前編
最近、私はおかしい。
いつものように私の隣に座っている、私の幼馴染。
綺麗な艶のある、長い黒髪をポニーテールにしている彼女の、美しいうなじに視線が釘づけになってしまう。
視線が合おうものなら、私の心臓がドキドキしはじめる。
黒板を写すはずの私の手は一向に本来の目的を果たそうとはせず、いつも以上に動こうとはしない。
黒板を向いてるべき私の瞳は前ではなく隣を向いてしまっている。
先生がなにか言っているけど、まるで頭に入ってこない。
いつもの、私の日常だったはず。
そう。
これは、何も変わらない、いつもの光景。
私がいて、隣にはこの子が―ユリがいる。
いつもの光景のはずなのに―
どうして、こんなに胸がドキドキするんだろう。
小さなころから、ずっと一緒だった私たち。
だからこそ、一番安心できる友達がユリだ。
でも―最近の私は、いつの間にかユリを視線で追ってしまっている。
彼女を無意識で探してしまう。
そして―なぜだか、その仕草に見とれてしまう。
何気ない会話が続くことに、ドキドキするほど嬉しいような、苦しいような気持になる。
その声が私に届くと、まるで羽が生えたように嬉しくなる。
勉強は大っ嫌いだけど、学校は好きだ。
でも―最近は、ユリと一緒にいられる、教室の中にいる時間がもっと好きだ。
この時間だけは誰にも邪魔されたくない。
そんな風に思うようにもなった。
こんな気持ちになったのは、きっと『あのせい』だ。
偶然ユリの心に触れてしまった『あのとき』から、私の気持ちはこんな風になっている。
同じ学校に通う、同じクラスの―
私の幼馴染の『オンナノコ』。
ずっと一緒で、ずっと友達で、親友だった。
でも今になって、私はその親友に、こんな気持ちになっている。
その子が私をどう思っているのか、気になってしまう。
そのメガネの向こうの瞳が、私を映していてくれたらいいのに、と思ってしまう。
なんだか胸がふわふわして、雲に浮いたような、しあわせな、キモチ―
どうしてなんだろう
どうして―
女同士なのに、こんな気持ちになるんだろう。
最近、私はおかしい。
――――――――――――――――――――――――
「―陽菜、陽菜…」
うぅん…
「…陽菜…遅刻するわよ?」
肩を叩かれて揺すられる。
うーん、もう少し寝ていたい…
覚醒しかけた意識の中、起こしに来た人物が誰なのかに検討を付ける。
そのうえで、さらにもうちょっとだけ甘えてみる。
大丈夫。もうちょっとだけなら寝かせてくれるはず。
「―はぁ。しょうがないな陽菜は…うふふ」
…なんか声色が妖しい気がする…
と思う間もなく、するするっとその人物が入ってきて、耳元で囁かれた。
ふぅ、と吐息を吹きかけられて。
「―おはよう、愛しの陽菜ちゃん」
「ひぅっ!ユ、ユリやめて!」
「早く起きない子には…うふふ、イタズラしようかな」
なんだか後ろからのばされる手が余計なところばかり触ろうとしてる。
必死に胸をガードしていると、不意にぺろん、とパジャマの背中の部分を捲られて、露わになった素肌をつつー、と指でなぞられた。
「ひああっ!!」
思わず変な声が出てしまって、恥ずかしくなってしまった。
それを聞いたユリが後ろから耳元で囁いてくる。
「…色っぽい声…」
「ちょ、み、耳元で言わないで!く、くすぐったい…!」
「陽菜が起きたらやめてあげる」
「や、あ、ちょ、ちょっとユリどこ触って…」
ユリの体温まで感じてしまうような、こんなに近い距離にいるなんて…
とうとう夢にまで登場するようになった、私の後ろで変なことばかりしてくる幼馴染の体温に、息遣いに…一気に私の心拍数が跳ね上がってしまう。
誤魔化すように布団を抜け出すと、何かに気づいたのか、私の方に顔を寄せてくる。
同じ制服を着てるはずなのに、なんでユリが着てるとこんなに綺麗なんだろう。
そんなことを思って見惚れていると、いつの間にかものすごく至近距離に彼女の顔がある。
「ちょ、ゆ、ユリ、ち、近いって!」
「―なんだか顔が赤いよ?熱でもあるの?」
「え?ちょ、ちょっとユリ!」
そう言うなりユリはメガネを外し、前髪を上げておでこを私にくっつけてきた。
「―!!!!!」
ユリの長い睫が目に映り、シャンプーのいい香りが仄かに伝わってくる。
もう、私の心臓はドキドキで破裂しそうだ。
「んー…でも大丈夫そうね。平気、陽菜?」
「う、うん!ぜ、全然平気!」
自分の胸の高鳴りを悟られまいと、慌てて顔を離す。
全く、朝から私はドキドキしっぱなしだ。
彼女のペースに巻き込まれながら、どこかそれを嬉しく感じている。
心配そうに顔を覗き込んでくる幼馴染に、この胸の内に気づかれないようにしながら、何とか着替えを済ませて一緒に家を出た。
――――――――――――――――――――――――
私の幼馴染は頭がいい。
小さな頃から成績はいつも1番だった。
高校生になってからは、校内どころか全国模試でも1ケタに入るくらい頭がいい。
対して私は、というと…
「よし中川。次の英文を読んでごらん」
「は、はい!え、えっと…」
慌てて教科書に目を落とすと
He said, "If I were a bird, I would fly in the sky."
と書いてある。
よ、よし。これなら見たことある単語ばっかりだ。
ユリにもたまにはいいところを見せよう。
私だってやるときにはやるんだ。
「…ひ、ひー せいど、いふ あい …うぇあ? あ び、びぁど? あ、あい うぉ、うぉるど ふらい いん ざ すかい!」
と割と自信たっぷりに読んだけど先生と周りの反応はなんだかイマイチだ。
「…よしもういいぞ中川、よくがんばったな」
「で、ですよね?いやー、みたことある単語だしちょっと自信が…」
「ちなみに『セイド』じゃなくて『セッド』、『ウェア』じゃなくて『ワー』、『ビァド』は『バード』、あと『ウォルド』は『ウッド』だけどね」
「―え?」
あ、あれ?お、思いっきり間違えてた?
「いやいや中川、お前の間違いを気にせず読む態度はとっても大事だからな。よくがんばったよ、なぁみんな」
と先生がめずらしく私を褒めてくれている。
うぅー、くそ。絶対間違えてないと思ったのに。
と、ふとユリと目が合うと、クスクスと笑っているじゃないか。
それに気が付くと、私の顔がかぁーっと赤くなる。
せっかくユリにいいところ見せようと思ったのに…
かなりへこんでいると、ちょっとしてからユリの方から小さなメモ帳が回ってきた。
リボンが描かれた可愛いメモだ。
そこにはこう書かれている。
『あとで私が教えてあげる』
思わずばっ!と横を見ると、綺麗な笑顔で私を見つめるユリが、可愛くウィンクをしてきた。
―!!!
その笑顔でウィンクは最強すぎるよ、ユリ…
まるで『バキュン!』と撃ち抜かれる音がしたみたいだった。
こんな風に勉強は得意じゃない私と、その横で、いつも私に教えてくれる、私の幼馴染。
ユリの手紙の言葉を何度もリフレインして、放課後に誰もいない教室の中、私とユリの二人だけで教えてもらっている場面を想像してドキドキしてしまっているのに気が付いた。
…やっぱり、最近私はおかしい気がするよ。