デスティニィ号にようこそ◇財布を盗られた夜
「………きゃあ?」
深夜の森。ジークは寝ぼけ眼でむっくりと起き上がった。
なんか今、耳障りなほどに甲高い女の悲鳴が聞こえたよーな…?
そのままの姿勢で耳をすましてみるが…、聞こえるのは虫やカエルの鳴き声程度だ。
夢でもみたのか…?
「ん~………あ」
伸びをしつつふと見たのは、すぐ脇に置いていた自分の鞄。
その口が何故か、ビミョーに開いている。
「………」
無言のまま、中を見ると――。
………………ない。
「おい嘘だろ俺の全財産ッ!? ええいッ、出てきやがれこの盗人があああぁぁッ!!」
なんてこったッ! まさかこの自分が盗みに遭うとは!
はっきりと醒めた頭に、またあの悲鳴が聞こえてきた。
「だぁぁッ、ったくなんだよッ!?」
泥棒への怒りと目覚めの悪さで、ジークはとてつもなく不機嫌であった。愛剣を素早くひっつかみ、悲鳴が聞こえた方向へ駆け出す。
こうなったら、この悲鳴の主から金をふんだくってやる! 追い剥ぎだか狼だか何だかは知らんが、助けて礼金をぶん取ってやるッ!
茂みをかき分け、倒木を飛び越え、ジークは一路カモの元へとダッシュする。
前方の木々の間で、何かがぼぅ…っと光っていた。
青白い光がふよふよと――。
…おい待て。そんなモン、自然界にそう簡単には存在しないだろ?
「…」
なんとなく速度を落として忍び足で近寄るジーク。そー…っと木の陰から様子を窺う。
――…おい…、幽霊かよ?
地面から少し浮かび青白く発光する女。祟る気マンマンなギロリとした目。そのすぐ傍の地面には、失神した黒装束の女。おそらくはあの悲鳴の主だろう。
女幽霊は足元の女でもジークでもない別の方向を睨んでいる。ジークもそちらに視線を移した。
サラサラな布地の長布を纏った少年が立っている。10歳程だろうか。軽く結わえた綺麗な銀髪が、水色の光沢を放つローブに揺れている。
おっとりと小首を傾げ、幽霊の視線にもまったく動じていない。
「こんばんは~。いい月の晩ですね~」
なんと少年が幽霊に挨拶をした。ジークは思わずギョッとする。
幽霊は長い黒髪の間からギロリと目を光らせた。これはかなり怖い。井戸から這い出てきそうな形相である。
しかし、対峙する少年はおっとりとしたままだ。
「そんなにギロギロしていたら、誰だってビックリして気絶しちゃうよ。少しニッコリ笑ってみないとダメですよ~?」
なんだこのガキ…、とジークは思った。
幽霊は少年の言葉にますます白目をひん剥いている。それじゃあダメだよ…、と残念そうに首を振る少年。
「おねーさんは美人さんだけど、それじゃあ男の人はみんな逃げちゃうよ。それに、人をビックリさせるのもダメ。早く冥界に還ったら?」
なんなんだこのガキ…、ジークの破顔が止まらない。
「還る気なら僕が送るよー。どーするー?」
おっとり小首を傾げて訊く少年。
――と。
ずざざざざざざッ!
突如として幽霊が凄まじい形相で少年へと向かっていった!
少年が、あちゃー…、とこめかみを掻く。
「んーそっかー、嫌かー。
でもさぁ――…還ってもらわないと、僕だって困るんだよねぇ」
「――っ!」
ジークは思わず目を見張った。
女幽霊の真下に魔法陣が広がったのだ。
緑色の光が描く不思議な言葉と紋様。神と精霊の名と光の力。奇跡の光景…!
その光が女を優しく包み――。
「ばいば~い」
女は消えた。
幽霊の光と魔法陣の光が消え、辺りは一瞬で夜の闇に戻る。
「………」
開いた口が塞がらないジーク。今見た光景がまだ信じられない。
なんだ、今の…?
ジークが呆然とする中、パチンッと指を鳴らす少年。ふんわりと不思議な明るさに包まれる周囲。
少年は倒れている女に近寄り、身を屈めてのぞき込んでいる。
「おねーさーん、大丈夫ですかー?」
少年が女をひっくり返した。じゃりっ、という音が聞こえ、見覚えのある袋が地面へと落ちる。
「…って、俺の全財産ッ!?」
ジークはつい叫んだ。
きょとんと顔を上げた少年と、バッチリ目が合う。
「…あっれぇ? こんばんは~。いい月の晩ですね~」
「化けモンにしたのと同じ文句で挨拶すんなッ」
陰から飛び出したジークは、少年にズカズカと接近した。
「そいつを寄越せ! 俺のモンだ!」
「でも、このおねーさんのポッケから出てきたよ?」
「元々は俺のモンだッ!」
「でも、ちゃんと話し合った方が」
「必要ねぇッ!!」
少年の手から金貨が詰まった袋を奪還し、ジークは嬉しさのあまりに飛び跳ねた。
「うしッ! 俺の全財産~ッ!」
「おにーさん?」
「お前にゃ関係ねーよ」
へへっと笑い、ジークは踵を返す。
「――お兄さん、人を殺したんだ?」
少年の声が背後で聞こえた。
「可愛い女の子…、4歳だってさ。人に頼まれたからって、殺しちゃダメだよ」
「なに…?」
ジークは足を止め、振り返る。
「それで、それがその報酬なの? 金貨50枚は魅力的かもしれないけど、人の命はお金とは天秤にかけられないよ?」
「な…にを言ってんだよ、このガキッ!」
ジークはキッと睨んだが、少年は怯むことなく穏やかに首を傾げている。
「そこの街のお金持ちの依頼、かぁ。独身だと信じた愛人に家庭があったからその子供を殺せ――、めちゃくちゃな言いがかりだね。
それで、お兄さんは納得しているの?」
「デタラメを言いやがって…!」
「僕は事実を言っているだ…け……?
あれ…? うわー、お兄さんはいっぱい殺してきたんだねー」
「!?」
「だって、後ろにいっぱいいるもん。みんなとっても怒ってる。このままだと、今度はお兄さんがこの人達に殺されちゃうよ?」
思わず、ガバッ! と振り返るジーク。だが、もちろんそこには誰もいない。
ジークは引きつった笑みを浮かべる。
…冷や汗がハンパねぇ…。
「わ、笑わせるな。誰がそんな」
「人の憎悪ほど恐ろしいものはないよ」
視線を正面に戻すと、少年は気絶している女の上で何やら空書をしていた。
「ビックリさせてごめんなさい。もうこの森にあの幽霊さんはいないよ。だから安心して、この森を通ってくださいね」
「…何してんだよ?」
「恐怖の記憶を和らげているんだ。今回遭ったこの恐怖は、本来この人は経験しなかったモノだから」
「はぁ?」
何者だ、このガキ…?
少年はローブの裾に付いた砂を払いながら立ち上がった。
「それで、お兄さんは早死にしたい?」
「は?」
「したくないの?」
「なんだよそれ」
「だから、このままだと憑り殺されちゃうよ?」
「はんッ。誰が」
「祓ってあげようか?」
「な――」
少年がいつジークの隣に移動したのかはわからない。
気がつくと、少年はジークの左腕を叩いてニコッと笑っていたのだ。
「はい。もう大丈夫」
「何を――」
ジークは言いかけ、口を閉ざす。
…少年の手が離れた瞬間、最近続いていた体のだるさが急になくなった気がしたのだ。
――ジークは改めて少年を観察した。
腰まである銀髪を緩く束ね、美しい水色の光沢を放つローブを纏っている。瞳の色は碧、肌はまるでビスクドール。そして、左手には先端がくるんと内巻きの杖。
「…魔術師か?」
「ううん」
少年は笑った。
「賢者だよ」
「け」
けんじゃ…――賢者だと!?
この、すっとぼけたガキんちょが!?
「青柳の賢者、キオウだよ」
「…賢者、ねぇ…」
世界に10人存在する者。おとぎ話の住人。生きとし生けるモノ全てを導き給うとされる者の1人が――…コイツだと?
ジークはますます不躾にキオウをジロジロと観察した。
キオウは静かに小首を傾げている。
「信じなくてもいいよ?」
「さすが、賢者サマは達観した言葉を仰せられるねぇ」
「そういう言い方は気になるよ、ジーク」
名乗ってもいないのに、キオウはあっさりとジークの名を口にした。ジークはギョッとする。
「あっ、ジークは23歳なんだね。僕とあまり離れてないねー」
「は…?」
「だって僕、ハタチだもん」
顎が外れそうになった。
「は…――それこそ嘘だろ!?」
「んー、だって今はわざと――」
………がさっ
と、背後で音がした。
ハッとジークは振り返る。警官か!?
「――…あ〜、いたいた。キオウー、きーちゃーん。どうなったー?」
ジークとほぼ同じ年齢と見える青年が、赤髪のあちこちに葉っぱを絡ませて茂みから出てきた。
「あ、レイヴ」
「依頼終了? 船に帰ろうよ。みんな待ってるからさ。まーくんも心なしか寂しげだったしね」
「うん」
「んあ? 誰? この人」
レイヴと呼ばれた青年が、小麦色の顔をジークに向けた。
「ジークだよ。素早い軌跡が真空を生むから“真空のジーク”って呼ばれている、あの人」
今度は異名をスラリと言われてしまった。絶句するジークに対し、レイヴは「あ―、あの有名な暗殺者さんか」と勝手に納得している。
「な…、なんで」
「だって、賢者だもん」
ニコッと笑うキオウ。
「赤みがかった黒髪と黒眼、赤い鞘の剣…。噂どおりだなぁ。いいなぁ、黒髪って」
「レイヴは赤い髪の毛の方が似合うと思うよ?」
「あんがとさん」
「ねぇレイヴ、足が疲れたー」
「はいはい」
レイヴは慣れた様子でキオウをひょいと抱き上げた。にっこりと笑ったキオウがありがとうを言う。
「ジーク、一緒に来る?」
「へ? なんで俺が」
「だって、ジークは近いうちに僕らの船に乗ることになるから」
――予知。
賢者は過去と未来をはっきりと視ることが可能、と聞いたことがある。
だがそれは嘘のようだ、とジークは思った。
誰がそんな――!
「そうかー。“真空のジーク”も乗るのかぁ。よろしくな~」
「決めつけるなッ」
ジークの怒鳴り声に、同情のような笑い損ねたような微妙な顔をするレイヴ。
「キオウ導師の予言は間違いがないよ。よし、帰ったら皆にも言っちゃおうっと」
「この野郎…ッ」
「でも、ショックだなぁ。あのジークが俺を知らないなんてー」
「ああ?」
ジーク、とキオウが笑った。
「ジークもレイヴを知ってるよ」
「は?」
「“探求のレイヴェイ・グレイド”だよ、この人」
レイヴェイ・グレイド…?
あの高名な、トレジャーハンター!?
「マジかよ!?」
ジークは思わず叫んでしまった。
だが…この赤髪、小麦の肌、左のこめかみにある傷跡。確かに、噂に聞く外見と一致している。
「ホントだよ。この人は正真正銘の、お宝捜して古今東西を放浪し、孤独を好む一匹狼冒険野郎――の、レイヴだよ」
自分に対する巷の風評に苦笑するレイヴ。
「そんじゃキオウ、デスティニィ号に帰ろっか」
「ジークは?」
「行かねーよ…!」
少し残念そうな顔をするキオウ。
「でも、いずれは来るんだよ?」
「だぁ〜れが行くかよッ。貴様らみてぇなのが乗っている船になんか…!」
「他にもいろーんなのがいるよ?」
「ますます、嫌」
ケッと毒を吐き、ジークはさっさと立ち去ってしまった。
その背を見送り、レイヴはキオウをチラリと見る。
「きーちゃん、いいのか? 今一緒に帰らなくて」
「うん、だいじょーぶ」
もっともらしく腕を組んで重々しく頷くキオウ。
「僕、賢者だもん」
「はいはい。そうだったね、賢者サマ」
ははは、とレイヴは笑った。