本当はいい国◇さようなら
兄から控え目に指摘されて着衣の乱れを正したアグナルは、事態の把握に頭をフル回転させている。
「――つまり、サシィナが暗示をかけて私を操っていて」
「そう」
「その子は兄上のご子息…つまり私の甥で」
「まだ俺のことを言ってるよ、この人…」
「……うー…ん…」
「――…ほらな、キオウ。アグナルのコレは、普段からなんだ。心配しなくても大丈夫」
「ん、わかった。安心した」
「あ、兄上…。私のことを誤解させるような物言いは」
「キオウや、私は何か可笑しなことを言ったかな?」
「いいや?」
「………」
父子の反応に頭を抱えるアグナル。
――ちなみに、彼にはまだキオウが賢者であることを伝えていない。今宵のキオウはローブ姿ではなく、そこそこに格のある服装だ。アグナルは、この甥には魔導の心得がある、と認識した程度だろう。
それで…、と。アゼルスは隣の我が子に問う。
「あの女はどこへ行ったのかな?」
「ん、ウィズジーじいさんのとこ」
「おや、やっぱり二股かい? 最近の女性は恐ろしいな」
「ちなみに、帰ってくるのは1時間後くらいだと思うけど?」
「ならば、それまではゆっくりと話せるわけだ」
言って、親の顔から王族のそれに切り替えたアゼルス。スッ…、と眇ませた眼光が弟を射抜く。
ポカンと父子の会話を聞いていたアグナルであったが、兄の視線に我に返った。
「――…アグナル、今のお前に訊ねよう。お前はこの内戦をどう思う?」
「…即刻やめなければ。兄上がようやく築き上げた他国との関係まで危うくなってしまう。
それに…、今年の雨量は尋常じゃない。収穫量の不足は目に見えている。それなのに、こんな内戦を…!」
「キオウ、異常気象の原因はわかったかい?」
「あの二股魔女が下手に使った魔力の余波が、大気と水の《気脈》に影響している。豊穣の女神セーザの慈悲まで、内戦による瘴気に薄れちまっている。今年の大不作は確実だ」
「餓死者まで出る勢いかな?」
「父上の予想以上にな。でないと、ここまで瘴気が充ちるはずがない。ショウカが島国なのも原因だ。この飢饉、他国にすがっても収拾がつかない。
試してみる? 周囲の海域に原因不明の嵐が続発する内戦中の国に、大量の物資を提供してくれる友好国が、この近辺にあるのなら」
「事態は最悪の方向だな…」
アゼルスが忌々しげに顔をゆがめ、珍しく舌打ちをする。
首を傾げてキオウを見つめるアグナル。この甥が不思議でならないのだろう。
「なら、どうすれば…」
「キオウ、手はあるか?」
「ある」
「よし」
よくはないだろう。
しかしアゼルスの我が子への信用と信頼は何よりも厚い。他に頼る存在がないアグナルも、この父子を信じようと思っている。
「…あ。そろそろあの魔女が帰ってきそう」
「ならば、我々は退散しようか」
「帰ったら速攻で寝てやる」
キオウは「う〜ん…っ」と大きく伸びをして、チラリと叔父を見る。
「じゃあ、叔父には悪いんですが――」
「…え?」
「一時解除した魔女の暗示を、またまた復活させます」
「えぇッ!?」
ガバッと兄を見るアグナル。
弟の反応に、アゼルスは苦く笑って「仕方がないさ」と肩をすくめてみせる。
「あ、兄上…!」
「彼女は君がお気に入りらしい。ならば我々が助力を求める相手は、お前より叔父上が良さそうだ。彼女が長くいる場所へと頻繁に足を運ぶわけには行かないだろう?」
「ですが、兄上…!」
「今日はお前の無事と意志を知ることができた」
「しかし!」
「アグナル」
アゼルスは一度目を伏せた後、その眼光で弟を黙らせる。
「――何故私が叔父上にではなくお前に譲位したのか、わかるか?」
「………」
動きを止めるアグナル。
アゼルスは続ける。
「正直に言おう。あの当時、王位に就く器は叔父上の方があった。だが、私はあえてお前を指名した。
――叔父上とも同意の上で、な」
「同意の――?
な…なら、この内戦は…」
――この覇権争いは。
「すべてあの女の仕業、ということだ。
そもそも、考えてもみろ。あの叔父上が今頃になってお前から王座を奪う必要などあるか?」
「…」
「――お前は悔しいとは思わないのか? あの女に国を荒らされ、己すらも手駒とされて」
「……思います」
「父上、そろそろ…」
魔法陣を広げ、振り返って父を呼ぶキオウ。
それに応えた後、アゼルスは厳しくも愛情を感じさせる声音でこう続けた。
「ならば――お前のその意志を示してみろ」
…アグナルは静かに頷いた。
次の瞬間――。
今まさにベッドの上で目を覚ました自分に気がついた。
ぼんやりと天井を眺めた後、隣にいたはずの女を捜して見回す。室内に女の姿はない。
そこで何故か――、自分の中にある違和感の存在を感じた。
――…自分は何故、あの宮廷魔術師に固執しているのだろう…?




