記憶の中にいる人◇キオウとカイ
幼い頃から親しんでいるカイの部屋。キオウはこの部屋が大好きだった。
「久しぶりに入ったなぁ、カイの部屋」
「昔は一緒に寝たりもしたな」
キオウは「そうだったな」と懐かしそうに室内を見回す。
「あの頃は俺もまだ可愛げがあったのになぁ」
「仕掛けにかかったタコの墨を顔面に食らって大泣きしたり、な」
「…あったな」
「ちなみに、その日の夕飯にそのタコが並んでいたことは?」
「…。残酷に思えてきた」
口をへの字にして机に寄りかかるキオウにカイは小さく笑う。
「んで、それで? カイがわざわざ俺だけに話したいことって?」
軽い口調で言いつつカイと向き直ると――、カイはなんとも複雑で真剣な表情をしていた。
予想外なその様子にキオウは少したじろぐ。
「――単刀直入に言おうか。
お前はアゼルスの子供なんだろう?」
真剣な低い声音で問われ――、キオウは数回まばたき、声を出して笑った。
カイまでそれを言うのか、と。
「なんだよ、インパスに感化されたのか?」
「キオウ…、俺は本気で訊いている」
「ああ、俺にはわかる。カイはかなりマジだ。うん。
言いたいことはそれだけ? なら、俺はもう行――」
「キオウ」
退室を許さぬ強い口調。キオウの顔から笑みがスッ…と消える。
窓から潮風が入り、壁に貼られた地図をふわりと煽った。
風に前髪を揺らし、キオウは口を開く。
「…俺に親はいない。昔そう言っただろ?」
「ああ。俺にも親はいない」
「おい…」
顔をしかめるキオウに、カイは淡々と続ける。
「俺の親は3歳の俺を売った。顔も生死も知らん。だが、俺はそれで構わん」
「カイ」
「俺は航海士であるカテライト家の夫婦に買われ、航海士の知識を得た。
俺がキュクの無人港でお前と出会ったとき、お前は9歳だった。キュクの人間に銀髪はいない。お前はどこの生まれだ?
――お前の気持ちを想いこれまで訊かなかったがな…、お前がアゼルスの子ではないと言うのなら、答えてくれ」
重々しい口調にキオウは動きを止め――…。
そして、静かに首を横に振った。
「…俺はあの人の子じゃない」
「キオウ」
キオウはベッドにドサッと乱暴に座り、両手の指を落ち着きなく這わす。
まっすぐと床を見据え、重いため息。
「あの人――アゼルス閣下には王子も姫もいない。知っているだろ?」
「表向きにはな。
――そうだろう? お前は城の外に隠されてきた。だから」
「…違う」
「これ以上苦しめるな。アゼルス――お前の父親を」
「違うッ!」
怒声の瞬間に乱暴な風。無意識に魔力を使っている。
――…それは、キオウが動揺している証。
カイはキオウの目をまっすぐと見つめた。
「俺と初めて会ったとき――…お前はぼろぼろで、瀕死の状態だったな。風雨にさらされた衣類は役に立たず、痩せて、傷だらけで――…体中に虐待の痕があった。喉の傷痕は明らかな殺意によってのものだった。
だから俺は、お前に出自を訊かなかった」
「………」
「なぁキオウ…、何故お前はアゼルスが来てから一度も幼い姿に戻らない?」
――ハッ、と見開くキオウの目。動揺の色。
「アゼルスが知るに近い姿を見れば記憶が戻ってしまう。――お前はそう思ったんだろう?
なぁキオウ…、俺は思い出したんだよ」
――カイは、最後の切り札に出た。
「初めて会ったあのとき、お前が着ていた服の襟元に――…小さくショウカ王家の紋章が入っていたことをな」
キオウの目が、大きく見開かれた。
――…何故だ? 何故…、術が、解けた…?
「本物の紋章などではなく、ただの飾りの刺繍だろう。最初は俺もそう思った。
だが…、何故キュクのような国に銀髪の子供がいるのか、そして何故この子供はこの状態となったのか。…疑問だらけで、刺繍のことも内心では無視が出来なかった。
あの無人港からお前を保護したはいいが…、お前は相変わらずダンマリで、飲食も拒んだ。手当てした傷を自分で抉ったりもしたな。身投げに刃物に…、自殺未遂を何度止めたか。
この正体不明の自虐坊主を俺は助けてやれるのか…、本当に悩んだ」
「………」
「故郷クティに古の賢者がいる、という噂を思い出した俺は、クティへと船首を向けた。航海の間、お前は完全に絶飲食。
――クティの海域に入った瞬間にセルディン殿が魔法で現れたとき、俺は本当に安堵した。…この坊主を餓死させずにすんだと」
「……カイ…」
「セルディン殿がお前を弟子に迎え、師の元でお前は必要最低限の魔力の制御法を身につけた。約2年でな。立派だよ。
そして2年後、俺の前にセルディン殿がお前を連れて現れた。…目を疑ったな。ぼろぼろだったあの坊主が、小さな賢者になっている。生きることを拒否したあの坊主が、活きた目で俺を見ている。…お前が今を生きていることが、俺は何よりも一番嬉しかった。
だから迷わなかった。セルディン殿に、弟子を託す、と言われてもな。
そして――…お前と暮らし始めた時期と同じくして、俺はあの刺繍のことを忘れた」
――お前が、忘れさせたんだろう…?
カイは小さく囁くように言った。
「………」
――…そうか…、あのピエロのときだ。弱っていたあのときに暗示の力が弱まって…。
だからインパスも、あの人の顔を思い出して――…。
「キオウ。
――俺に、話してくれ」
「……お…俺は違う」
「なら、あの紋章はどう説明する?」
キオウは動揺し焦り狭まる頭で必死に言い訳を考えたが…、思い浮かぶ言葉がない。
「…俺はお前の父親代わりになろうとしてきた。お前に頼りにされることが、お前の役に立つことが嬉しかった。それは今もこれからも同じだ。
――待つからな」
そう言い、カイは口を閉ざす。…本人から答えを聞くために。
――…時が、過ぎていく。
カイは何も言わなかった。キオウは何も言えなかった。
何かを言おうと口を開いても、言葉がついてこなかった…。
――やがて、夕刻になる。
室内が夕日の色に染まり、ふたりを優しく包んでいく。
キオウは唇を噛み締めて両肘を抱えたまま、ただじっと床の一点を見つめていた。
カイはキオウが声を発してくれることをただじっと待った。
「………俺は…」
「ん?」
優しく先を促すカイ。
キオウは――…、父親譲りの碧い目をカイに向けた。
すがりつくような目だった。
「――…俺は…何がしたいんだろう…?」
「キオウ?」
「俺は……」
そこまで言い――、キオウは何かをこらえるように唇を噛んで天井を見た。
その目はまるで、迷い子のようで…。
「…アゼルスの記憶喪失、あれはお前の仕業だな? 俺と同じように、記憶を封じた」
――うつむくキオウ。
そして…、小さく小さく頷く。
カイはキオウに必死な目を向けた。
「お前、どうしてそんなことを…」
「わからない…ッ。俺だってわからないんだよ…ッ!
――俺だって…、俺だって…こんな……っ」
頭を抱え、ギュッと目をつむるキオウ。
そんな養い子を、カイは優しく見つめる。
「…キオウ。12年前、何故お前はキュクにいた? ショウカから遠く離れた偏狭の地に、何故…?」
「逃げたんだよッ!!」
キオウは声のかぎりに叫んだ。
そして――、カイはもちろん、叫んだ本人すらその悲鳴のような叫びに驚く。
…キオウは静かにうなだれた。
「――…そう…、俺は逃げた…。逃げたんだよ……」
「…何があったのか、俺に話してくれないか?」
「………」
――カイになら、話せる。
キオウはそう思った…。




