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本当はいい国◇はじめまして

 真夜中。アグナルと宮廷魔術師の女は、床を共にしていた。

 夢に落ちたアグナルの寝顔をしばし眺めた女は、やがて静かにベッドを抜け出し――。

 姿を消した。

《…やれやれ。しっかりしてくれよな、オッサン。甥の俺はどんな反応をすりゃいいんだよ》

 キオウである。

 父と7歳違いの叔父を「オッサン」と吐き捨てたキオウは、叔父が眠るベッド上にふわっと浮かび上がった。

 酒に薬を混ぜられたアグナルは、すっかり眠り込んでいる。

《気持ちよさそうに寝ちゃってまぁ…、ある意味で最高に幸せな状況だよなぁ。

 …決して羨ましくはない幸せのカタチだけど》

 さすがは一国の王の部屋。広い上に、家具も調度品も極上な品ばかり。

《…。父上もこの城にいたんだよな…》

 キオウはふと感慨にふけた。

 キオウが育ったのは、使用人がジャフレを含めて6人という小規模の屋敷だった。日用品などは確かに上質の品ではあったが、中流階級の民なら手軽に入手可能な物ばかり。

 その屋敷でのアゼルスは――…王族ではなかった。

 屋敷での父は庭師と土いじりをし、荷物運びや掃除を自主的に手伝い、自分で茶を淹れ、時には使用人に読み書きや作法を教えた。デスティニィ号の生活にも、父は完全に適応している。

 キオウが赤子の頃にはオシメを代え、沐浴をし、ミルクや離乳食の世話もしたらしい。廃人化したキオウの世話が手慣れていたのは…、その頃に培ったスキルのおかげだろう。

 そんな父は、この城ではどのように生きていたのだろう…?

《…さて、起こすか》

 眠り薬のチカラと、その奥にどす黒い暗示のチカラを感じる。普段のキオウならば、どちらもすぐに解除できる程度のチカラだ。今すぐに解除したいが…、キオウは慎重に呪文を練り上げていく。

 ――…ショウカで生誕したキオウは、本来ならばショウカの《気脈》とズレが生じるはずなどない。しかし、かつてキオウは断固として死を願った。生を全否定し、死神の「生きよ」という言葉すら拒絶した。

 ――その瞬間、キオウの魂はショウカの《気脈》と反発するようになってしまった。

 この状態で普段の感覚のままチカラを操るなど無謀。自分に関わる魔法ならば責任が取れるし、多少の無茶も効く。だが、他者への魔法――しかも今回のような場合は慎重にしなければ…。

 叔父の暗示を一時的に解除したキオウは、次に自分の姿消しの術を解いた。

 ふぅ…、と軽くひと呼吸。

「ほら、起きてってば。もしもーし」

 空中にプカプカと浮かんだまま、キオウは叔父の頬をぺちぺちと叩いた。

 しかしアグナルはその手を払い、気持ちよさそうに寝返りを打つ。

「……意地汚ねーよ、この叔父上(ひと)…。俺だって眠いんだっ」

 むーん、とうなるキオウ。

 その場でそのまま浮遊術を解いた。

 どさっ…!

「わっ!?」

 これにはさすがに飛び起きるアグナル。自分の腹上で正座している青年にギョッとし、口を開けて息を吸う。兵を呼ぶつもりだろう。

 すかさずキオウは術で声を封じた。

「騒がないでくれる? でないと俺、このまま子泣きジジイみたいに重くなってやる」

 かなりの本気であった。

 ふんわりと差し込む月明かり。その中でまともにキオウの顔を見たアグナルが目を見開く。…賊が兄と似た顔なのだ、当然の反応か。

 驚いたアグナルがキオウの脅しに「わかった」と応えようとし――声が出ないことを思い出したのか、慌てて何度も頷く。

 キオウはベッドの横へと降り、短く詠唱して声封じを解いた。

 アグナルは未だにポカンとキオウを見ている。…おそらく声が戻ったことにも気がついていない。

「…こんばんは。いい月の晩ですねー」

 キオウはとりあえず挨拶をしてみた――が、アグナルはまだ呆然としている。

 …さすがに心配になってきた。

「あの…ちょっと、大丈夫?」

「……あ、ああ…」

 自分の両手をしばらく見つめ、やがてゆっくりと手を握ったり開いたりを繰り返すアグナル。

「……私…は…?」

「………」

 ――…この凄まじいボンヤリさは、天然? それとも俺の術のせい?

 単に事態の適応が追いついていないだけ――とは思う。…が、普段と勝手が違うので不安になる。

「君は…、君は誰だ? 私は君を知らない。でも、君の顔はよく知っている…」

「えっと…その……。

 ――…んあ~…、もうダメだ。調子が狂う。助けてー…」

 煩悩に首を振り、キオウはお手上げとばかりにその場を退いた。

 すると――その体に隠れていた場所に、アゼルスが苦笑しつつ立っている。

「――もう選手交替かい? やれやれ」

「あ…兄上!? ご無事で…!」

 兄の姿に驚きと安堵を表すアグナル。対してアゼルスは「やぁ」と親しげに手をあげる。

「…えっ?」

 そこで改めて、キオウとアゼルスを何度も何度も交互に見るアグナル。

「兄上、わ…私は一体……? それに、この青年は…?」

「…」

 ――父はどのように自分を紹介するのだろう?

 キオウはわくわくしながらも、内心ではかなり緊張していた。

 そんなキオウの視線に気付いたのか。アゼルスは息子の肩にポンと手を置き、失笑する。

「アグナル。混乱しているところを、ますます混乱させて済まないがね――…。

 この子は、私の一人息子だよ」

「…はい!? あにうえッッッ!?!?」

「キオウ、適当に挨拶なさい」

 父の言葉に、キオウは素早くミスのない動きで裾をさばいて居住まいを正す。

 かつて父が自ら仕込んだ立ち振る舞いを、キオウは覚えていたのだ。

「――アゼルス前国王陛下が第一王子、キオウでございます。本年で21となります」

 ポカンと口を開けたまま硬直した叔父に、キオウはそれはそれは嫌みなほどに美しく洗練された動きで頭を下げた。

「以後、お見知りおきを――」

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