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賢者サマのおふね◇キオウのこと  作者: 神代きい


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記憶の中にいる人◇あのこと

※若干残酷な描写が含まれています。

「俺が生まれ育った場所は王都の外れにある――…父上個人が王子時代から所有している屋敷だ。

 …カイは先々代王のことは知っているか?」

「――残虐王、か」


 残虐王と呼ばれたアゼルスの父。その治世で民の1/4が犠牲になったと言われている。

 犠牲となったのは民だけではない。残虐王は自分の兄弟や子供達――アゼルスの兄弟達も多く殺した。アゼルス自身も命を狙われた経験が何度もある。

 幼少期に焼き付いた残酷で血生臭い記憶。その影響からか、アゼルスは大切な我が子を隠した。


「俺の母上も本来なら殺されたはずの人間だった。母上が14歳の頃に実家――男爵家だか子爵家だかなんだけど、王命に背いて全員死罪になった。そのとき連行した連中がアバウトでさ、隠れていた母上を見逃したらしい。路頭に迷っていた母上を、父上が屋敷に匿ったんだ。

 母上が逝ったのは先代が没して父上が即位した翌年、俺が3歳くらいの頃。もともと体が弱かったんだって…」


 アゼルスにとって心の底から本当に信用できる人間は、長い時間を掛けて信頼を勝ち取ってきた屋敷の者達だった。

 その彼らをキオウの周囲に置き、アゼルス自身も私的な時間全てを屋敷で過ごした。


「父上は屋敷では王とは思えない人なんだよ。雑用もこなすし、使用人にはめちゃくちゃフレンドリーだし。悪ガキがするようなくだらない遊びもフツーにやってさ、よく俺と泥だらけになったりして、よく一緒に執事(じい)に怒られたよ」


 父王が破壊した国を己の心身を犠牲にする勢いで立て直し支えるアゼルスは、キオウの存在で救われていた。キオウも父が大好きだった。アゼルスが屋敷にいる間はずっとずっと父にくっついて甘えていた。


「父上は激務の合間のほんのわずかな空き時間でも、馬をかっ飛ばして帰って来てくれてさ。俺と遊んでくれたり、勉強や作法を教えてくれたり、一緒にメシ食ったり風呂に入ったり…」


 父子は共に過ごせる時間の全てを大切にした。父のまっすぐな愛情を受け、キオウの心もまっすぐと伸びていく。

 わかり合えるからこそ、父子はとても幸せだった。


「…このペンダント、父上も同じのを持っているんだ。離れていても一緒なんだって、そう想えて…、寂しいときも我慢できた」

「…大好きだったんだな。父親のことが」

「………」



 ――…王宮内でアゼルスの周囲を女がつきまとうようになったのは、キオウが8歳になったばかりの頃だった。

 最初アゼルスはその女を疎ましく感じていたのだが…、いつしか女が侍るのを受け入れていた。


 ――それが魔術の心得を持つ女の暗示のためだとは知らずに。


 アゼルスは当然キオウの存在を女に知られまいとした。だが、王子の頃から私的な時間の全てを外出に使うアゼルスに疑問を感じている者も少なくなく、城外に愛人がいるのでは、と噂されていた。女は真相を知るためにアゼルスをつけた。

 キオウの存在を知った女は言った。


『貴方の大切な坊やの面倒を、私がみてもよろしいでしょうか…?』


 ――暗示がなければ、アゼルスは速攻で拒否していただろう。それどころか、王たる自分を尾行した女をすぐに罰していただろう。

 だが…、悲しいことにそれらは仮定に過ぎない。

 暗示を受けたアゼルスは、この問い掛けに嬉々と頷くことしか許されなかったのだから。



 キオウは女に懐かなかった。賢者として覚醒はしていなかったとはいえ、女が纏う陰湿な魔力を敏感に感じ取っていたのだろう。


「…とにかく嫌な感じがしたんだ」


 キオウは父に、あの女の人は嫌だ、と泣きついた。

 父が受けた暗示の前では、それは全くの無力だったのに…。

 アゼルスは我が子の言葉を完全に聞き入れなかった。それどころか、この大切な屋敷に訪れる理由さえ変わっていたのだ。

 息子ではなく女と逢うために――、と。

 …幼く無力なキオウは、ただ膝を抱えて泣くしかなかった。



 女はキオウを虐待した。

 キオウの体にできた痣や怪我が目に映らないように、キオウの助けを求める悲鳴が聞こえないように――。そのように暗示をされた屋敷の人間達は、虐待の事実に気がつかなかった。

 そして女はアゼルスがキオウを疎むように仕向け――…、キオウはこの世界で一番大好きで大切な父にまで暴力を振るわれるようになった。


「――…カイと初めて会ったとき、アザとかいろいろあっただろ?

 あれさ…、ほとんどが父上がやった痕だったんだよ…」

「……キオウ…」

「逃げ回る俺を見て、追いかける父上を見て、あの女はケラケラ笑っていやがるんだ。動けなくなって自由に泣く力もなくて転がってる俺を蹴り起こして、父上とのキスを俺に見せつけやがるんだ…」


 アゼルスは屋敷では息子を憎く邪魔だと感じ、城では昔同様に愛おしいと感じていた。すなわち、屋敷での記憶を完全にすり替えられていたのだ。

 もし、わずかでもその記憶があれば…。

 アゼルスは間違いなく息子を救っていたことだろう。そして、女を厳しく処断しただろう。女がやっていることは――、すでに極刑では生ぬるいものだったのだから。

 だが…、悲しいことにそれらは仮定に過ぎない。

 アゼルスは、完全に暗示に支配されていたのだから。

 ――…孤立したキオウにゆるされたのは、ただ力なくひとりで泣くことだけだった。



 キオウを嬲ることに飽いたのか、女は暗示によってアゼルスがキオウを殺すように仕向けた。

 その細く脆い喉に短剣を入れることに、アゼルスは躊躇しなかった。


「…怖いと思わなかった。逆に嬉しかったんだ。だから俺は、こう言った。

 ――…殺してくれてありがとう、って」


 そんな絶望から死を望むキオウの誤った感謝の言葉にも、暗示の元ではアゼルスは何も感じなかった。

 …次の瞬間までは。


 ――その噴き出した見事な赤に、アゼルスは一瞬で正気に戻った。


 反射的に手を伸ばし、傷口を必死に塞いだ。何度も何度も最愛の我が子の名を叫んだ。力なくぐったりとしたぼろぼろの小さな体を抱きしめ、死なないでくれと喉が裂けんばかりに叫び続けた。

 そのあまりの絶望と悲しみに満ちた悲鳴は、屋敷中の人間の暗示を解いた…。



 侍医が我が子の命を繋ぎとめようとする光景を――…アゼルスは息子の血に染まった服を纏ったまま、ただ茫然と見つめていた。

 ふと見下ろした自分の両手には、キオウの血がべったりとついている。そのぬめりが、臭いが、そして喉を斬ったあの感触が、アゼルスの体を暗く震わせた。


 ――…なんということをしてしまったのだろう…。



 女は、姿を消した。



 …キオウが助かったことは奇跡だった。

 人形のように力なく静かに横たわる我が子の頬を撫で、アゼルスは胸が張り裂けんばかりの痛みを感じた。


 ――キオウの目には、感情がなかった。


 天井を見上げるそのうつろな目を見つめ、あのキラキラと輝いていたキオウの目を想い…、アゼルスは骨を感じるその小さな体を愛情深く抱きしめた。

 キオウは何も口にしようとしなかった。匙で口に入れても、どのように促しても、決して飲み込もうとはしなかった。

 ――それは、弱っているためでも、喉の傷のせいでも、なかった。

 万が一誤って肺に入れば肺炎を起こし、衰弱したこの子は命を落としかねない。…本来この子が嚥下し命の源となるはずだった粥を、アゼルスも執事達も身を裂く想いで口から取り出すしかなかった。

 …侍医はアゼルスに言った。


『旦那様は、若様の心を開くことだけに努めて下さい』


 優しく声をかけ、手や髪を愛情を込めて撫でた。すっかりと軽くなったその体を抱いて庭の散策をした。本もたくさん読み聞かせた。屋敷にいる間は辛く汚い世話もすべて行なった。

 キオウが生まれてきた感謝を、今キオウが生きていてくれる感謝を、生きることで得られる希望を、アゼルスは心の底から何度も何度も何度も繰り返した。自分ができるかぎりのことをし続けた。

 キオウはアゼルスの全てなのだから…。


「――…けれど、俺はわからなくなっていた…」


 何故父が自分に優しくするのか。何故自分を殴り蹴り突き放そうとしないのか。

 ――奥底にまで堕ちたキオウは、自分が生きている意味も、あの日々と今では根底から変わったのだということも、何もかもが理解できなかったのだ…。



 ショウカは島国。そのために他国への外遊は日数がかかるものとなる。

 アゼルスは最低でも2ヵ月は我が子と会えなくなることになった。

 とてつもない不安に苛まれながら、アゼルスは旅路についた。



 ――…父がいない日々。

 その間も続く、死への渇望…。


「…死にたくて仕方がなかった。

 あの窓から飛び降りれば死ねるかな。あの鏡や皿を割れば、喉や心臓を貫く凶器が作れるかな。…そんなことばかりを考えていた。

 けれど、自分では体を起こすことができないくらいに弱っていて…」


 未だ賢者として覚醒していないキオウ。

 だが、その死への強い渇望が――…死神を召喚した。


「絵本で見たのと同じ黒い格好で、吸い込まれるような漆黒の大鎌を持っていて…。すぐに死神だってわかった」


 意外なことに、死神はまだ若い青年の姿をしていた。

 死神は、どこまでも美しかった。

 被った黒い布から覗く長い銀髪が綺麗だった。双眸も美しい銀だった。


「…この死神(ひと)だけが俺の唯一の味方だった。俺は死神にしがみついて、自分の死を願った。わんわん泣いて、自分に呪詛の言葉を吐いた」


 死を望む自分に――必死に黒い布にしがみついて懇願する自分に、死神は声も出さず、笑いもせず、ただ静かに鎌を振り上げた。

 明らかに軌道上に自分を捉えている鎌を見て、ようやくの安堵をおぼえた。胸に幸せな気持ちが広がっていく中、嬉しさに笑みを浮かべて目を閉じた。


「…けど、死神(ドゥ)は俺の命を狩り取らなかった」


 ――その日、キオウは屋敷から忽然と姿を消した。



 …幸せな記憶が詰まった屋敷に、忌まわしい記憶が残る屋敷に、最愛の我が子が消えた屋敷に――…アゼルスは帰り続けた。

 息子は死んだとも誘拐されたとも思わなかった。あの子は自らの意志で姿を消し、そして今も生きている。

 ――不思議なことに、そう確信していた。

 しかし…、それまでキオウを支えに半ば強制的に王として立ち続けていたアゼルスは、やがて自身の限界を感じた。そのために王位を退き、城からも退き、屋敷に身を置いた。


 ――…キオウが帰る日を信じて。



 キオウの行方は誰も知らなかった。

 なにせ――…死神からも見放されたと誤解し追い詰められたキオウは、無意識にチカラを使い、遠く離れた異国の地へと………逃げたのだから。


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