本当はいい国◇12年前
※若干残酷な描写が含まれています。
「…あなたに訊きたい」
雲に隠れた月。夜の闇に目を眇め、キオウはおもむろに口を開く。
「12年前のあのとき――…俺は死神ドゥを召喚した。俺自身を殺すために。
ドゥは法具の鎌で俺の魂を狩ろうとした。ドゥが最初から俺を生かす気だったのかどうかはわからない。だが、あのときに感じた畏怖は、間違いなく死神の殺意だった。
首筋を介して魂に触れた冷たい鎌の刃に、生命が魂に備えている死神への畏怖に、俺は歓喜すらした。死の安寧に安堵さえした。…だが、そこでドゥは止めた。
――…あなたが、止めさせたんだろう?」
その子を狩っては駄目。
その子は、迷い子であるだけ…。
「死神が鎌を退けて何故『生きろ』と言うのか…、当時の俺は理解ができなかった。この土地では俺は死ねないと思い、俺はショウカを出た。
無意識に使った転移術で着いたキュクは、人も精霊も少なく、神の加護さえも希薄な土地だった。だがその分《気脈》が純粋で、衰弱していた俺も多少は体が自由に動けるようになった。
動けるのをいいことに、俺は何度も自殺を試みた。でも…、普段は人に無関心であるはずのキュクの精霊達が、何故か俺を死なせない」
崖から飛び降りても、気がつけば無傷で地面に転がっていた。
水に身を投げても、いつの間にか岸に打ち上げられていた。
鋭い枝や石で自分を傷つけようとしても、わずかな傷さえつかなかった。
「また誰かが俺が死ぬのを止めている――…。そう感じた俺は放置された無人港にたどり着き、強い日差しに身を投げ出した。こうしていればいずれ死ねるから、と。…でも、それも成功しなかった。
――何年間も人が来なかったその港を偶然という必然で訪れた航海士が、俺を拾ったから」
その後――、カイは自分を故郷クティに連れ帰った。クティには賢者が棲む祠があり、かの賢者はクティ内の異変を知ることができた。
死を恋しがる幼い賢者の存在を察知した彼は、もう何百年もの間避けてきた人間の前に現れ、自分を弟子に迎え入れた。
「…ドゥが俺を狩らなかったこと、キュクの精霊達が俺を死なせなかったこと、秋津のと接点があるカイがあの場に現れたこと。どれかひとつが欠けていれば、俺は間違いなく死んでいた。
――だから、俺は思う」
誰かが、ずっと、俺を視ていた――。
「最初は師匠かと思った。だが師匠はショウカにいた頃の俺なんて眼中になかっただろうからな。
他の賢者も似たり寄ったりだ。御伽のは論外。清流のは対応がもっと素早そうだ。明星のは…、まぁ…考えたくもないが」
脳裏をよぎった個性的な先輩達に顔をしかめ、キオウは頭を振った。
そして今一度、目の前の彼女を見据える。
「あなたは俺が秋津のの弟子だと知っていた。それで俺は、確信した。
ドゥを止め、精霊に助力を請い、カイを俺に出会わせたのは――…肉体を失い賢者ではなくなった、あなただ」
緊張をはらんだキオウの言葉に、古の賢者は静かに目を伏せる。
『――…本当はあなたをあのように振り回したくなどなかった。すぐに助けたかった。
ですが今の私は…、ただ少しばかり霊力が強いだけの霊体。殿下をお守りするだけが精一杯。同じショウカに在るというのに、長年あなたの存在に気づきもしなかった。
私があなたに気づいたのは…、あなたがかの死神を喚んだ瞬間でした』
「………」
『もし死を迎えていたとしたら――、あなたはどうしていましたか?』
え? と問い返すキオウ。
『あのまま死を迎えて霊体となっていたら…、あなたはどうしていたでしょう?
賢者のチカラを持ちながら、自身が賢者であることを知らずにいたあなたが、膨大な霊力を持つ霊体となっていたら――…』
「……俺は…、父上を…呪って、いた…?」
呟きに目を伏せる守護霊。
その瞬間――…キオウにも視えた。
「俺、は…」
――死により理性を欠如した自分が、チカラの制御など知らない自分が、その憎悪の心だけで呪う。
父が受けた苦しみは地獄の責め苦以上に惨たらしいものだ。罪悪感に蝕まれた父は、凄まじい形相で半狂乱となり――…、自らの爪でかきむしった喉元から血を噴いて死ぬ。
…父だけではない。自分の憎しみはショウカ全体に至り、飢餓や犯罪や疫病がはびり、国土は死に覆われて沈み――…そうなっていた…。
表情を強ばらせ硬直したキオウ。その背を守護霊は優しく撫でる。
『…あなたはお父さまを憎んでなどいなかった。けれど死したあなたは愛情と憎悪の分別がつかず、あのような事態を…』
「……だから、あなたは…?」
動揺に揺れるキオウの目を捉え、彼女はゆっくりと首を横に振る。
『結果がどうであれ、私は助けたかったのです。閣下や民の地獄を避けるためでも、あなたが賢者だからでもない。私は助けたかった。幸せになって欲しかった。
――…あなたと、あなたのお父さまに』
「………」
落ち着きを取り戻しつつあるキオウを座らせ、同じく隣に座った彼女は優しくその手に触れる。
『生前の私は、未来を視るチカラに長けていました。意図せずに視えてしまうこともあった。
…似た波動を感じるから、あなたにもそうした癖があるのかしら?』
確かに…、自分の意思と無関係に未来を予感として感じることが多々ある。キオウは目を泳がせる。
『その中で、私は知りました。未来のショウカに在る、とある父子のことを。
――あなたがたのことを』
「俺と…父上のこと?」
怪訝に問い返すと、彼女はキオウの手をそっと包んだ。
『あるひとつの《結果》を視せましょう。
あなたの祖父――今は残虐王と呼ばれている彼が死なずにいた場合の未来を…』
己の兄弟や我が子すら排除し、国と民を蹂躙し続けた彼。…だが次第に老いと死の恐怖に勝てなくなった。
しかしそれは生命が持つ死への恐怖ではなく、死により自分が国の舵を執れなくなる事実への畏れ。その畏れを除く種を、彼は蒔いていた。
――アゼルスの行動を黙認したのだ。
アゼルスは反乱分子であり、従来ならば他の子供達同様に葬るべき対象であった。しかしアゼルスも警戒して表立った反抗行為を見せず、父王の目からすれば無駄な行為――王家への殺意を抱く市井にあえて赴き、民の生活に応える行動をした。
その影では父王への謀反を計画していたが…、父王の監視の隙を盗んで力を蓄えるにはかなりの時間を有する。
それを見切った父王は、あえてアゼルスを野放しにしたのだ。
――アゼルスが城の外で子供を持つことを見越して。
屋敷の人間はジャフレも含め、当初は王の息がかかった者達だった。しかしアゼルスが屋敷を与えられた幼少期から関わり続けた結果、彼らはアゼルスの人となりに惚れ、アゼルスのために屋敷を父王の手から切り離した空間として構築したのだ。
この状況ならば、アゼルスとキオウの母となる女性との仲も、キオウの存在も、父王の耳に入る危険は少ない。実際に父王はそれらの関係を――おそらくは知らないままに没した。
――しかし、父王が存命であったこの場合は違った。
庭を無邪気に走り回る幼子の声を、屋敷の外で密偵していた父王配下の者が聞いてしまったのだ。
父王は強く迫った。孫を渡せ、と。
アゼルスは断固として拒否し、キオウを腕に抱いて屋敷に立てこもった。
そして彼は――…キオウの喉を裂いた後、屋敷に火を放った。
「――ッ!」
我が子の亡骸を胸に業火に焼かれる父の姿を、自分への悲痛な懺悔の叫びを――…、キオウは一生忘れないだろう…。
…蒼白となった顔を強ばらせるキオウ。気遣うように、古の賢者は優しくも力強くその背を撫でる。
『…閣下の《分岐路》はすべて、ひとつ残らず、あなたを傷つける《運命》に繋がっています。あなたがた父子には、その残酷な《運命》しか許されていないのです』
それを魂の根底で知っているアゼルスは、キオウを傷つけることを極端に恐れている。
それは今も続いているのだ――、と。
古の賢者は呟いた。
『閣下は今でも恐れ、怯えています。自分は再びあなたを傷つけるのではないか、と。
この12年の間、閣下は苦しみ続けてきました。毎晩のように夢をみるのです。
あなたの悲鳴。泣き声。すがる手。それらを払いのけた自分と――…そして、あなたの喉を斬ったその感触を』
「――…俺は…、恨んでも憎んでもいないのに…」
それなのに、父は、今もまだ――…。
…うなだれたキオウの肩を、古の賢者は優しく抱き寄せた…。




