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【ダーク】な短編シリーズ

龍の予備校

作者: ウナム立早


 青い、青い空が世界を覆いつくしていた。そんな空の中を動く黒点がひとつ。空は限りないって言うけれど、その限りない空を孤独に飛び続ける者は、いったいどんな気持ちなのだろう。


赤名あかなさん、おはよう」


 アパートの出入口で空を見上げていたら、横から聞きなれた声がした。


「おはよう、山口さん。今日はすごくいい天気ですよ!」

「うん、僕もすがすがしいよ。龍も悠々と飛んでいるみたいだ」


 二人で一緒に、青い空を見上げる。


「私たちも龍になったら、こんな空の中でずっと飛んでいたいですよね」

「……うん、できればね」

「予備校、行きましょうか」

「ああ、行こうか」




「――でありますから、龍、またはドラゴンというのは、破壊と創造をもって世の中のバランスを保つ、偉大な存在なのです。龍の卵であるあなたたちも、その小さな体の中に素晴らしい力が眠っている。まず知っておくべきなのは、龍が空を飛ぶ能力について――」


 予備校ではいつも通りの授業が行われていた。


 授業と言っても、内容はだいたい一年で完結するようなもので、今年で在籍三年目になる私にとっては、同じ内容を三度繰り返し聞くはめになるのだ。山口さんはそれ以上に退屈だろう。


「せ、先生!」

「あ、はい。木塚きづかさん、でしたね。なんでしょうか」


 手をあげたのは、今年初めて予備校に入った子だった。


「あ、あの、私、私たち、龍になったら、言葉も喋れなくなって、あちこち飛び回って火を吹いたり物を壊したりするようになるんですよね……。私の、心も、変わっちゃうのでしょうか」


 講師の先生は、不安を和らげようと穏やかな笑顔を作った。


「いい質問ですね。確かにあなたたちが孵化して龍になったら、姿も変わり、習性も変わってしまいます。でも、精神の根本は変わっていないとの研究結果もあるのですよ。その精神は、世の中を修正しようという崇高すうこうな使命感に満たされ――」


 ちょっと懐かしい感じがした。私は授業が終わった後にああいう質問をしたけど、同じようなやりとりだったな。やっぱ不安だよね。はじめて自分が龍の卵だってわかったのは、高校の進路相談だったし、あの時も……。


『先生、ほんとなんですか』

『ああ。この前の健康診断で、赤名の体内に龍の因子が宿ってることが判明したそうなんだ』

『それじゃあ、私の進路は……』

『第一志望の大学、ようやくA判定取ったのにな、先生もちょっと残念だよ。でも赤名には、これから龍になって世界のバランスを保つ偉大な使命があるんだ。だから孵化するまで、駅の近くにある指定の予備校に通ってもらわなくちゃならない』


「――龍は偉大なる存在です。その息吹いぶきは特別なもので、プラスチックや有害金属、果ては放射能汚染物質まで焼き尽くし、浄化してしまいます。さらに、鱗はどんな兵器の装甲よりも頑丈なのです。そんな龍たちが適度に暴れまわってくれるおかげで、我々人類は第二次世界大戦以降、人同士の争いをせずにすんでいるのですよ」


 思い出していた記憶と、講師の先生の説明が若干同調(シンクロ)していた。偉大な使命、偉大な存在。もう耳にタコができるほど聞いた。


「この世に龍が現れはじめたのは、2000年の初頭だと言われています。最初期は、欧米を中心にパニックが発生しましたが、今は受け入れられています。龍の卵となるのは、ごく限られた一部の人間だけです。血筋を問わず、だれもが龍の卵となる可能性がありますが、判明するのは高校生の頃が一般的で、孵化するまでの期間となると、かなりの個人差が生じることが知られ――」


 つい、左斜めの席に座っている山口さんを見た。山口さんは特に退屈そうな様子を見せず、じっと講師の先生と、龍の姿が写し出されているスクリーンのほうを見ていた。




「今日の授業も、特に変わったことありませんでしたね、山口さん」

「うん、順番がちょっと変わってたぐらいかな」


 太陽はまだ、てっぺんからちょっと傾きかけていたぐらいだった。私は山口さんと『スターボックス』のコーヒーを飲みながら、帰り道を歩いていた。


「山口さん、どうですか最近は、体の調子は変わりないですか」

「……うん、まあね。正直なところを言うと、最近は焦ってるかな、なんとなく」

「焦り、ですか? いいじゃないですか、龍の卵になった人はずっと若いままなんだし、せめて孵化するまでは、人間の学生生活をエンジョイしましょうよ」


 龍の卵になった人は、だいたい高校生のあたりから外見の変化が止まる。山口さんも、予備校に通って十年目なんだけど、フレッシュな男子高校生のままだ。


「焦りもあるけど、なんか、怖いって感じもね」

「怖い、ですか?」


 そのとき私たちは、駅周辺の賑やかな場所ではなく、車通りの少ない静かな場所を歩いていた。


「……なんともないって言ったけど、実はさ、最近聞こえるんだ。なんかひび割れるような、ぴしっ、ぴしっ、って音が、体の中で」

「ええっ? それって、もしかして孵化の前兆なんじゃ」

「かもしれない」


 周りの静寂が、いっそう強くなった気がした。


「や、やったじゃないですか。もし前兆なら、ようやく龍になることができますね」

「いや」


 山口さんの表情が沈んでいることに、ようやく私は気付く。


「本当のことを言うとさ、僕は龍になんかなりたくないんだ」

「山口さん……」

「偉大な存在だって、先生も、父さんも母さんも言うけどさ、奴らは人を殺したり、物を破壊するのに何のためらいもないじゃないか。それ以外はただ空を飛んでいるか、高い山で休憩をしているかのどちらかだ。恐ろしい怪物だよ、龍って」

「山口さん、そんなこと!」

「赤名さんは、龍になりたいって思ったことはあるの」

「わ、私ですか? それは……」

「思わないよね、普通。僕はずっと人間のままで、君と――」


 パアァーン!


 突然、大きなクラクションが私の耳を貫いた。


 気がつくと、私たちの横に、大型トラックが迫っている。


 私と山口さんは、とっさに身構えた。


 トラックのブレーキ音が響き、やがて車体が私たちに接触しはじめる。


 瞬間、車体の前方は二つの人の形にへこみ、つんのめりながら停止した。


「赤名さん、大丈夫ですか!」

「ええ、大丈夫です。山口さんも?」

「よかった。僕も服が多少汚れただけさ」

「こらーっ、車が来ているのに、何トロトロしてんだ!」


 濁った怒声をあげながら、トラックの運転手と思われるおじさんが割って入ってきた。ちょっと顔が赤い、変なニオイもする。


「す、すみません。話をしていたら、気付くのが遅れて」

「私からも、謝ります!」

「いくら青信号でもよお、周りの確認は――あんたら、なんで怪我ひとつしてないんだ?」


 おじさんの顔が、みるみる青ざめていくのがわかった。そして、その目は子どもを見る目ではなく、化け物を見るような目に変わっていった。


「まさか、あんたたちは龍の卵じゃ……」

「まあ、一応はそうなんですが」

「申し訳ございませんでしたぁ!」


 突然、おじさんが土下座をはじめた。


「あなた方が偉大な龍の卵であることはつゆ知らず、私は愚かにも飲酒運転と信号無視をしてしまいました。深くお詫びいたしますぅ!」

「ちょ、ちょっとおじさん、落ち着いて!」

「ど、どうか、俺の……いや、家族の命だけは」

「赤名、危ない!」


 山口さんの声がしたかと思うと、私は山口さんに抱きかかえられた。


 次の瞬間、大きな緑の物体が、空から飛来してくるのが見えた。龍だ。


 龍は大きく息を吸い、口からくれないの息吹を吹き出す。トラックはあっという間に紅に包まれ、直後、大きな爆発が起こった。


「うわぁ!」

「きゃあ!」


 私と山口さんはともに吹き飛ばされた。数メートル飛んで、ビルの壁に叩きつけられる。それでも龍の卵である私たちには、ほとんどダメージが無かった。


「や、山口さん、怪我は」

「さっきよりは被害が大きいけど、全然平気さ。それよりも、赤名さんが無事でよかった」

「山口さん、守ってくれたんですね。ありがとう……ございます」


 こんな時なのに、不思議なくらいふんわりとした感情が私を包み込んだ。


「ひどい……」


 山口さんは沈痛な言葉を口にした。


 目線の先を見ると、そこには、真っ赤に燃え上がったトラックと、その横で、火だるまとなって横たわるおじさんの姿があった。




 今日の授業も、変わり映えのしない、いつもの内容だった。窓から見える空も、相変わらず青く澄んでいる。


 昨日はあんなことがあったけど、ニュースでも特に取り上げられず、周辺の様子も大して変わっていなかった。人が死んでいるのに。


 予備校に向かうまでのあいだ、山口さんはほとんど喋らなかった。やっぱり昨日のことで、ショックを受けているのだろうか。


 心配になった私は、山口さんのほうを見た。


 その体は、小刻みに震えていた。机に顔を突っ伏していて、小さく、手をあげている。


「先生! 山口さんが!」


 私の一言で、先生も山口さんの異変に気付いたようだ。私と先生は、山口さんのもとへと駆け寄った。


「これは、孵化がはじまったかもしれない」


 先生は、山口さんの体をさすりながら、告げた。


「この授業はいったん中止です。みんなで屋上に移動しましょう!」




 屋上には、生徒と講師の先生が全員集まっていた。屋上をふたつに分けるように頑丈な金網で仕切られていて、片方には私たち、そしてもう片方には、山口さんが一人でうずくまって、震えている。


「間違いない、これは孵化だな。もうすぐあらたな龍が誕生するぞ」


 先生の一人がそう言った。


「ぐっ、が」


 うめきのような声が、私の耳に届く。


 そして、ついに孵化が始まった。


 山口さんの体に、無数のヒビが現れはじめた。そしてその亀裂から、まばゆい光が漏れ出してきている。


「ぐう、ぎぎ、がああ、ああ!」


 声はますます大きく、そして苦しそうになっていく。


塔矢とうや!」


 金網に顔を押し付けて、山口さんの名を呼んだ。


 山口さんはこっちを見た。手をゆっくりと、私のほうへ伸ばし――伸びきったところで、手が崩れ落ちた。そして、顔にまでひびが入りはじめる。


 とうとう山口さんの体は、顔は、ひびに沿ってバラバラに割れてしまった。


 しばらくの間、現れた山口さんの()()は、まばゆい光に包まれていた


 光がだんだん収まってくると、筋骨隆々で黒い鱗と翼をもつ、偉大なる存在が姿を現わした。


「やった! 成功だ!」

「新たな龍の誕生だ!」

「わが校はこれで10体目だな!」


 先生たちは、歓喜の声をあげていた。


「山口さん……塔矢さん」


 私は静かにその名を呼ぶ。


 その目は、もう私のほうを見ていない。


 ただ青く、青く澄んだ空をじっと見つめていた。


 そして黒い翼を広げると、大きく羽ばたき、青一色の世界へ飛んで行ってしまった。


「山口、元気でなー!」

「龍の使命、存分に果たしてこいよー!」

「さよならー!」


 みんなはどんどん小さくなっていく龍に手を振って、言葉を投げかけた。


 私は屋上に残った卵の殻を、見続けることしかできなかった。殻はまだ、救いを求めるような目で、私を見ていた。




 今日も相変わらず、青い、青い空が世界を覆いつくしていた。私は窓から見える青を見つめながら、先生の授業を教室に流れるBGMのように聞き流している。


「龍になるかどうかは、誰にもわかりません。なろうと思ってもなれるものではありません」


 空は限りないって言うけれど、その限りない空を孤独に飛び続ける者は、いったいどんな気持ちなのだろう。


「ですから、みなさんは龍になれることを誇りに思ってください」


 山口さんは、今、どんな気持ちで空を飛んでいるんだろう。


「みなさんが龍になれるのは、運命かもしれません」


 龍になれば、私もその気持ちがわかるのかな。


 ぴしっ。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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