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賢者サマのおふね◇キオウのこと  作者: 神代きい


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記憶の中にいる人◇わずかな向き合い

 客室を出たキオウはまっすぐ自室へと戻った。ドアを背で閉め、深く重いため息をつく。

 …胸の中がもやもやしていてスッキリしない。

 どうにも落ち着かないまま室内を見回すと、貼ったままだった例の魔除け印が目にとまった。壁から剥がして破り、小さな火を喚んで灰にする。

 灰を握った手を窓から出し、風に撒く――。

「………」

 躊躇の末に開けたのは、魔法で施錠していた机の引き出し。中は大国の魔法具屋以上の品揃えだが、今はそれらに用はない。

 キオウは奥にしまっていた小箱を取り出す。その勢いで、9年ぶりに蓋を開けた。

 中には、いぶし銀のロケットペンダント。

 おそるおそると手にし――…、再びの躊躇の後に、静かにペンダントを開ける。

「………」

 ――そこには7歳の自分と、父がいた。

 父は膝に乗せた自分を愛おしそうに抱いて、慈愛に満ちた優しい笑みをたたえている。自分は胸に回された父の腕をキュッと握って、安心しきった無邪気な笑顔をしている。

 ――この頃はまだ良かった。笑うことができたから。

 この1年後、自分は笑うことを忘れた。生きることを忘れた。


 その大きな原因のひとつは――…父だった。


「………」

 8歳の誕生日を過ぎたあの日、父は…自分を殺そうとした。

 父は自分よりも女を選んだ。だから父は邪魔になった自分を――。

 …いや、違う。

 あれは暗示のせいだ。父は優しい人だった。その優しい心に付け入られ、低級魔術師でも容易に操れる暗示をかけられた。その暗示のせいで、父は自分を殺そうとした。

 ――…そうわかっている。わかっているのに…。

「………」

 この画の中では、父は笑っている。

 記憶の中でも、父は優しく笑っている。

 そして何より、魔導を使う今の自分はわかっている。あれは暗示のせいだったのだ、と。

 それでも…、思い出してしまう。

 自分の首をナイフで掻き斬った、あの時の父の残虐な笑みを――!

「…ッ」

 ――暗示から放たれた父は、生き延びた自分を、強く強く愛してくれた。心の奥底から愛してくれた。そんなことは、わかっている。

 それでも自分は…、受け入れられなかった…。

 だって…、そうだろう?

 魔導を知らなかった当時の自分が、理解できただろうか? 父にかけられた暗示の存在を知らなかった自分が、理解できただろうか?

 悪夢は終焉を迎えたのだ、と――。

 だって――…、あの地獄の日々には味方など誰もいなかった。助けを求める手は冷酷に払われ、助けを求める声はうるさいと疎まれた。肉が見えるほどの怪我を負っても、誰も来てくれなかった。

 絶望して自ら飲食を絶った。このまま自分は死ぬのだと思った。死ねるのだと思った。死を願っている自分がいた。

 ――…最愛の父が自分を殺そうとした瞬間、その行為に深く感謝をしてしまったほどに。

 人の愛情を怖いと思った。《人》そのものが怖いと思った。

 何故なら――、あの後に訪れた平穏が真の平穏だとは信じられなかったから。

【人は平気で嘘をつく】

 幼い自分はそれこそが人間の真実の姿であり全てなのだと確信し――…そして、それが世界の真実の姿であり全てなのだと信じてしまったのだ。


 ――…だから自分は、死を望んだ。


「………」

 キオウは画の中の自分と父をじっと見つめた。…泣きたい気分だった。

 こつ…っ、と足に何かがあたった。見ると、まーくんがそぅ…っと優しく寄り添っている。

 ペンダントを机に置き、まーくんを両手に包んで持ち上げてみた。

 相変わらずのマヌケ顔。

 持ち上げた手の中でコミカルにゆらゆらと揺れ、そして顔をぐりぐりと押し付けて甘えてくる。

「…わかったわかった。ありがとな」

 キオウは笑みを浮かべ、この優しい家族の頭を撫でた。


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