本当はいい国◇アゼルスとジーク
『…どうしてぼくは、シュウにぃみたいに、とーさんと一緒にいられないの?』
『……それは…』
――…不愉快な夢をみたものだ…。
重い心で寝返りを打つと、枕が湿っていることに気がついた。隙間風をひんやりと感じた目元が、少しだけヒリヒリと痛んでいる。
なんだか妙に喉が渇いた。…そんなに泣いたのだろうか?
「――…だあぁァァッ! ッたく、冗談じゃねーよッ!!」
苛立ちに布団を思いきり蹴飛ばして飛び起きた。髪をガシガシと乱暴に掻き乱し、ズカズカと大股で部屋から出る。
外はまだ夜が深い。
厨房で水を飲みつつ窓から外を見ると…、夜の闇に白い銀髪がぼんやりと見えた。
床に直に座って手すりに背を預け、心ここにあらずといった様子で海を見ている。
「…こんな夜中に何やってんだよ、あのダンナ…」
無意識に呟きつつ見ていると、その顔が誰かに呼ばれたかのように船室の方へと向けられた。そう間を置かずに現れたのは、手にランプを下げた航海士。
そして何やら、シリアスな雰囲気。
「…」
会話は窓に遮られてさすがに聞こえないが、白い人影は時折自嘲を浮かべ、小さく頷いている。
「………」
もしやコレは、見てはいけないモノなのだろうか? ちょっぴりビミョーな気持ちになった。
会話が終わったのか、船室の方へと消えていくカイ。客人の元にランプを残すあたりに、その人柄がみて取れる。
再びひとりとなった彼が、ため息をついて海に視線を移した。ランプの灯りが照らす横顔に、いつもの穏やかなあたたかみはない。暗く深い感情の目。
「…」
少し悩んだ後、思いきって近づいてみることにした。
わざと声を出して伸びをしつつ歩いていくと、不思議そうに顔を向けられる。…いつもの穏やかな表情だ。
「ずいぶんと夜更かしだね、ジーク」
「ダンナこそな」
ジークは言いつつ、隣の真似をして海を見てみた。
月明かりのない海はどこまでも暗く、規則的に揺らめく波を不気味に感じさせている。
「なーにやってんだよ? 人魚でも見てたのか?」
「…いるのかい?」
さぁ? と素っ気ないジークの応え。
「レイヴ達は見たことあるって言ってたな。人魚とか水竜とか幽霊船とか水死体とか」
「それはそれは」
「ドラゴンを見たこともあるらしいぜ? さすがは賢者がいるだけのことはあるよな」
「ジークは見たことがないのかい?」
「俺はまだ乗って日が浅いからなー…。ダンナのせがれが喚んでけしかけやがる――足がいっぱい生えた牛とか、ワカメのバケモンとか、顔が鈴なりの犬とか…、そーゆーワケのわからんイキモノくらいしか」
充分である。
喉をクツクツと鳴らして笑われてしまい、ジークは少しムッとした。
「笑い事じゃねーよ。俺としては、もっとこう…、夢のあるイキモノを見てみたいワケだ」
「夢か…。いいね、悪くない」
「昔のアイツはどんなガキだったんだ? チビキオウを更にチビにした感じか?」
問われ、やわらかな笑みのまま目を伏せるアゼルス。
「…そうだね。もう少しやんちゃだったかな?」
「やんちゃ?」
「悪戯好きでね。タンスの中身を全部裏返して戻したりとか、厨房の塩と砂糖をすり替えたりとか、ドアを開けると白粉が降ってきたりとか」
「…叱らねーの? やりたい放題?」
まさか、と笑うアゼルス。
「あの子は毎日執事達からお説教を食らっていたさ。私も必要時には叱ったよ」
「必要時?」
「人が怪我をする悪戯はしないこと。先入観で人を決めつけないこと。人をけなし見下す言葉を言わないこと」
「…ダンナの説教って怖くなさそうだな。怒鳴ったりしねぇだろ?」
声を荒げるアゼルスなど想像がつかない。
「子供の説教に恐怖や威圧は必要ないさ。良いことと悪いことが区別出来るように導くのが説教だ。
あの子は叱られる理由をわかっていたし、何よりも私に叱られること自体が大嫌いだったからね。私が名前を呼んだ瞬間に『ごめんなさい、もうしません』が返ってきた」
「ダンナは説教でアイツに手をあげたりはしねぇんだな…。
――…あ…、悪りぃ…」
無意識の呟きにくもった相手の表情に、ジークはバツが悪くなって顔を背けた。
構わないよ、と応えるアゼルス。…だが、苦々しく自嘲している。
気まずい間。
「ジークのご家族は息災かい?」
その問いに一瞬戸惑うジーク。…そういえば、この船の連中からは一度も身の上について訊かれたことがない。
互いの過去をむやみに深く干渉しない暗黙のルールがあるのだろうか? だとしたら、いつぞやのインパスのアレは完全なルール違反だ。そう思い、ジークは密かに苦笑する。
――おかげで、少し余裕を持って答えられた。
「母親は死んだ。父親とアニキがいる」
「そうか」
「ま、元気なんじゃねーの? 死んだって噂も聞かねーし」
言って――マズった言葉を言ったか、と顔をしかめるジーク。おそらくアゼルスの中で疑問符が浮かんだに違いない。
だがアゼルスはそれ以上訊きはしなかった。…ほっとした。
「………」
確かにほっとしたのだが…、自分の中に感じる重い石。ままならない気持ちについ舌打ちをする。
がすっ!
「いッ…!?」
前触れなく右の膝裏に食らった一撃。実に強力な「膝カックン」であった。
ギョッと頭を振りかぶって見やると、緑色の丸い物体が眠そうな仕草で床に顔(?)を擦りつけている。
「…」
弾力性のないこのボディ。どーやって膝にクリティカルを見舞ったのだろうか?
「おいで、まーくん」
苦笑混じりに呼ばれたイキモノは、睡魔によろめきながらアゼルスの元へ転がっていった。その手に気持ちよさそうに体全体を擦りつけて甘えている。
だんだん動きが鈍ってきたな…と思った瞬間、まーくんは完全に静止してしまった。…眠ったらしい。
「そろそろ俺も寝直すか…」
「おやすみ、ジーク」
ああ、と短く応え、ジークは夜風にさらされた腕を無意識にさする。ずいぶんと冷えてしまった。
――…そういえば…、このダンナはいつからここでボケーッとしていやがるんだ…?
改めてアゼルスを観察する。…顔はいつもより白いし、纏う雰囲気も気だるげだ。そもそも上着を羽織っていない。
「ダンナもさっさと寝ろよ?」
「もう少ししたらね」
「今すぐ部屋に戻れよ。コレでダンナが風邪をひきやがったら、俺がキオウにいびられる」
素直でないが珍しいジークの気遣い。アゼルスは碧い目を見開いて――…小さくクシャミする。
髪をガシガシと掻き乱すジーク。
「言わんこっちゃねぇなぁ…。ほらほら、行った行った!」
「…。はいはい」
「『はい』は1回!」
「――…はい」
「おい、なんで笑うんだよッ? てかダンナ、ランプ忘れ――」
「ジークが使いなさい」
「別にいらねぇよ。俺は夜目が利――」
「はいはい」
「だからッ――…おいダンナ…!」
まーくんを片腕に抱え、肩越しにひらひらと手を振りつつ去っていく後ろ姿。
ジークは渡し損ねたランプを力なく下げ…、再び頭をガシガシと掻いた。




