デスティニィ号にようこそ◇昼過ぎに
今日も快適な風が吹いている。
港に停泊中の船のデッキ。地図を広げたレイヴは、航海士カイに次の行き先を直談判していた。
「…レイヴ、諦めろ。運河を通るなど、内戦の流れ弾に当たりたいのか?」
「俺はどーしてもマロウ公国に行きたいんだよーっ。来月開催の菓子祭りにさぁっ」
「運河を使わず行く場合は、来月までに着くのは無理だ。諦めるか、キオウに頼め」
「連れて行ってくれ、って? 絶対に笑われる…」
「いつものことだろうが」
力なく机に突っ伏したレイヴと、そんなレイヴに小さく笑うカイ。その上を、さー…っと大きな影が横切った。
「買い出し終わったよー! 疲れたっ」
「おかえり、ラティ」
背中に翼が生えた少年は、レイヴから受け取ったコップの水を一気に飲み干した。それをぼんやりと眺め、昨夜キオウが言った「いろーんなのがいる」をふと思い出す。
確かにこの船、バラエティに富んでいるよなぁ…。
バターンッ! と開かれた厨房のドア。現れた人物は、集合の鐘をガランガランとけたたましく鳴らす。
「ほいほい、飯だよ~ん」
バラエティに富んだ仲間、その1。若干18歳でショウカ国の宮廷料理長を経験した若き天才料理人インパス・パティカ、31歳。
謎の失踪だと世間では騒がれているようだが、当の本人はこの船で料理三昧の日々をのほほんと楽しんでいるのであった。
「やっとメシの時間か」
カイがわずかに顔をほころばせ、インパスに続いて船内へ入る。
その名を知らない船乗りはいない、半ば伝説と化した天才航海士カイグス・カテライト。その彼がまだ30歳半ばだと知る者は少ない。
国家にすら引く手あまたの彼だが、今ではこのデスティニィ号だけのためにその知識と技術を存分に振るっている。
「ラティ、手を洗ってこい」
「は~い」
カイに素直な返事をしたラティは有翼人、つまり翼を持って産まれてきた。普通の人間からごく稀に生誕する有翼人。このレアな存在は誕生後すぐに神殿がしまい込むか、場合によっては見世物にされる。それを思えば、10歳のラティも苦労を経験したのだろうと推測できる。
「おーい、キーシ…! 昼飯だぞー!」
彼らの頭上、メインマストの見張り台。そこで気持ちよさそうに昼寝をしていた少女が、レイヴの呼びかけに返事を返した。
キーシは12歳ほどの少女だ。海で漂流していた所を奴隷商に拾われ、市に出されていた。その彼女を、キオウの直感で大枚叩いて救ったのだ。
記憶喪失になっているキーシ。キオウは記憶の回復を提案したが、記憶の有無に関係なく彼女はこの船にいると決めたらしい。
「はーい、食べて食べてー。今日のメニューは――…って、キオウは?」
テーブルに付いた仲間達の中にキオウの姿がないと、インパスがキョロキョロと見回した。そういえば、朝食にもいなかった。
「あっれー? 今日は全然見てないなぁ」
「俺、見てくるよ」
席を立つレイヴ。昨夜は夜更かしをしたので、まだ部屋で寝ているに違いない。
キオウは機嫌が良ければ資金稼ぎをしてくれる。昨夜はこの街の領主からの依頼で、夜な夜な旅人を恐怖に駆らせる幽霊の退治(?)をしてくれた。これで観光客が戻ってくると喜んだ領主は、なかなかの報酬をくれたのだ。
「キオウ―?」
コンコンとノックをするが応答がない。一言断り、レイヴは部屋に入る。
ベッドに沈没しているキオウがいる。だが――、それは昨夜のキオウではなかった。本来の、20歳の姿である。
適当に切った銀髪は長いもので肩につくほどで、肌も少しは日焼けの痕跡がある。
そして性格も…、それなりに違うのである。
レイヴは深呼吸して口を開く。
「…メシだけど、どうする? いるの?」
言いながら船室の窓を開けて新鮮な空気を入れると、布団に埋もれたキオウが少しだけ動いた。
「………あ?」
かすれた声。しかも寝起きで不機嫌な。
レイヴは水差しに手を伸ばしたが、その隣にいたソレを見て手を止める。
「おっ。まーくん、おはよ」
キオウのペットのまーくん。
キオウはコレを「マリモだ」と言い張るが、明らかに世間で知られているアレではない。第一、普通のマリモはこうして机の上を平然と転がったりはしないだろう。その正体は、キオウが創った魔法生物、らしい。
大きさは両手にジャストフィットするほど。そして、インパクトある目と口がある。両目は「にょ〜ん」とした糸目、口は常に逆三角形。…かなりのマヌケ面だ。故に、常人にはコレが何を考えているのかさっぱりとわからない。
キオウはこの愛犬ならぬ愛マリモをせっせと慈しんでいる。全身の毛、もとい藻を、きちんと短くカットしている。そのために触り心地は良い。
レイヴがよしよしと撫でたので、まーくんは気持ちがいいらしい。ゆらゆらと揺れて喜びを表している。それを見つつ、レイヴはコップに水を注いだ。
「ほい」
「…」
キオウはシーツに顔を擦りながら顔を向け、憂鬱そうに目を開けた。そして起き上がるとあぐらを組み、あくびをしながら頭の後ろを掻く。
「メシは?」
水を一口飲んだキオウはレイヴに気だるげな顔を向け、首を横に振った。
「あ、そう…」
レイヴがそう呟いている間にも、キオウはコップを空中に置いて再び布団に潜っていった。どうしてこんな魔力の無駄使いをするのかなぁと呆れつつ、レイヴは空中で静止しているコップを取る。
微かな寝息。見ると、キオウはすでに寝入ってしまったようだ。布団が平和に上下している。
レイヴはため息混じりに苦笑し、静かに部屋を出た。
「キオウは?」
食堂に戻ったレイヴにカイが尋ねてきた。
「寝る、だと」
「そうか」
やりとりが目に浮かぶのか、カイが笑った。
仲間達はレイヴを待たずに食べ始めていたので、食事を終えるとさっさと引き上げていく。冷たいもんだと思いつつ、インパスが洗い物をしている音を聞きながらレイヴは食べる。
ドアが開く音がした。
「あれ、キオウ。やっぱり食べるのー?」
皿を下げに来たインパスが少し驚いた声を出した。
まーくんを片手に、白い部屋着をだらしなく着ている賢者サマ。一応はレイヴの隣に座ったが…、まだまだ眠そうだ。
「キオウ、食うのー?」
「………あ?」
「メシ」
「…ああ」
インパスにも適当な返事をしている。
「なんで起きてきたんだよ? まだ寝――」
「…レイヴ」
「ん?」
キオウはまーくんを枕にし、テーブルに突っ伏している状態だ。キオウの皿を持ってきたインパスが「どいてちょーだいな」と置き場に困っている。
「…レイヴ、来る」
「何が?」
「ジーク」
唐突の予言。
だがそんな賢者サマにも慣れっこなので、レイヴは慌てず騒がず「そーかそーか」とエビ入りサラダをつついた。
「昨日の今日、だなぁ」
「…あ」
料理の匂いに顔を上げたキオウが、またもや何かをキャッチしたようだ。
「今度は何?」
「………」
「え、なに? 声が小さいよ」
「いっぱい」
…さすがにそれだけではわからない。
レイヴは苦笑し、辛抱強く尋ねる。
「だから、何が」
「けーかん」
けー…警官?
「うわ、ジークを追いかけてるの?」
「そう」
「その流れだと、この船に匿う気?」
「んあ?」
「それはヤバいだろー…。どーすんの」
「んー…」
「賢者サマ?」
「あー…」
「ほらほら、脳みそ起こしてちょーだいよ」
はぁ…、とため息をつく賢者サマ。片手でがしがしと頭を掻き、嫌そうな顔をする。
「ったく…、行きゃあいいんだろ。行きゃあ」
「――…あっれー? いらないのー?」
キオウの料理を運んで来たインパスと入れ違いにキオウは出て行った。
困り顔のインパスにレイヴが説明すると「いつメシにするんだろーなぁ」とぼやき、インパスは皿と置き去りにされたまーくんを厨房に下げていく。
レイヴが甲板に出ると、キオウが皆の召集をかけているところだった。
「船に警官が来たら面倒だしなぁ…。カイ、今すぐ船出して。んで、南の入り江まで来て。ラティは俺と来い。レイヴもな」
「キオウさん、あたしは見張り台にいるね。ほらほらラティ、連れてって」
「はいはい、ボクね」
「キオウ! 何か必要なものは?」
出航準備にかかりながら叫ぶレイヴ。その声はざわめきで消えたかもしれないが、そんな障害などキオウには関係ない。
「鉤縄持ってこい。お前の商売道具だろ」
「あいよ」
「なんだかドキドキするなぁ~。ひゃっほーう!」
キーシを見張り台まで運んだラティが、クルクルとアクロバット飛行をしている。久々のイベント事でワクワクが止まらないらしい。
「降りてこい! それとも、自力で来るかよ?」
「あ、待って待ってーッ。自力はいやーッ!」
「レイヴ、まだかー? 自力がいいなら止めねーぞッ?」
「はいはい、今行くー」
トレジャーハンター必須アイテムの鉤縄を抱え、レイヴは船室から飛び出す。
キオウが空中から取り出した杖を掲げた。突然として薄暗くなる周囲。
キオウを中心に、さぁ…っ、と魔法陣が広がった。
緻密に組まれた術式。白き文様。緑色の光。風が術者の銀髪や白い部屋着をはためかす。幻想的な光景…!
ラティとレイヴが魔法陣に入る。
光がギュッと凝縮し――。
刹那。彼らは時空を越えた。
宙をキラキラと煌めく名残の光。
「うーん、いつ見ても綺麗だねぇ」
厨房の窓から顔を出し、おたまを片手にのほほんと呟く料理人。
カイは口元にうっすらと笑みを浮かべ、キオウ達が消えた空間をしばらく眺めていた。