「俺、バカのままでもいいかも」、なんて思ったりもするのである。
「バカにつける薬はない」とか言いますしね。




