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記憶の中にいる人◇本当の再会

 星空が広がる甲板。そこに賢者の姿を見つけ、アゼルスはそちらに足を向けた。

 空には一面の星が瞬いている。夜空を見上げていたキオウは、こちらへと歩み寄る人物に気がつき、小さくぎこちない会釈をする。

 アゼルスはキオウの隣で空を見上げた。

 月が見える。

「下弦の月、だね」

「…ああ」

「――…話したことはあったかな? お前が産まれた夜も、綺麗な三日月が浮かんでいたよ」

「………」

 キオウは隣を少しだけ見た。アゼルスは夜空を見上げたままだ。

 それでも――、その表情はとても穏やかで優しかった…。

「…そう」

「ああ。雲がない夜でね、星も月もくっきりとしていた――」



「………」

「――あれ? カイ、何してんの? 不審者みたいだよ」

「…レイヴか。驚いた」

「あ…、この場面は一体なんですか? ちょっとカイ…まさか……えっと…、本当の本当にマジだったの?」

「それは――」

「――…ん? カイとレイヴ?」

「げっ、よりによってインパス…」

「何をし………」

「…って、お前どこ行くの!?」

「…皆を起こす!」

「はぁ!? おまッ、それはやりす――!」

「レイヴ、黙れ」

「ハイごめんなさい静かにします」



「キオウ…、頼みがあるんだ」

「…え?」

 キオウを見つめる碧い瞳。

 そこに宿る…悲しげな光。

「な、なに?」

「…明日、私をショウカに帰してくれるかい?」

 キオウは唇を噛んでうつむいた。

「…何故?」

「私は…、ここにいてはいけないよ。

 ここは、お前の大切な場所だから…」

 甲板を風が吹き抜けた。

 風は父子の髪を撫で、広い海を駆けていく――。

「キオウ…」

 アゼルスはとても大切にその名を呼ぶ。

「私を、恨んでいるだろう…?」

「え…?」

 予想していなかった言葉にキオウは顔をあげた。

 真剣な瞳がまっすぐと自分を捉えている。

 ――…俺、は…。

「…恨んでない」

「…。キオウ…」

「恨む必要なんて、どこにある…?」

 あなたも被害者なのに――。

 アゼルスは自分と同じ碧い瞳をじっと見つめる。

「お前はやはり…、キオウ、なんだね?」

 問い掛けるアゼルスは、すがりつくような眼差しをしていた。不安と孤独――そして言葉では表せないほどの罪悪感が、その瞳には宿っていた。

 とても必死な眼差しで…、少しでもキオウの姿を焼きつけようとしているかのようだった。

 ――…キオウはその視線をまっすぐと受けとめた。



「お、おい押すなっ。いてっ…! 足を踏んだのは誰――って、まーくんか…」

「しーっ! ジーク、声がデカいよっ」

「あ~…、やっぱり父子なんだ~」

「インパス…、花嫁の父親みてぇなその涙の滝はなんだよ。てか、わざわざ俺らを起こしやがって…ったく」

「キオウさん、なんて答えるのかなぁ」

「うん…、キオウさぁん…」

「………」

「ありゃ? カイは何故ダンマリなの?」

「…お前達、さっぱり何も考えていないだろう?」

「何も、って…――なぁ?」

「うーん…」

〈まも~~~~~ん〉

「ええっ? ま、まーくんが鳴いたっ」

「げっ! コイツ鳴くのかよ!?」

「週に1度しか鳴かず、飼い主以外がその鳴き声を聞く確率は半年に1度程度の、あああのまーくんがッ」

「うるさい! しー…っ!!」



「――…この前さ、ジャフレに会った」

「え?」

 ジャフレ。

 それは、あの屋敷で最も長くアゼルスに仕えている執事の名前だった。

「俺に会ったという記憶は消してきたけど…、いろんな昔話をしたよ」

「…そう」

 優しくなごむアゼルスの目。

 その優しい眼差しに、キオウは慌てて喋り続ける。

「うー…あー……その~………。

 あっ、ジャフレ(じい)は相変わらず立派なヒゲだったなぁ。庭のバラも綺麗に咲いていたし、それに――」

「…やはり、痕が残ったね」

 アゼルスは静かに伸ばした指先で、息子の喉元をそっと撫でた。それは、あの災厄の――。

 …キオウは、ゆっくりと口を閉ざす。

 この傷跡も、体中にあった地獄の痕跡も、師匠がすべて癒やし消してくれた。だから喉元のそれも、凝視でもされない限りは目につくものではないのに…。

 複雑な思いのまま見ると…、父はこちらの胸が痛むほどの罪悪感と愛情に満ちあふれた優しい顔をしていた。

「キオウや…、本当に大きくなったな…」

「…父上は少し、老けたね」

 我が子の軽口に、アゼルスは小さく吹く。

「おや、厳しいことを言うね。酷いなぁ。んん?」

 大きな手で頭を撫でられ、キオウはその心地よさとぬくもりと懐かしさと照れで口元をほころばせた。アゼルスもまた、そんな我が子の姿に昔の面影を見いだして笑みをこぼす。

 今にも泣きそうなほどに、慈愛に満ちた笑顔だった。

「それで、ジャフレとはどんな話をしたんだい?」

「んー…、いろいろだよ。

 そうだ、父上。俺の部屋、昔のままにしてくれてたんだね。懐かしかった…。でもさ、壁の落書きは消してもよかったのに。恥ずかしいよ。

 ジャフレ(じい)に『坊ちゃんはいたずらっ子でしたなぁ』って笑われたよ。屋敷中の壁に落書きしたり、ジャフレ(じい)のヒゲを三つ編みにしたり、冬場に噴水へ入って風邪をひいたり、よじ登った庭の木から降りられなくなったり…。

 バラの花壇に突っ込んだときの話もされたよ。『坊ちゃんは全身トゲだらけで大泣き! 花壇から助け出すのが大変でしたなぁ』ってさ。ひでぇよなぁ。

 それから――――…えっ? 父上?」

 涙が――。

 アゼルスの右目から、一筋の涙が流れた。

「あ…、嫌だな…。どうして泣いているんだろうね…」

「父上…」

「お前に会えたら笑顔でいよう、そう決めていたのに」

「…父上…」

「ごめんな、止まらないよ…」

 ――…なんてあたたかい波動なんだろう…。

 父の無償の優しさが伝わってきて、くすぐったい気持ちになった。

 だが…、その波動がだんだんと悲しいものになってきて…。

「――…キオウ…」

「父上、なに?」

「…何故、出ていった?」


 ――キオウの思考が、止まった。


「お前は…、自分の意思でいなくなったんだろう…? 私のせいなんだろう?

 私はお前を傷つけ、殺そうとした。だから…ッ!!」

「………」

 ――違う、と言えば父は救われるだろうか?

 だが、それでは…。

 キオウは一瞬ためらい…、それでも口を開く。

「………そうだよ」

 ――告げられた言葉に、かたく噛みしめられる唇。

「…俺は、怖かった。父上もジャフレも他の皆も…怖かった。どんなに優しくされても、生きてくれと言われても…、どうしたらいいのかわからなかった。

 死にたい、と思った。でも…、このまま屋敷にいても死ねないし、父上も皆も絶対に俺を死なせてはくれない。だから――――…え……?」

 たまらなくなってグイと我が子の手を引いたアゼルス。その体をしっかりと抱きしめ――…嗚咽をあげた。

「そうだよな…、怖かったよな…。どうすればいいのか、わからなかったよな…。

 ごめんな、キオウ…。本当に…本当に…、ごめんな……」

 ――キオウは自分の目頭が熱くなるのを感じた。

 馬鹿…、なんで俺が泣くんだよ!?

 ほら、言えよ! 父上が謝る必要なんてない、って…!

 力強く抱きしめられて、その腕にしめられた体が痛い。

 だが…、それがなんだというのだろう。父の愛情の強さと――…不安の証だ。

 力を抜けば、またこの子を失ってしまうのでは――と。


 ――…父の肩に顔を押しつけて、キオウは父の背をさすり続けた…。


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