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悲しみの雨(3)

 何だか、胸の奥がざわざわとする。その感情の正体は、不安だ。

 だが、何に対してこんなに不安を感じているのか、それが自分でも分からなかった。

 よく分からない焦燥感が胸を圧迫して、落ち着かなかった。

 リュカは心を落ち着けようと、ふーっと深く息を吐いた。

 何を不安に思う必要があるんだ、と自問自答した。もう何の心配も必要ない、この一家を襲うはずだった悲劇は回避させることが出来たのだから。

 そう思うのに、胸のざわつきは消えない。むしろ、時間の経過と共に増していくばかりだった。

 リュカは、視線を落として考え込んだ。

 ……何かを、見落としているということだろうか。リュカの本能に近い場所がそれを拾って、警鐘を鳴らしているということだろうか。

 だが、何を見落としているというのだろう。若干の勘を織り交ぜつつもリュカの推測は的中し、『万屋』の『白のヴァルキュリア』は己の生家であるブラント家の抹殺を思いとどまった。

「……待てよ」

 声に出したのは、無意識だった。隣に腰掛けて本を読んでいたフェリスが微かな呟きを聞き取り何事かと顔を上げたが、リュカはそれにも気付かなかった。

 思いついた、可能性。

 領主一家の暗殺なんてただ事じゃない。いくら『白のヴァルキュリア』として名を馳せる彼女でも、簡単にこなせる仕事だとは思えない。だが、もしこの仕事が彼女一人のものではないとしたら。彼女を止めたところで意味などない。別の誰かがこの一家に手を下す、それだけだ。

 だが、嫌な予感がする。

 もし、そんな事態が起こったら、彼女は一体どうするだろう。

 脳裏に浮かび上がった直感にも似た答えに、リュカはぞくりとした。自分が感じていた不安の正体はこれだったのだと気付いた。

「……ごめん、フェリス。ちょっと、急用思い出した」

 緊迫した表情と固い声音から差し迫った事情を読み取ったらしいフェリスは、好奇心を覗かせることなくにっこりと笑った。

「分かった。気をつけてね、リュカお兄ちゃん」

 黙って頷くと、リュカは傍に立てかけてあった剣を腰に佩き、ブラント家の広大な屋敷を飛び出した。

 外に出てどちらに向かうか躊躇したのは、一瞬。己の直感に従って、足の向くままに駆け出した。

「急がないとっ……!」

 自分に何が出来るのか、分からない。何も出来ないかもしれない。それでも、『万屋』のメンバーのいる場所にいかなければならない。そこに、彼女がいるはずだから。

 全力でティールズの街を駆け抜けながら、この考えが外れていればと願った。

 だが、心のどこかでこれが現実なのだという声がした気がした。

 彼女は、自分の産みの親と弟を守るために、自分の育ての親を殺すつもりなのだと。


◇ ◇ ◇


 ティールズの街近くに存在しながら、奥深く迷いやすいため誰も足を踏み入れないその森は、今や血の臭気でむせ返っていた。

 ……的中してしまった。

 リュカは顔をしかめつつ、臭気の強い方向へと歩いていった。

 自分があの故郷の村に駆けつけた時、村を満たしていたのは冷たい雨の匂いだった。だが、雨が降っていなければあの穏やかな村を満たしていたのはこの臭気だったのだ。

 出来れば駆けつけたかったが、人が通らないこの森は足場が悪く、木々に目立たないように刻まれている導と血の臭いを頼りに、慎重に奥に進まざるを得なかった。

 ふと、リュカの耳が微かな金属音を捉えた。

「……っまだ戦ってる!」

 神経に触れた戦闘の気配に、リュカは逸る気持ちを抑えながら、それでも極力速く気配の元へと向かった。

「……っ!」

 突如開けた視界に、息を呑んだ。

 森の中にありながら、そこだけは大きな樹木がない広場のような場所だ。そこに、二つの人影があった。

 ひとつは、白い髪に赤い瞳の長身の美女。その手には幾人もの血で濡れた双剣が握られている。

 そしてもうひとつの人影は、漆黒の瞳と髪を持つ中年の男性。一振りの剣を握った男性は、ふっと口元に淡い笑みを浮かべた。

 その笑みの儚さに、リュカの心臓がどくりと音をたてた。

「腕……ずいぶんと上げたじゃねぇか、ティア……。まさか……」

 男――バリーは愛用の剣オートクレールを杖代わりに地面に刺して、それでも身体を支えきれずに地面に膝をついた。その腹にじわりと朱が滲んだ。

「まさか……この俺が負けるとはな」

 そう言って、何故だか楽しげに、にやりと笑った。

「親父……殿……」

 リュカはくっと目を瞑った。武器と彼女の言葉からこの男性が『黒い風』の二つ名を持つ『万屋』のリーダーなのだと知った。間に合わなかったのだ。

「まあ……娘の手にかかって終わるっつーなら、俺の人生も上々ってとこ、だな……」

 そう言って笑うバリーの笑顔は、晴れやかだった。

「親父殿……。私はっ……!」

「なんつー顔してんだ……。なっさけねぇ面しやがって……それでも、俺の娘かっつーの……。ティア、別にお前は間違っちゃいねぇよ。……正しいともいえねぇけど。俺たちを……止めるには……殺すしかないからな」

 全てを知ったような顔で、バリーは笑った。その視線がふとあがり、リュカを射抜いた。反射的にリュカは居住いを正した。

「てめーか……。ブラント家に滞在してた剣士って奴は……」

「……はい。リュカ=ソール=グレヴィです」

 じっと瞳を見つめられた。瞳から心の中を覗かれているような感覚を覚えた。そして、バリーの瞳が何かを訴えかけているようで、リュカは小さく息を呑んだ。

「なーるほどな。……なかなか面白そうな坊主じゃねぇか」

 そう言って笑うその顔は、既に血の気が引いて土気色に近く、それを見るティアの表情は、不自然に凪いでいた。

 それを見たバリーは小さく苦笑した。

「ったく……ほんっと不器用な奴だ、お前は……」

 それが、バリーの口から出た最後の言葉で。

 最期の最期まで己の相棒たる剣を握ったまま、バリー=エッジワースは永遠の眠りに就いたのだった。

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